差別は言語の中で起きているのだろうか?あるいは差別用語なるものはそもそも存在するのだろうか?:言葉狩りをめぐる問題について。

たびたび論争になる差別用語は禁止すべきかどうか?という問題。しかし、実はこの問題自体が偽問題である。なぜなら、そもそも差別用語なるものが存在しないからだ。言葉の意味は言葉自身に内在的に、ア・プリオリに決定されているということはあり得ないので。だから差別用語というもの自体があり得なくて、どんな言葉でも差別的な文脈意図を込めて発話するばそういう意味として機能するし、”差別用語”といわれている用語も、そうでない文脈や意図で使えば、そうではない意味で機能する。ストークリー・カーマイケルがあえてブラックパワーという用語を肯定的に使用したのは、その一例を示しているといえる。だから、そもそも存在しないものを禁止すべきかどうかといわれても藁人形論法としか言えない。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

私は差別の起源は暴力の起源と同じで環境適応反応の一種だと考えている。物質が豊出なかった時代に自分たちの身内を他者よりも優遇することが生存に役に立った結果未だに本能の一部として機能しているのではないかと思う。そう考えれば差別は無意識的に行われているのが普通それ故に自覚が要求される。

2011-06-22 14:02:29
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えば二歳足らずの幼児は公正さという本能の次の発達段階として、身内=自信と同一と思われる集団の利益を、他者との公正よりも重視するという傾向が観察されるようになる、つまり公正と同様に差別もある種の本能といえる。つまり、言葉とか自己認識とは関係なく差別は行われるということ。

2011-06-22 14:05:55
あうらゆうま @aurasoul

誰かが女の子に「豚子ちゃん」と名づけて、いじめました。先生がその呼び方を禁止しました。でも「豚子ちゃん」が差別語かどうかは、文脈によるので、言葉狩りは良くない? …極端ですが、言葉狩りが”良い”ケースとして、僕はこのように思い浮かべます。 RT @yutakioka

2011-06-22 14:06:16
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

このような本能的な行動を、どの様に抑制」していけるか?といえば、それは何度も言っていることだが、身内と思う範囲を個々人が広げていくことで、理想的にはすべての人を身内と感じられる様になるまでの道徳感覚を陶冶していくための仕組み=(教育や文化)などを醸造することが大切と思う。

2011-06-22 14:08:43
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そのためには差別と反対の人間の本能、公正としての正義という本能に私はかけてみたいと思う、だからこそ先ほどの様な文化は開かれた空間での議論やおしゃべりなどで少しずつ構築されていけばよいのではと思う。

2011-06-22 14:10:23
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

この場合はこの用語禁止は妥当です。なぜなら、この用語が「いじめに使われた」ことが明白である文脈なわけですよね、だからこの文脈でのこの言葉の意味は侮蔑となるからです。RT @aurasoul 誰かが女の子に「豚子ちゃん」と名づけて、いじめました。先生がその呼び方を禁止しました。

2011-06-22 14:13:02
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@aurasoul 文脈というのは、この場合の様にいじめや暴力的であると思われることが明白である場合はその用語使用を禁止することはその言葉が”差別用語”であるかどうかに関わらず妥当ということです。

2011-06-22 14:14:46
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@aurasoul しかし、このような措置は”差別用語”を定めないからできるわけで、差別用語は禁止すべきという立場であったらこのような文脈でさえ、この用語は”差別用語”ではないから禁止する必要がないとなるわけですよね。つまりこの立場に立つとこのような状況を解決できないのです。

2011-06-22 14:16:58
あうらゆうま @aurasoul

なるほど~ @_@ 「言葉狩り反対」っていうと、ただ「反対」するだけ、逆に「どういう文脈だと差別的か」が語られないことも多くて、「差別なくすきゼロ」っていうイメージがありました m_ _ m RT @yutakioka この場合はこの用語禁止は妥当です。

2011-06-22 14:17:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そうでしたか、ご理解ありがとうございます。むしろこの原則の方が反差別に役立ちます。RT @aurasoul 「言葉狩り反対」っていうと、ただ「反対」するだけ、逆に「どういう文脈だと差別的か」が語られないことも多くて、「差別なくすきゼロ」っていうイメージがありました m_ _ m

2011-06-22 14:19:57
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

言葉ではなくて文脈で差別を判断する方が効果的というのは、差別の一種であるいじめという現象を考えてもわかる。例えばいじめがある言葉によって行われていれば、言葉狩りという原理によって止められるかもしれない、これは文脈判断でも同様に対応できる。しかし言葉を使わないいじめならどうか?

