'11.06.18 Clunio氏呟き

QT @Clunio 西欧を理解する枠組みとしての『フランク・ヨーロッパ』、その経済的繁栄の枢軸地帯としての『ロタリンギア』、そしてロタリンギアの南側の経済繁栄地帯としての『ロンバルディア』、北側の経済繁栄地帯としての『ブルゴーニュ公国』というスキームを設定
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村山茂樹 @Clunio

歴史を眺める時、現在の『主権国家』の版図の枠組みを過去に敷衍して眺めようとすると、そのスキームに幻惑されて歴史を規定してきた真のスキームを見逃してしまうことが多い。

2011-06-18 04:30:03
村山茂樹 @Clunio

逆に、現在の主権国家の提示するスキームが形成されてくる『原型』となった歴史的スキームが、意外に現在を理解するためのスキームとしても有効でありうる事が少なくない。

2011-06-18 04:33:40
村山茂樹 @Clunio

そうしたスキームの例として、西欧を理解する枠組みとしての『フランク・ヨーロッパ』、その経済的繁栄の枢軸地帯としての『ロタリンギア』、そしてロタリンギアの南側の経済繁栄地帯としての『ロンバルディア』、北側の経済繁栄地帯としての『ブルゴーニュ公国』というスキームを設定してみたい。

2011-06-18 04:53:20
村山茂樹 @Clunio

言うまでもなく、所謂ルネサンスは『ロンバルディア』に割拠する諸都市国家によって担われたものである。そしてまた無視し得ないフランドル地方の『北方ルネサンス』とは、正に『ブルゴーニュ公国』の国内で撫育されたものであったのである。

2011-06-18 04:58:33
村山茂樹 @Clunio

そしてまたこの南北ルネサンスの地を結合するアルプスの峠を扼し、同時にアルプスの谷々に割拠する剽悍なる牧民戦士の自治の結節点となって支配力を保持する都市国家群の盟約連邦こそが『スイス』に他ならない。

2011-06-18 05:03:33
村山茂樹 @Clunio

カール大帝のカロリング朝フランク王国(狭義のフランク王国がランゴバルド王国、ザクセン族部族国家を併呑した拡大国家)に由来するフランク・ヨーロッパは、この人口稠密回廊であり経済繁栄枢軸としてのロタリンギアを中央に、西に『イル・ド・フランス』を拠点とするカペー家の男系万世一系の王権、

2011-06-18 05:11:24
村山茂樹 @Clunio

東に有力諸侯の手による選挙王政によって『ローマ王』に選ばれ、そしてローマ教皇によって『ローマ皇帝』に加冠される帝権を発達させてきた。

2011-06-18 05:15:32
村山茂樹 @Clunio

これらの東西の王権、帝権は、カロリング朝フランク王権の正統を引き継ぐ性格のものであるが、ある意味、軍事指揮権としての王権、帝権が東西に偏在する形になったと言える。これは、カロリング朝崩壊期のフランク・ヨーロッパへの外的侵入に対する防衛戦への対応に即した体制と読み替える事が出来る。

2011-06-18 05:20:36
村山茂樹 @Clunio

つまり、ガリアにおけるセーヌなどの大河がいくつも入り組んだ『川中島』たる『イル・ド・フランス』に拠点を置いたユーグ・カペーの一党は、正にガリアを荒らしまわったスカンジナビア人、デーン人といった北欧人に対する防衛戦の指導者として頭角を現した一族であった。

2011-06-18 05:25:16
村山茂樹 @Clunio

そしてもう一つ忘れてはならない集団がある。イル・ド・フランスよりさらに西。ガリア北西部の沿岸地帯に他の北欧人の侵略を防ぐために一種の傭兵集団としてカロリング朝の王より入植を認められた、首領、徒歩のロルフ(ノルマンディー公ロロ)に率いられたスカンジナビア人の一党である。

2011-06-18 05:30:49
村山茂樹 @Clunio

こうした事情は東でも同じであった。東では、ユーラシア大陸主要部の遊牧国家勢力が、パンノニア平原、つまり現在のハンガリー国家の位置する盆地状の草原を橋頭堡にして何度もフランク・ヨーロッパへの遠征を図った。

