北海の死闘!― 潜水艦鸚鵡貝号よ伝説の海底都市を追え2(#えるどれ)
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たまに食料や燃料を補給してくれる連絡船は積荷を浜の方に置いて行くのに。 しばらく考えてから思い当たる。何か月か前に本土の職工に手紙を送り、白銀侍女の新作人形を注文したのだった。
2020-06-12 21:53:04「何!?ならば傀儡師の使いか!?頼んでいた人形を届けに来たんだな?」 「ちゃう」 また外れだ。いったい何だろう。ひょっとして、灯台島を白銀后ゆかりの地と見なす親衛隊の新派閥ができたのだろうか。 「ならば…何だ…白銀后親衛隊の何派だ!?」
2020-06-12 21:54:22「何派ちゅうのは解らんけど…しいていうなら…ホウキボシ派やろか?」 「…」 そんな派閥があるはずはない。箒星は不吉の兆。輝かしく誰しもを魅するが、やがて災いを呼ぶと言い伝えにある通り。 特定の神話や物語の人物と関係があったか。頭の隅に何かがひっかったが、失望の方が大きかった。
2020-06-12 21:56:52壮漢はややあってから小さく告げた。 「帰ってくれ」 そう呟いて窓を閉じると壁は元通りになる。現代の科学でも解明できない、灯台の工芸と魔法の働きだ。 ムルルゾーはがっかりし、白銀侍女の肖像と写真に囲まれながらさみしげな吐息をした。
2020-06-12 21:58:52「空しい…前回のあざらし祭りで買った本の批評でもするか」 祭りに参加できなかった後悔は燃え立つような学者の研究心さえも鈍らせてしまうのだ。 「はあ…妖精妻が欲しい…妖精妻がいることにしよっか…そうだ…結婚しているという設定を保てばすこしは虚しさがまぎれるのでは?」
2020-06-12 22:00:46だがもちろんそれは過ちだった。 存在しない伴侶をいくら想像しても決して満たされることはない。むしろ虚無を広げるだけだ。 やめようね。 無駄だから。無意味だから。
2020-06-12 22:01:42妖精妻はいない。いいね。 現実を見よう。 「ううー!祭りに参加したかったよう!」 じたばた。 ムルルゾーは駄々っ子のように暴れる。 はーいい年して独り身の男はこれだから。恥ずかしくないの。家族の目がないからそうなるんだよ。
2020-06-12 22:02:41反省して。 妖精妻とか言ってないで反省して。 いい? 「反省しても白銀侍女選抜は見物できないんだー!それがしを慰めてくれる妖精妻も来んのじゃー!だったら反省なんてするかーい!うわーん!!」
2020-06-12 22:04:03こりゃだめだ。 人としてね。だめ。 なっちゃいないですよ。 「ええわい!人間としてなってなくても。研究対象は妖精だから人間離れしとる方がええわい!!」
2020-06-12 22:04:53中年男は逞しい四肢を振り回すのに疲れ、ぐったりと大の字になる。 「はあ…盛り上がりたかったなあ…」 その時。 歌声が耳に届いた。
2020-06-12 22:05:53塔の外から、少女、いや声変わり前の少年だろうか。繊細な喉が紡ぐ、決して大きくはないが、しかし不思議にもぶあつい石壁を徹(とお)ってしずやかに響いてくる。 「お…おお…」 世界間航行。初め穏やかに優しく、やがて弾むように。 狭の大地と至福の地。さらに多くの世界を渡る恋人達の詞と曲。
2020-06-12 22:09:54ムルルゾーは再び窓を開いた。真正面に水着の少女、いや少年がいる。胴をきちんと覆っているあが肩から先と腿から下は剥き出しだ。目深に紅頭巾をかぶっている。 視線が合うと、向こうは一瞬表情をひきつらせてから、人差し指と中指を拓いて、片目にかぶせるようにして目配せした。 星を瞬かすよう。
2020-06-12 22:12:30魅惑に飛んだ不吉な箒星を。 いや妖精の導きの星を。 「うお…うおおおおおおお!!!白・銀・后!!!!!」 感じた。伝わった。 今すぐそこ。手の届きそうな距離に。風雲あざらし祭りは確かにあった。