2011-06-22 14:25:33
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えばクラスメートから無視されるなど。この場合明白な暴力的な言語使用など起きていない。だから”差別用語”を定める言葉狩り式の原理では対応できない。言葉とは関係なく差別は起きているので。では文脈判断で差別を判断する方式はどうか?といえば、対応できる。

2011-06-22 14:28:04
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

暴力的な言葉があろうとなかろうと文脈的に差別を定義できるので。ということを考えれば、言葉狩り式の反差別原理よりも、文脈判断で差別を認定して対策を行える原理の方がより汎用性・一般性が高いといえる(なぜならより厳しい条件でも使用可能な原理なので)ので優れているといえる。

2011-06-22 14:29:59
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

私は先ほど言葉をなくせば差別がなくなるという教義の話をしたが、私が想定して批判したのは某哲学者。認識の誤謬=言語使用法・論理的誤謬=世界認識の誤謬という関係が「論考」で明白に示されているので。だけど「語りえぬものにこそ、雄弁にならなければいけない」時もあるということ。

2011-06-22 14:37:56
渡邊芳之 @ynabe39

@yutakioka もともと「差別を受ける側に文脈的な事実に基づいた差別の申し立てをさせない」ようになっているようにも感じます。「文脈で判断」を認めるといつ誰が何によって差別を指摘されるかわからなくなり「世間」の方が困ります。

2011-06-22 14:38:25
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

言語の限界=理性の限界=世界認識の限界ではないし、それは過去の話。理性ではなくて遺伝プログラムによってある程度形成されている行動もあるわけでそれを想定した「世界」を構成しなければならない。ハイデガーは遺伝子という考えがあったのかは定かではないが「世界」を環境から定義しようとした。

2011-06-22 14:40:22
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そうですね。しかも「世間」の既得権も差別に寄与してますよね。RT @ynabe39 「差別を受ける側に文脈的な事実に基づいた差別の申し立てをさせない」ようになっているようにも感じます。「文脈で判断」を認めるといつ誰が何によって差別を指摘されるかわからなくなり「世間」の方が困ります

2011-06-22 14:42:59
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

それはユクスキュルの概念を援用していることからも示唆される。私もこのハイデガーの「世界」へのアプローチの方が言語=理性による認識の分節化=社会構造という三角形構造よりも優れていると考える。

2011-06-22 14:46:17
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

あるいはローテイやデリダの様にある程度はその某哲学者の後期の立場にだけ依拠しつつもつまりあの三角形構造は認めるが言語ゲームに対して拡張主義をとることにより理性や言語使用法を意図的に変革してしまうことを目的にするという方法もある。どちらの立場も有効的だろう。

2011-06-22 14:49:56
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ただこの立場=言語ゲームの拡張主義という発想でも、そもそも言語の意味すら未決定という立場を擁護せざるを得ないので、”差別用語”の様に意味を内在的に有しているという信仰は捨てなければならない。つまり差別用語は存在しない。意味は文脈ある流動的なdiscourseにより決定される。

2011-06-22 14:52:50
kazutomi @kazutomi

@yutakioka 私も適応だと思っています。ただ、身内とその他を分けるだけではないと思います。そしてその適応は現在でも、社会や個人など様々なレベルで続いていると考えています。

2011-06-22 18:48:45
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そうですね~。RT  @kazutomi 私も適応だと思っています。ただ、身内とその他を分けるだけではないと思います。そしてその適応は現在でも、社会や個人など様々なレベルで続いていると考えています。

2011-06-22 22:41:21
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

差別は言語の中で起きているのではない、人間関係と発話者の意図や行為の文脈で起きているんだ。「”差別用語”撲滅できましぇーん」当然しかも新たな言葉が次から次へと差別的に使用されるだけなので。ヴィトゲンシュタインの亡霊と闘っても勝ち目はない。問題を言語の意味の中に矮小化してはいけない

2011-06-24 05:37:54