ビデオを使った教科教育の実践の見え方(とEMCAを通した見え方)

とりあえず、過去のTLを読むためにまとめましたのですが、多分足りません。ご自由に編纂してください<関係者
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NM @mnaoto

@igamoto もちっとクリアに表現しろや、ってとこですが「emcaがそこで何ができるのか」(あるいは、emcaでないものが何ができているといえるのか)」というのは教員養成&現職研修という現実問題を考える上で重要な何かである気がするのでもう少し考えてみます。 @n_akiya

2011-06-17 01:35:26
igamoto @igamoto

@mnaoto お忙しいところコメントを頂いて恐縮です。先日は、私自身が常日頃思っていることを、熱く語ってくださったので、つい思ったまま話かけてしまいました。お恥ずかしい限りです。

2011-06-17 14:08:23
igamoto @igamoto

@mnaoto 論点を共有して頂けているようでうれしく思っております。これから講義がありますので、また後ほど敷延させてください。@n_akiya

2011-06-17 14:12:18
igamoto @igamoto

@mnaoto ゼミだったので少々遅くなりました。さかいさんのご要望に応じてあらかじめ論点を明示しておきます。森さんが疑問点を提示してくさったので、それに関連して私が今敷延できることとしては以下の2点です。@n_akiya

2011-06-17 22:16:53
igamoto @igamoto

1)現場の実践とそれを統べる専門家言説の関係とそこでEMが果たせる役割について(←教科教育とEMの語り方の違い)2)教員養成におけるEMの意義(←「人」に帰属させずに「理念」に帰属させずに教育実践の構造が見えるようになることの利点)  

2011-06-17 22:22:15
igamoto @igamoto

@mnaoto ただ、教科教育の語り方は参照先として現場の実践を前提として語られますので、参照先としての「現場の実践」なしには成りたちません。@n_akiya

2011-06-17 22:30:23
igamoto @igamoto

@mnaoto まず第一にEMが教育の専門家言説の側に貢献できるとすれば、こうした括弧付きの「現場の実践」の部分をより明確に することができるという点だと思っています。@n_akiya

2011-06-17 22:32:10
igamoto @igamoto

@mnaoto さらに、括弧付きの「現場の実践」を明確にしたうえで、 どのようにそれを定式化するのか、という点まで踏み込んでいくと、それは教科教育の語り方に属しますので、EMの知見の範囲を超えると思っています。@n_akiya

2011-06-17 22:33:51
igamoto @igamoto

@mnaoto (もちろん、私自身はそこに踏み込んだ論文・研究を書くこと自体はやぶさかではありませんがまだまだ時機ではないと思っております)@n_akiya

2011-06-17 22:34:20
igamoto @igamoto

@mnaotoもちろん、この第一のレベルの作業をしただけでも 専門家言説の側に、変化が迫られるような事態がないとも限りませんがそれはよほど専門家言説の側が「現場の実践」について 誤った強い前提を措いているからだと思うわけです。@n_akiya

2011-06-17 22:35:52
igamoto @igamoto

@mnaoto 新しい実践の形態の専門家言説のケースではそうしたことがあるでしょうが、学校教育ではそうしたことは少ないのではと楽観視しているわけです。@n_akiya

2011-06-17 22:36:51
igamoto @igamoto

@mnaoto 1)を踏まえて2)に関わって申しますと、現場の実践を担う側(教員)からすると、教員は実践すると共にそれを教育の言語で定式化(評価)し改善することが職能とされています。@n_akiya

2011-06-17 22:39:16
igamoto @igamoto

@mnaoto実践を定式化して評価する際には、ある程度実践の成り立ちを踏まえていないといけません。まずはこの段階で教員間でもだいぶ力量が異なっていますので、そうしたときにEMは役立ちます。@n_akiya

2011-06-17 22:41:04
igamoto @igamoto

@mnaoto そして「人」や「理念」に帰属させずに教育実践の構造が見えるようになることの利得についてですが、私はこれについては教育実践の設計あるいは改善の段階で役立つと思っています。@n_akiya

2011-06-17 22:42:31
n_akiya @n_akiya

明日の学会☆準備があるのでRT @nabeso 言いだしっぺの法則なうRT n_akiya: 誰かとぅぎゃっておいてください<誰か、誰か!

2011-06-17 22:45:13
igamoto @igamoto

@mnaoto まずは「人」に帰属させずに、のほうですが教育の言説では「個人」に能力や知識を帰属するような語り方が主流なのですが、当然ながら実際の実践においては教師はしかるべき狙いにそってそうした帰属するかしないか自体を使い分けているわけです。@n_akiya

2011-06-17 22:46:01
igamoto @igamoto

@mnaoto そうした水準で実践を見ることができると、実践の設計・改善に役立ちます。これはロボット研究の場合であっても、医療福祉研究の場合であっても同じような利点として言えることのように思います。@n_akiya

2011-06-17 22:46:50
igamoto @igamoto

@mnaotoもう一つの「理念」に帰属させずに、という点ですが、こちらのほうは何らかの知識を「教える」という仕事にとって直接的に利得があると思っています。@n_akiya

2011-06-17 22:49:31
igamoto @igamoto

@mnaoto EMは、理念(概念)を支えている実践上の方法を 特定しているため、ある意味で私たちの方法的知識の バリエーションを示す学問であると思います。@n_akiya

2011-06-17 22:51:31
igamoto @igamoto

@mnaoto教師は、指導要領の理念(概念)に沿った知識内容を教えるにあたって、その理念(概念)に沿った形で(結びついた形で)子どもにそうした内容をさまざまな活動を通じて体験させたり それとして定式化したり明示する必要があります。@n_akiya

2011-06-17 22:52:33
igamoto @igamoto

@mnaoto リンチが特定しているような、科学者が採用している観察の方法や推論の方法は、題材は異なれど、理科の授業で子どもが経験する(べき)方法と根本的に異なっているわけではありません。@n_akiya

2011-06-17 22:54:27
igamoto @igamoto

@mnaoto たとえ指導書があったとしても、実践はその場のニーズに則して設計することを必要とします。こうしたときに、EMの知見を知っておくことは教師にとって実践を組み替えるときのよいリマインダになると思っています。@n_akiya

2011-06-17 22:55:13
igamoto @igamoto

@mnaoto 以上述べてきたように「実践の見え方」の共有可能性の利得は色々なところにあると思います。研究のバラエティが欲しいなと思っているのは、いろんな形で利得があるのですがそれが(自分の研究も含め)アウトプットが出ていないために見えにくい状況があるからです。@n_akiya

2011-06-17 22:58:58
igamoto @igamoto

@mnaoto 教科教育の話を中心にしましたが、学級経営でも学校経営でも学校文化でも可能性が転がっていると思いますし、それぞれの領域に則して利得があると思っています。

2011-06-17 23:03:46
igamoto @igamoto

@mnaoto いろんな対象の研究が増えたら楽しいなと思っていて、あのようなぶしつけな呼びかけとなってしまい、失礼しました(^^;) とりあえず、以上です。@n_akiya

2011-06-17 23:04:55