コロンブスは喚ばれ続ける —人物像の破壊、保存、そして歴史の形成—

備忘用まとめ。像や建造物の破壊の歴史を辿りつつ、倒されてしまった像はむしろこれから歴史を生み出すものになるはずだと述べました。その一方で、像がこのまま打ち捨てられるのではなく、きちんと保存されてほしいことも強調しました。
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アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

そうすれば、特定個人に帰される「行為」をこんにちの、あるいはこれからやってくる未来においても、様々な文脈で対話・批判・分析を許すものになるはずですから。 とはいえ、最終的には、当地の市民たち当事者たちの意見が最も活かされるべきだとは思います。

2020-06-14 02:33:09
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

眠くなってきたので、そろそろ結論じみたことを。 コロンブスを含め、今回引き倒されてしまったり落書きされてしまった像に関してですが、一連の行動で歴史が「破壊」されたり「抹消」されたりに繋がるものではないでしょう。むしろ新たな意味を生成するものになるはずです。

2020-06-14 02:35:19
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

コロンブスは水底へと沈むことなく、これからも様々な形で「喚ばれ続ける」ことでしょう。(了) pic.twitter.com/dxjNGwemp6

2020-06-14 02:38:14
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2.永久に失われる可能性と、永久に失われた例

アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

追記。「かつて倒された忠魂碑・記念碑の数が今はもうわからなくなっていることを考えると、事態はより深刻なのでは?」という御趣旨のツイートについて。 おっしゃる通り、放縦な像の破壊は看過しがたいところがあります。 twitter.com/yskmas_k_66/st…

2020-06-14 14:06:33
アザラシ提督 @yskmas_k_66

像の破壊、個人的にはいろいろと思うところはあるのですが、ああいった行為は「記憶/過去/歴史の破壊」よりも、「記憶/過去/歴史の生成」といった意味合いの方が強いと思います。

2020-06-13 23:32:43
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

我々だけでなく、未来の人々のために、その像と、像に付随する歴史と対話するため、適切な保護・保存が必要だと思います。

2020-06-14 14:07:41
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

そして、確かに我々人類の歴史を振り返ると、もう誰も正確な数や実態を把握できない事例が多々あります。大雑把に以下のように分類可能でしょう。

2020-06-14 14:09:35
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

A) そもそも破壊の痕跡・記録すら残っていないもの。 B) 文字史料に破壊の記録が残っているもの。 C) 文字史料がなくても破壊の痕跡が見受けられるもの。 D) 文字史料以外に、実際の遺物などモノ資料が残っているけれど、もはや細部がわからないもの。

2020-06-14 14:11:18
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

A)に関しては、文字を持たない人々は歴史上数多くいますし、文字という形で記録を残さなかった人々もいます。写本伝承の過程で消え去ってしまったものもあるはずです。これらについては今後考古学の調査などで偶然明らかになるかもしれません。それを踏まえて、新たな対話が生じることになるでしょう。

2020-06-14 14:14:48
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

B)ですが、それではお手元の『ロシア原初年代記』をご覧ください。 #おい 6496(988)年、キリスト教の洗礼を受けたウラジーミル1世が「偶像をひっくり返し、あるものは切り、また他のものは火にかけ」てしまいました。それまであった神様の像を壊しているわけですね。

2020-06-14 14:20:25
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

これらの神々、ペルーン、ホルス、ダジボーグなどの像ですが、もともと980年にウラジーミルが設置したものです。こうした神々はルーシの人々で広く崇拝されていたようで、ペルーン像がドニエプル川に沈められることになった際「人々はそれを悼んで泣」きました。 pic.twitter.com/ZFk2QRJ3Xq

2020-06-14 14:27:31
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アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

結局ペルーン像はドニエプル川に投げ入れられ、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと川を下り、中洲に打ち上げられました。人々はその中州を「ペルーンの中州」と呼ぶようになりました。 #どっとはれぇ

2020-06-14 14:29:59

× 中洲に打ち上げられました
◯ 中州に打ち上げられました

アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

……長々と引用しましたが、これ自体は、年代記史料の中の挿話の一つに過ぎません。正確な規模や数は記録されていませんし、その詳細も靄がかかっています。

2020-06-14 14:32:54
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

ただ他の史料、『聖ウラジーミル伝』『ロストフの聖アヴラーミイ伝』『ノヴゴロド第一年代記』を繙くと、同じように土着の神様の像を川に捨てたり、それだけでなく、像や神殿の跡に教会を建設したという記述を見つけることができます。

