「徳久保には主が住んでいる。もう人の住む場所ではないのだ。」地図から消えた集落を航空写真から見つけて訪れた人のレポ

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R774@まとめ屋 @kendou774

スレッドにします。 『はるか山奥に何かが見える』険しい山々の連なる三遠南信。この山深い地域の航空写真に何かが見える。地図に記載は無く、とても人が住むような場所には見えない。しかし、そこには地図からは消え、人々の記憶からも消えようとしている集落があった。『徳久保集落』に行ってみた。 pic.twitter.com/dICMYqa4fR

2020-06-07 13:02:11
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三遠南信の航空写真を眺めていた時、はるか山奥に何かが見えた。よく見ると建物のように見えるが、地図には見当たらない。その立地から山小屋程度に考えていたが、調べてみると、ここには集落があったというではないか。徳久保(とっくぼ)と言われる集落は、一体どのような集落だったのだろうか。 pic.twitter.com/j7LFOSWOOx

2020-06-07 13:03:07
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徳久保集落は、水窪町でも天竜川沿いの門谷区に属し、その門谷区内の集落において、最も標高が高く、最も山深い場所に位置する。地形図にある通り、徳久保は全方向を急な斜面に囲まれ、人里はおろか、車道からも相当離れた場所である。それ故、徳久保へのルートは、いずれも長い山道を歩く必要がある。 pic.twitter.com/ubPhagpGXr

2020-06-07 13:04:28
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徳久保へ至るルートには、塩沢、翁川、県境のルートがあるが、今回は県境からのルートを利用した。まずは、天竜川林道で長野・静岡県境へ向かう。天竜川林道は、この地域に点在する集落を結んでいる。急斜面に散らばる集落は、まるで天空の集落のようであり、何度通っても"凄い"と思わされる。 pic.twitter.com/8t3L07xy2R

2020-06-07 13:06:48
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『上平(うえだいら)集落』 事前に徳久保について調べたが、情報は極めて少なかった。水窪町史にも殆ど載っていない。それならばと、近隣の上平を訪ねてみた。しかし、人影が全くないのだ。あるのは、整然とした茶畑と、物音一つしない家屋群。既に現住でないのだろうか…仕方なく、上平を後にした。 pic.twitter.com/BjoZADg4f0

2020-06-07 13:08:35
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標高は約580m。県境の南方、『栗橋』と呼ぶ小さな橋の脇に作業道がある。これが徳久保集落への入口だ。県境からのルートは、地理院地図の記載とは異なり、一つ隣の谷間から登っていく。地理院地図に記載のある県境の道は、廃道になっているという。熊・山蛭対策を行い、徳久保への山道に入り込んだ。 pic.twitter.com/qF9IJNuwO6

2020-06-07 13:09:59
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川沿いを100m進むと、『徳久保登り口』と描かれた標識が現れた。山に生きる会という、水窪で精力的に活動されるNPO法人が設置したものだ。ここから斜面に取りかかる。傾斜のきつい斜面だが、踏み跡と道標(リボン)があるので、これに従って登っていく。それでも、時々、道をロストしてしまった。 pic.twitter.com/sRf1PuJCkZ

2020-06-07 13:12:16
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整然とした森の中を急な登りは続く。時々石垣が現れるが、以前は耕作地だったのだろうか。そう疑問に思う余裕もなく、ひたすら登り続ける。直線距離では僅かだが、標高差は約350m。登るに従って、足場の嫌らしい箇所が出てくる。更に登り続けること約90分で上空が明るくなり、尾根が見えてきた。 pic.twitter.com/hWz75GJEkd

2020-06-07 13:14:35
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標高は約930m。斜面を登りきった先の尾根には、立派な道が通っていた。路肩には石垣が積まれ、今まで通ってきた山道よりも幅広だ。かつて、この尾根道が徳久保集落、更にその先の水窪の街へと至る主要道だったのだろう。ここから先は、危なっかしい箇所があるものの、斜度は殆どなく歩きやすい。 pic.twitter.com/pxfa5M7oVN

2020-06-07 13:16:26
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標高は約960m。周囲の地形が徐々に穏やかになってきた。このあたりの緩斜面は地滑り地形だろうか。平地と言っても過言ではないくらいに広く、緩やかな斜面だ。等間隔に並んだ木立の中には、倒された木々が集められていた。倒されてから随分時が経ったようで、木々はすっかり苔生していた。 pic.twitter.com/WrvqoeOe0c

2020-06-07 13:18:04
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『徳久保集落』 倒された木々の向こうに一軒の家屋が見えた。この辺り一帯に下草はなく、大きな木々の下には広々とした空間が広がっている。整然と石垣が並び、神秘的とも言えるような雰囲気を醸し出していた。かつての常住は1世帯、炭焼を生業とし、自給自足の生活を営んでいた。 pic.twitter.com/FCkwiZyV5y