2020-06-12 22:13:40高さ三丈ほどもある氷の柱に乗った氷の舞台の上で、暗い膚に紅頭巾をかぶり、水着をつけた男児は、軽快で可憐な振り付けとともに歌と踊りを終えたあと、一転して瀕死の重傷を負ったような面持ちになった。 「うう…」 「どうなされた!?」 「…死にたい…」 「!?これほど見事な歌と踊りなのに?」
2020-06-12 22:15:40少年はぐったりとうなだれ、へたりこんだ。みるみる氷が溶けてゆく。 「お待ちを!娘御!いやお若い方!先ほどの!瞳から星を放つがごとき決め仕草!!素晴らしきものでしたぞおお!!」
2020-06-12 22:17:31半禿の学者は急ぎ引力式の昇降機の乗りこみ、一階まで降り、外へ出た。水着の少年は頭巾を抑えてうずくまったっままだ。 「それがしは灯台守のムルルゾー。遠路はるばるようこそおいでになられた同じ白銀后親衛隊の仲間は歓迎する」 「…いえ…別に…ちがいます…」 「何をおっしゃる!」
2020-06-12 22:20:48「ほなお邪魔させてもらお」 岩影からいきなり黒海豹が這い出して来る。 「!?」 今喋らなかったろうか。人語を。変なちゃんぽん訛りの共和国語を。 「腹話術しらん?人形喋らすやつ」 「あ、そういう…」 「人見知りで普通にしゃべるの苦手やと便利やわ」 「なるほどぉ」
2020-06-12 22:22:43黒海豹はべしべしと鰭で男児の水着の背を叩いて合図する。 「そのままやと風邪ひくやんか?中入ろ?」 「…はえ…」 腹話術とは何と器用なのだろう。まるで一人と一匹で会話しているようだ。
2020-06-12 22:24:31学者は海豹使いの少年を中へ迎え入れた。 つい繁々と観察する。先ほどの謎の男と似ているがずっと華奢で、どこか女童のようなたたずまいがある。 「…ううむこれは」 「どうも…」 しかし何か暗い。というか疲れているようだ。 確かにあの歌と踊りは体力を使うだろう。あまり丈夫そうでもないし。
2020-06-12 22:28:27「お名前をうかがってもいいかな?」 「…クレノニジ…です」 「クレノニジ…なんと雅やかな…ところで何派でいらっしゃる?」 「とくにないです」 「明かせぬのか…それがしは海精派だ」 「…すいません。知らなくて…」
2020-06-12 22:31:28クレノニジとおつきのあざらしを昇降機に導き、二階の応接室に使っている部屋に通すと、椅子を勧め、お茶を淹れる。 ややあって少年は頭巾の奥から封筒を取り出す。 「あの…リンディーレ教授からの…紹介状を…」 「何?白銀后関連ではなく学問の都から?なぜ先に言わん?」 「ほんとに…」
2020-06-12 22:34:09少年は一瞬だけ恨みがましげに黒海豹を見やるが、獣の方はごろごろと絨毯の上を転がっている。 「ま、ええやんか。むちゃよかったわ。音も匂いも」 「…そう…かな…」
2020-06-12 22:35:51ムルルゾーは手紙を読みふけってから、視線を上げる。 「済まないが…クレノニジさん…頭巾を…とってもらう訳にはいかないだろうか」 「…はえ」 「耳のことは承知している。私はただ見たいのだ」 「わかりました…」
2020-06-12 22:37:43少年が紅頭巾を脱ぐと、艶やかな黒髪とともに尖り耳があらわになる。 「…うむ…この手紙と…その耳を拝見しても…まだ信じられなかったろうが…先ほどの歌と踊りは…長年東西を問わず多くの親衛隊員の芸を見聞きしてきたそれがしにも…この世のものと思われぬ見事さだった」 「…ちがいます…」
2020-06-12 22:39:51弱弱しい否定を無視して、壮漢は力強く告げる。 「まさしく…妖精の子孫にほかならない!闇妖精なるリンディーレ君の仮説にはいまだ首肯しかねるが…しかし妖精の血は確かなものだ」 「…はえ…」
2020-06-12 22:41:52