2020-06-14 14:36:21
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

キリスト教受容後の、こうした偶像破壊にも関わらず、特にヴォロスという豊穣神は民衆の中に根強く残り、聖ヴラーシイ崇拝と習合することになりました。 pic.twitter.com/5FYu9OB21x

2020-06-14 14:37:30
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スラヴ神話の神々については國本哲男ほか訳『ロシア原初年代記』名古屋大学出版会 1987年 357〜358, 403〜404頁とCross, S.H. & Sherbowitz-Wetzor, O.P., The Russian Primary Chronicle: Laurentian Text, Cambridge, Mass., 1953, pp. 226-227.から基本的な情報を学べます。
キリスト教伝来後のヴォロス像の破壊や聖ヴラーシイ信仰への習合については、中堀正洋「中世ロシアの異教神ヴォロスの機能に関する一考察」『ロシア語ロシア文学研究(45)』2013年、とりわけ100〜104頁が参考になります。(この論文自体はヴォロスと天体、月やプレアデス、あるいは冥界との関係について検討したもので、その点についても非常に興味深いものです)

アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

今回はなんとなくルーシにおける偶像破壊の例を取り上げましたが、こうした事例はそれこそヨーロッパ各地の年代記、伝記、サガなどに記録されています。あるものはキリスト教社会の中で変容し、さながら水脈のように生き続けたものもあります。

2020-06-14 14:38:53

「こうした事例」としては例えば、トゥールのグレゴリウス『歴史十巻』2巻31章、スノッリ・ストゥルルソン『オーラヴ聖王のサガ』60章、『テオファネス年代記』726年の条。
キリスト教到来後のヨーロッパ世界において異教的なものが残り続けたことを検討した著作・論文は多数ありますが、ここでは私が大学在学中〜卒業後に読んで、特に面白いと感じた著作を以下に紹介するにとどめたいと思います。
・小澤実・薩摩秀登・林邦夫『辺境のダイナミズム』岩波書店 2009年
・原聖『ケルトの水脈』講談社 2007年
・ポイカート, W.-E.(中山けい子訳)『中世後期のドイツ民間信仰』三元社 2014年

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C)に関しては、前13世紀末のミュケナイ文明の諸宮殿の崩壊を思い浮かべていただければと思います。文字情報の欠如のせいで、この原因も過程も決定的な正解を導くには至っていません。おそらく複合的な理由があったのだろうと考えられます。 pic.twitter.com/dVLEikLuRL

2020-06-14 14:40:25
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アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

D)に関しては、忠魂碑のほか、廃仏毀釈が我々にとって身近なものとして挙げられるでしょう。 ここで少し脱線させてください。私は鎌倉という町が好きで、上京するたびこの町のお寺や神社を巡ることにしています。

2020-06-14 14:46:27
アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

そのうちの一つ、鎌倉駅西口から歩いて5分ほど、扇ガ谷の海蔵寺や浄光明寺へ向かう途中に寿福寺というお寺があります。寿福寺は横須賀線の線路を挟んで小町通りの反対側、銭洗弁天に近いといえば近いですが、寄り道という感じの立地ではありません。 pic.twitter.com/4ouGmjm6Ka

2020-06-14 14:47:59
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あとあれです「シン・ゴジラ」のワンシーンに使われた場所が近くにあります。 pic.twitter.com/5quLoDRtWD

2020-06-14 14:49:37
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ぶっちゃけて申し上げると、そんなに人が多くないところなので、私はこのお寺に好んで足を運びます。 さて寿福寺には、普段は非公開ではありますが、仁王像が安置されています。 pic.twitter.com/qTndP0FIHz

2020-06-14 14:52:40
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アザラシ提督【休職・療養中】 @yskmas_k_66

この仁王像はもともと鶴岡八幡宮”寺”のものでした。ですが明治期の廃仏毀釈の荒波の中で、寿福寺に移されました。このほか、銅造薬師如来坐像・源実朝像・栄西像も難を逃れ、今はこの寺にあります。 (『神奈川県の歴史散歩(下)』山川出版社 2005年 32頁)

2020-06-14 15:09:56