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Yuji Kitagawa @Cadavre_K
【原発震災と芸術01】貝塚爽平が『東京の自然史』で地形学の分析方法に関してセザンヌの仕事からヒントを得たとすれば、地形学への関心からセザンヌを再考するという態度に切り換えることもで可能なはずだ。あるいはさらに、セザンヌの絵をも地形そのものとして見るという観点を。
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【原発震災と芸術02】もちろん、こうした視点は原発震災後に見出されたものだ。原子炉のシステムとケージの不確定性の音楽やシュルレアリスムのデペイズマンと津波やオートマティスムと内部被曝、バタイユのアンフォルムとメルトダウンの類似性など考えてみたくる面、思いつく事はいろいろある。
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【原発震災と芸術03】例えば1908年イタリアで起こったメッシーナ地震と未来派の関係。こういう記事がある。http://t.co/MJJRQUM マリネッティは「宣言」が地震の話題の中に埋もれてしまうことをおそれて発表を遅らしたそうなのだが。
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【原発震災と芸術04】偶然とはいえ、未来派の仕事を都市のそれではなく、むしろそれを成立させる土台(大地)の揺れ、つまり地震と未来派の関連を考察してみるのは興味深い。とりわけボッチョーニの作品を。この画家を媒介にするとセザンヌとダダは結びつく。
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【原発震災と芸術05】地形学を引くまでもなくセザンヌのストロークの震えは、ボッチョーニ『精神の状態』から顧みると、揺れるプロヴァンスのように見えてくる。またボッチョーニの彫刻はダダを経てシュルレアリスムのデペイズマンまで接続可能であり、セザンヌから始まる別の崖線が読める。
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【原発震災と芸術06】アヴァンギャルドはダダの都市文化の解体(家屋の崩壊)、シュルレアリスムの「解剖学的=顕微鏡的世界」、ケージの「きのこ」を経て、ボイスの反核環境保護運動に至って再び森へと返される。セザンヌのいる場所に。
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【原発震災と芸術07】そしてこれらの関係は予定調和的に融合しているのではなく、空間的な配置としてみると、ちょうど時期の異なる地層が折り重なる地形のそれのように存在している。それぞれの間にはいわば活断層が存在している。その地形図を描く必要がある。
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【原発震災と芸術08】原発震災をうけて再考察してみたい芸術とその流れ(影響関係)。セザンヌ→未来派(ボッチョーニ)→ダダ→シュルレアリスム→ケージ→ボイス→セザンヌという「循環」。地震→津波→原発爆発→メルトダウン→放射能汚染、内部被曝との併行関係を考察してみる。
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【原発震災と芸術09】こう見てくると、アヴァンギャルド以後(1968年以後のポストモダニズム)は、いわば核燃リサイクル事業に類似している。それはモダニズムの使用済み核燃料からプロトニウムを取り出そうという仕事(幻想)に囚われているといえるかもしれない。
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【原発震災と芸術09】こう見てくると、アヴァンギャルド以後(1968年以後のポストモダニズム)は、いわば核燃リサイクル事業に類似してくる。それはモダニズムの使用済み核燃料からプルトニウムを取り出そうという幻想に囚われているといえるかもしれない。
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【原発震災と芸術10】とすれば、東電原発事故は、ポストモダンの極北(極東)であるところの日本的スノビズム(コジェーヴ)=形式的な記号の戯れがメルトスルーを引き起こしたということだろう。ポストモダンは事実上、巨大な地殻変動(パラダイムの変更)によって終わりを向かえようとしている。
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【原発震災と芸術11】きらびやかな記号の戯れによるゲーム(イメージの消費)は「オール電化」の幻想に無自覚、無根拠に依存していたというわけである。そこから脱せられないとすれば、それは単に中毒ということになるのだろう。
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【原発震災と芸術12】芸術的営為は表層のイメージから離れ、地殻の振動する場所(様々な植生が繁茂する地層(土壌)によって形成される地形)を巡って為される。地形(植生)の「癖」を読み取る仕事となる。「癖」とは反復するものであり、ということはそこに構造があることを示しているのだから。
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【原発震災と芸術13】ボイスやケージと同様に重要なアーティストを召還しなければならない。シチュアショニスト(ドゥボール)。彼らの「心理地理学」や「漂流」といったアイデアこそ地形学的フィールドワークへスライドさせなければならない。
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【原発震災と芸術14】「心理地理学」や「漂流」は彼らにあってはもっぱら都市における街路や建築におけるそれであった。その試みが街路の下を問題したということはついぞ聞いた試しがない。都市における「意識の下」は問題にしたのかもしれないが。ダダ・シュルレアリストやベンヤミンのように。
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【原発震災と芸術15】だが今問題にすべきは、地形のみならず、地質、土壌の物理的、化学的、生物的三相構造等をみた上での「大地」の認識である。とりわけわが国が地震学者石橋克彦の「大地動乱の時代」に再び突入したとおもわれる以上、その上ばかりを観察して事足れりとするわけにはいかない。
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【原発震災と芸術16】この大地への関心は、放射性物質の拡散による低線量被曝(内部被曝)が孕む重大さと相同的に考察される必要がある。原発事故の継続的危機の背景にあって、つい忘れがちになってしまうので敢えて強調しておこうとおもう。
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【原発震災と芸術17】地形や植生への関心といっても、野外彫刻等を制作するわけではない。それはもっぱら観察を通じて得られるものに留まる。観察はとりわけ「地形面区分」がもたらす各境界が接する箇所を前景化する作業となるだろう。そこが変動(災害)をもたらすポイントともなるからである。
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【原発震災と芸術18】そしてこのフィールドワークの行為と記録自体が、芸術作品というよりは、なんらかの社会的なメッセージになればと企図するものである。
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【原発震災と芸術19】変動(災害)をもたらす地形は、都市においてはおそらく吹き溜まりであることが予想される。そうした低い湿った場所こそがシュルレアリストやバタイユ、ベンヤミンやシチュアショニストが熱狂した場所でもあるだろう。したがってこの試みはそれらの実践的再解釈でもある。
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