2020-06-07 13:19:52
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徳久保集落に1軒だけ残る家屋。人が住まなくなってから随分経っているようで、建物は相当傷んでいた。造りもかなり古い。まさに山仕事の家屋といった感じだ。家屋の周囲には、ビニールシートやチェーンソー、酒瓶が見られる。住まなくなった後も、作業小屋として比較的最近まで利用されていたようだ。 pic.twitter.com/BtMyLPt5PU

2020-06-07 13:21:57
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集落内には生活の痕跡が無造作に散らばっていた。家屋のそばには数基の墓石があった。多くは倒され、一墓だけが残っている。しかし、その一墓もお参りに来る人は無いのだろう。徳久保は終焉を迎えた集落なのだ。それにしても、この墓数からすると、それなりの人数が住んでいたのではないだろうか。 pic.twitter.com/Tf7qGjtQz7

2020-06-07 13:23:45
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『ネズコの巨木』 徳久保集落を見下ろすかのように、ネズコの巨木が聳えていた。樹齢は800年と言われ、鎌倉時代から徳久保の地を眺め続けている。ネズコの巨木を見学するために色々な人がやって来たそうだ。徳久保に住む人がいなくなっても、ネズコの巨木は何も変わること無く、この地に残り続ける。 pic.twitter.com/Bly3oQokk0

2020-06-07 13:26:20
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ネズコの先には、トタンが転がっている…と思っていたが、それは祠であった。見事なまでに朽ちている。何とも無残な姿だ。住人がいなくなった集落の成れの果てである。虚しくなりながらも、集落内を彷徨い続けた。 pic.twitter.com/bPFNt0HNhJ

2020-06-07 13:27:27
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『神社』 荒れた神社に手を合わせた。徳久保は僅か数世帯の小さな集落だったが、神社があった。社殿は歪みながらも辛うじて残っていた。しかし、内部は激しく荒れていた。御神体は既に移されているようだ。そして、写真(3枚目)を上向きで写しているのには訳がある。それは後述する。 pic.twitter.com/QbMsQqhR1v

2020-06-07 13:34:22
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これを見た瞬間、確信した。徳久保には主が住んでいる。もう人の住む場所ではないのだ。神社内に残されたモノは、その警告だろうと解釈した。これ以上の長居は無用だ。足早に徳久保を後にした。この後、脇目も振らずに帰路を急いだ。登りは90分かかった急斜面も、50分ほどで下りきることができた。 pic.twitter.com/J3jGmio8aE

2020-06-07 13:36:11
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徳久保集落の帰り道、塩沢集落に寄ってみた。徳久保の属する門谷区(塩沢集落)の区長であれば、何かご存知かと思ったのだ。区長ご夫妻は、徳久保について快く教えてくださった。『集落が無くなったのは20年かもっと前。住人がいなくなったのは20年くらい前。(住人は)水窪に出た。昔は沢山いただよ』 pic.twitter.com/Hs4jD6mXNu

2020-06-07 13:38:18
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『50年か60年くらい先には5、6軒いた。実際に住んでいたのは1軒。他は余所から来た人が炭焼きしていた』、『徳久保の木は珍しい木だ。よく見に来るだよ。色々な人がいっぱい来た。この頃は来ないけど、お父さんが何回か案内しただよ』、『ここ(塩沢集落)からも行ける。ただ、今じゃ通れるかどうか』 pic.twitter.com/Mv8yxNmXM2

2020-06-07 13:39:48
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一通りお話をお聞きした後、区長ご夫妻にお礼を言って、車を徳久保集落の方向へと走らせた。立ちはだかる山々の中に集落があった。そう分かっていても、この景色からは信じ難かった。 pic.twitter.com/8K2CI1BnFt

2020-06-07 13:40:35
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今回、区長ご夫妻以外に、水窪協業センターにもお話を伺っていた。それらの情報を纏める。『徳久保集落では、林業を生業として生活していた』、『常住していたのは1軒。それ以外は、炭焼で一時的に移住してきた人達であった』、『離村は40年かもっと前。20年前までは、住人の方が戻ってきていた』 pic.twitter.com/pOxGX6ABoX

2020-06-07 13:41:53
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かつて、山の恵みを求めて、多くの人々が山で暮らしていた。しかし、時代の変化と共に山での暮らしは失われていった。こうして、地図からも、人々の記憶からも消えた集落は多い。徳久保集落も同じように地図からは消えた。当時のことを知る人は僅かばかりとなった。 pic.twitter.com/mm4D9qWejl

2020-06-07 13:43:00
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近いうちに人々の記憶からも消えるかもしれない。それでも、ネズコの巨木は徳久保の地に残り続ける。そして、ここに人々の営みがあったことを記憶し続けてくれるだろう。『はるか山奥に見えたもの』それは消えゆく"時代の痕跡"であった。 pic.twitter.com/HPqY0BH5hw

2020-06-07 13:43:57
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