たとえばこんなQOL
@naga_maki 先生のやってこられた実践を聞くと、自分がひいこら言ってるのがなんだかなぁと思いつつも、あら相当勇気がいるわとも思うのです。
2011-06-21 21:47:48やっぱり目の前に「問題行動」があったらさ、「なんとかしたい、なんとかしよう」って思っちゃうもの。でもそうじゃないんだっていう。それを20年以上も前からやってんだもんなぁ。
2011-06-21 21:51:44「問題行動」が日常茶飯事な世界を見てきた人ですから。 RT @hit1678: やっぱり目の前に「問題行動」があったらさ、「なんとかしたい、なんとかしよう」って思っちゃうもの。でもそうじゃないんだっていう。それを20年以上も前からやってんだもんなぁ。
2011-06-21 21:55:18その世界で「当事者の自己決定とQOLの拡大」ですもんねぇ。 RT @cocorosh: 「問題行動」が日常茶飯事な世界を見てきた人ですから。 RT 「問題行動」があったら「なんとかしよう」って思っちゃう。でもそうじゃないんだっていう。
2011-06-21 21:57:29むしろその世界を見てきたからこそ「当事者の自己決定とQOLの拡大」なんだと思います。 RT @hit1678: その世界で「当事者の自己決定とQOLの拡大」ですもんねぇ。
2011-06-21 22:04:48ですね。いやまさにその通りなんだと思います。 RT @cocorosh: むしろその世界を見てきたからこそ「当事者の自己決定とQOLの拡大」なんだと思います。 RT @hit1678: その世界で「当事者の自己決定とQOLの拡大」ですもんねぇ。
2011-06-21 22:06:13施設生活において自己決定や選択する機会がいかに少ないか。食べるものですら選べない。行きたい場所へも行けない。与えられるものしか受け取ることができない。そもそも他の選択肢、他の場所があることすら知らない生活になっている。だからこそ、その中で自己決定とQOLの拡大が重要になる。
2011-06-21 22:08:32そしてそれらが知的発達や発達障害等の障害の蔭で問題視されず当たり前のように受け入れられてしまってきていた訳です。誰も本人が選べるだなんて知りもしなかったし、知ろうともしなかった。そういうものだと思っていたから。
2011-06-21 22:10:49まさにそういうお話でした。 RT @cocorosh: そしてそれらが知的発達や発達障害等の障害の蔭で問題視されず当たり前のように受け入れられてしまってきていた訳です。誰も本人が選べるだなんて知りもしなかったし、知ろうともしなかった。そういうものだと思っていたから。
2011-06-21 22:18:00でも、ちょっと、若干、いやかなり?プロのトレーナーが「しつけ」を「訓練」という言葉で、日常から引き剥がしたという思いはあったりする。
2011-06-21 22:16:55私が拙著で「たとえ療育が必要な障害をもった子であっても、子育ての主導権は親の手に取り戻さないと」と書いたのと似ている気がします。RT @hit1678: 「しつけを飼い主の手に取り戻す」なんて言葉が思い浮かんだがちょっとまだよくわかんない。
2011-06-21 22:18:34ああ!そういう感じかもしれません! RT @sora_papa: 私が拙著で「たとえ療育が必要な障害をもった子であっても、子育ての主導権は親の手に取り戻さないと」と書いたのと似ている気がします。RT 「しつけを飼い主の手に取り戻す」なんて言葉が思い浮かんだがちょっとまだよくわかん
2011-06-21 22:20:21幸福と「自分で選べる」ことは非常に近いと思ってます。RT @cocorosh: そしてそれらが知的発達や発達障害等の障害の蔭で問題視されず当たり前のように受け入れられてしまってきていた訳です。誰も本人が選べるだなんて知りもしなかったし、知ろうともしなかった。
2011-06-21 22:20:37幸福が何かは分からなくても、幸福と思ったものを見つけた時に本人がそれを選べないのであれば、幸福にはなれないし幸福とは言えないですね。自分で選ぶ、ということは幸福の為に必要な条件なのだと思います。RT @sora_papa: 幸福と「自分で選べる」ことは非常に近いと思ってます。
2011-06-21 22:29:58もっと踏み込んで、「自分で選べる」という状態自体が幸福であることの定義に限りなく近いと考えているのです。RT @cocorosh: 幸福と思ったものを見つけた時に本人がそれを選べないのであれば、幸福にはなれないし幸福とは言えないですね。自分で選ぶ、ということは幸福の為に必要な条件
2011-06-21 22:34:18既にぜんぜん違う世界にいる娘に、「定型のレールに乗せて追いつけ追いつけ」という療育をしようとはまったく思わない。そうではなく、人生で「自分で選べる」ことができるだけ多くなるような支援をしていきたい。どれだけ制約があっても、自分で自分の人生を選んだ、という人生を送って欲しいから。
2011-06-21 22:32:19