2011-06-18 05:36:24
村山茂樹 @Clunio

こうした中で、かつてフランクに征服され、屈服したザクセン勢力がフランク・ヨーロッパ頭部の防衛の軍事的主力として台頭してくる。やがて、帝権は彼らの手に帰するであろう。

2011-06-18 05:38:46
村山茂樹 @Clunio

つまり、フランク・ヨーロッパは経済枢軸のロタリンギアを中心に、東西に強力な軍事勢力が配されている、という構造になっているわけなのだ。これを前提に考えると、歴史の見え方が随分と変わってくる。

2011-06-18 05:42:35
村山茂樹 @Clunio

例えば、『イングランド史』である。

2011-06-18 05:43:57
村山茂樹 @Clunio

イングランドは小国割拠の時代からウエセックス(ウエスト・サクソン)王国による最終的な統一のプロセスのあたりは、北欧のデーン人の侵入、入植、デーン人との戦争との絡みが色濃く影を落としている。一時はデンマークに征服されて同君連合になっていた時期もあるほどである。

2011-06-18 05:52:41
村山茂樹 @Clunio

さらにこの統一イングランドが、件のノルマンディー公国に征服され、ノルマンディー公がイングランド王を兼ねる、という事態に陥る。さらに、ノルマンディー公の地位は政略結婚でガリア南西部に広大な版図を持っていたアンジュー伯に相続される。

2011-06-18 05:59:18
村山茂樹 @Clunio

つまりアンジュー伯は広大な領地を手に入れただけでなく、剽悍な北欧系戦士団も家臣として相続したわけだ。俗にイル・ド・フランスの王と対峙するこのアンジュー伯兼ノルマンディー公(兼イングランド王)の巨大な版図を、『アンジュー帝国』等と呼んだりする。

2011-06-18 06:01:45
村山茂樹 @Clunio

では、領地経営の立場として、フランク・ヨーロッパ西部の軍事的覇者であるアンジュー帝国の当主たるアンジュー伯にとって、イングランド王を兼ねる事は、どんな意味があったのだろう?『王』という称号でイル・ド・フランスの王と対等になれるから?いやいや、それだけじゃぁないのです。

2011-06-18 06:04:54
村山茂樹 @Clunio

まず、軍隊を維持し、戦争をするには金がかかる。それなりの経済的な裏づけが必要だ。領地経営はそれを保証するだけのうまみがなければならない。当時のイングランドにはそれがあった。実は中世初期のイングランドは欧州随一の銀の産出地だったのです。

2011-06-18 06:07:46
村山茂樹 @Clunio

それ故、アンジュー伯領有のイングランドは、銀貨の生産地であり、フランク・ヨーロッパ域内への主要な銀貨の配布源であったのです。

2011-06-18 06:09:29
村山茂樹 @Clunio

そういえば、イングランドというのは肝心な時に肝心な地下資源が出てくる島のようで、青銅器時代には錫の重要な供給地のひとつであったようなのですね。錫というのは銅よりも産出地が限られ、流通ルートが非常に重要な意味を持ってくる。

2011-06-18 06:12:15
村山茂樹 @Clunio

それからもう一つ。イングランドが服属させた、ウェールズ。ここは優秀な長弓兵団の供給地でした。

2011-06-18 06:13:50
村山茂樹 @Clunio

欧州人というのは、ギリシア人を含めて、なぜか飛び道具を嫌うのですね。刀、槍の白兵肉弾戦こそが正統な戦闘だと心の底から信じていて、弓矢のような飛び道具を正統な武器としては嫌悪する傾向にある。禍々しい妖術的兵器か、さもなくば弱者に与えるべき兵器と看做す性向です。

2011-06-18 19:04:48
村山茂樹 @Clunio

だからこそ、火器の時代に入ってもなお、射撃の後の銃剣突撃こそを真の兵士のあるべき姿としてこだわり、第一次大戦の機関銃の十字射撃の戦法の完成した時代になっても士官を先頭にしての銃剣突撃を繰り返し、膨大な士官と兵士の損耗を招いたのです。

2011-06-18 19:11:24
村山茂樹 @Clunio

これは弓矢にむしろ破魔の聖なる力を見た、日本を含む他のユーラシア諸地域と非常に異なる心性でした。そして、この陸軍の白兵戦へのこだわりを『軍制の近代化』として日本陸軍に定着させる事がほぼ完成したのが、第二次大戦の時であったわけです。

2011-06-18 19:14:46