おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?
- pareorogas
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私が「おたく」という言葉を初めて書いたのは1983年『漫画ブリッコ』というロリコン漫画雑誌だった。1989年夏の連続幼女殺害事件犯の逮捕以後、それは一般語化した。今では「OTAKU」は世界語となっている。
2010-12-21 09:18:40私が「おたく」命名についてきちんと書いたのは別冊宝島『おたくの本』→amazon.co.jp/gp/aw/d/479669… 1989年、宮崎勤事件で「おたく」という言葉がもっとも厳しい視線にさらされていた時。担当編集者は町山智浩さん。町山さんの厳しい問いに応えざるをえませんでした。
2014-05-08 19:27:59言っときますが、私は「おたく」命名でほとんど儲けてませんよ。「おたく」本も出してない。1983年に「漫画ブリッコ」に発表した「〈おたく〉の研究」も著作権無視して勝手にネットにあげられてるし。「おたく」で儲けたのは大塚英志や宅八郎や岡田斗司夫でしょ。
2014-05-08 19:20:02えーと、中森明夫ってネットで検索すると「おたく」の名づけ親がほとんどですね!? 私が『漫画ブリッコ』という雑誌に「おたくの研究」というコラムを書いたのは1983年、23の時でした。今、51歳でこれからどんな仕事をしても「おたく」の名づけ親以上のことはできないんだろうなあ…。
2011-05-18 21:30:15アメリカ人ジャーナリストに「おたく」についての取材を受けました。米国発売の「おたく」研究本を執筆中とのこと。30余年前に私が「漫画ブリッコ」に書いた「〈おたく〉の研究」を英訳して収録したいと許諾依頼を受け、了承。だけど、あれ英語に翻訳するのは超難しいのでは?
2014-05-29 18:18:44「おたく」命名について、今日も外国人ジャーナリストからの取材依頼に対してやりとり。20余年前、フランス国営放送の「おたく」ドキュメンタリーのジャンジャック・ベネックス監督から、ポーランド、韓国、アメリカ等のテレビ取材を私は受けております。外国人のほうがはるかに率直。
2014-05-08 19:07:31明言しますが、現在流通する「おたく」の語を命名したのは中森明夫です。不思議なのは、おたく関連本を出版するのに日本人で直接、取材申し込みがあったのは、森川嘉一郎氏だけだったということ。いったい、どうなってるのかね?
2014-05-08 19:04:01「おたく」「サブカル」は私が作った言葉だと自覚していますが、偶然、他の人が使っていた可能性もあります。ただ爆発的に広がったのは私が執筆した83年『漫画ブリッコ』、91年『週刊SPA!』の影響下だと確信しております。「おたく」に関しては森川嘉一郎氏の決定的な検証本が出る予定です。
2011-09-24 00:26:281991年末「週刊SPA!」で私が総指揮で〈サブカルチャー最終戦争〉というカラー16頁の大特集をやった。タッグを組んだは赤田祐一はこの特集で「クイック・ジャパン」の創刊を宣言。私は「中森文化新聞」を発信した。明らかに90年代サブカルの起点になったと思う。誰も検証しないけどね…
2014-08-17 21:54:33「おたく」という呼称を中森明夫が「漫画ブリッコ」で「〈おたく〉の研究」を書く前から自分は使ってたとか、今さら「感想」を呟く人がけっこういるけど、ご自由に。ちなみに中森明夫も「〈おたく〉の研究」を書くずっと前から「おたく」の呼称を使ってました。
2014-05-08 21:22:48@a_i_jp @utubo 81年の『超時空要塞マクロス』の主人公が人を「おたく」と呼び、それが若手スタッフの河森正治氏、美樹本晴彦氏らの口癖であったということを突き止めたのも森川さんですね。しかし彼らは日用語として使ってただけで、現在の意味での「おたく」命名は中森さんですね。
2014-05-08 23:35:13「おたく」命名は80年代初頭のコミケで若者らが「おたく」の二人称で呼びあってるのにショックを受けたってのがきっかけです。そういえば70年代の深夜放送で読まれるリスナーの投稿では一人称を「小生」、二人称を「おぬし」と呼ぶカルチャーもあったよね。オヌシ族も存在した。
2011-11-12 14:38:131980年代は20代で疾走してた。友人とミニコミを作り、「おたく」の名づけ親になって、新人類と呼ばれ、『東京トンガリキッズ』や『オシャレ泥棒』や『週刊本 卒業』や『ゴクミ語録』を出版して、坂本龍一や見城徹と呑みあかし、80年代末の宮崎事件で大塚英志と対話して『Mの世代』を出版した
2010-10-17 10:56:21結局、私の名前が歴史に残るとしたら「おたく」の名づけ親としてでしょうね。27年前、23歳の時にロリコン漫画雑誌に書いたコラムが語源。「おたく」という概念が生まれてから「おたく」は「おたく」としか見えなくなった。実はその続きの仕事を今、ツイッターでやってるような気がします。
2010-11-16 01:02:21コミケ創始40年! 「おたく」の変遷を考察する松谷創一郎さんのとてもいい文章。「おたく」の名づけ親・中森明夫が啓発されました。必読!→>コミックマーケット40周年――電車男から遠くはなれて(松谷創一郎) bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsut…
2015-12-30 19:04:41「おたく」は1983年に「漫画ブリッコ」掲載の私のコラムが名づけの最初ですが、「おたく」命名の記録を小説にしました。題して「おたく命名記」、Webで読めます。ぜひ! honsuki.jp/series/tokyo_t…
2019-04-05 17:56:43私が「おたく」を命名したのは『漫画ブリッコ』誌の「おたくの研究」。1983年のこと。同誌編集者の大塚英志に猛批判され連載打ち切りに。1989年夏、宮崎勤が逮捕された時、初めて大塚英志と会い二度対話して『Mの世代』を出版。私が大塚と会ったのはそれっきりです。なんだか懐かしいな…
2011-10-10 20:55:50中森コラムは今読むとかなりサベツ的内容で、それをオタクが中心読者だった「漫画ブリッコ」で確信犯的に書いた事から、ものすごい騒ぎになったことを覚えてます。それで中森氏が連載を下ろされて、その後釜連載が僕の「風雲ライオン新聞」でした。@juangotoh @kentaro666
2011-04-28 02:05:46そうだったっけ⁉ 完全に忘れている。 「東京おとなクラブJr.」が中止された後、「風雲ライオン丸新聞」がはじまったってこと? RT @kentaro666: (中森氏の抜けたページで新連載を始めたのが竹熊)
2014-11-28 00:04:36@ogwata 中森氏の「おたくコラム」について、担当者としてはどう考えていたんですか? そう言えば聞いた事がなかったけど。
2014-11-28 00:25:42