「中田敦彦のYouTube大学」の諸問題②: 特に古代ギリシアの植民市を巡って
- yskmas_k_66
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以前、中田氏の別の動画を批判したことがありました。
その時のツイートをまとめたものがこちら。
民主政の成立とか、ソクラテスの「無知の知」とか、ペルシアの説明からしてめちゃんこ怪しいけど、それより何より根本的・基本的な間違いの指摘をしないとだ。
2020-03-14 13:18:18【YouTube大学「世界史2020年版 西洋史①古代・中世ヨーロッパ編」(youtube.com/watch?v=iXoEo8…)の誤り】 ①ビュザンティオン、ネアポリス、マッサリアはアテナイの植民市ではない。 ②ペロポネソス戦争におけるアテナイ・スパルタの消耗が原因でマケドニアが台頭したわけではない。
2020-03-14 13:22:55③カイロネイアの戦いは、アテナイ・テバイを主としたギリシア諸ポリスの連合軍対マケドニア王国の戦い。スパルタは参戦していない。 ④アレクサンドロスの遠征に対抗するためにマウリヤ朝が成立したわけではない。ナンダ朝を倒す形で成立した。
2020-03-14 13:26:01あ、でもアレクサンドロスの死因がマラリアだ、説明していたのは素晴らしい。 面白おかしな陰謀論を持ち出さず、研究者間でもきちんと検証ができていて、多分これじゃないかと蓋然性の高いやつを採用してる。 (cf. 森谷公俊訳・註『新訳 アレクサンドロス大王伝』河出書房新社 2017年 437〜439頁)
2020-03-14 13:39:29誤字訂正
×「マラリアだ、」
○「マラリアだと」
それにしても植民市の建設とか、割とめんどくさい(失礼!)話を持ち出してきたな……。 twitter.com/yskmas_k_66/st…
2020-03-14 16:15:39せっかくなので、そういう面倒くさい話が好きな方向けにちょっと解説しておきましょうかね。 ずばり、ビュザンティオン、ネアポリス、マッサリアはどこの植民市なのか? #需要あるんかこれ
2020-03-14 16:17:54まず、ビュザンティオンはメガラの植民市だったとする古典文献と、そうではなくミレトスの植民市だったとする古典文献と、二つの異なる伝承が存在する。 pic.twitter.com/C30ZWdWsca
2020-03-14 16:19:56ビュザンティオンがメガラの植民地だと記述するのは偽スキュムノスの『周航記』717節とフィロストラトスの『ソフィスト列伝』1巻24章。ミレトスだとするのがウェレイウス・パテルクルスの『ローマ世界の歴史』2巻7章7節。
2020-03-14 16:21:57これは多分、メガラを中心にいろんな近隣諸国からも入植者がやってきたことを示すものと思われる。アリストテレスも、ビュザンティオンに最初の植民者の次に別の植民者が来て、彼らの間で内訌(スタシス)が発生したと述べている(『政治学』1303a)。
2020-03-14 16:26:17ちなみにこの内訌の発生時期は紀元前5世紀以前、アーケイック期と推測されている(Gehrke, H.-J., Stasis, München, 1985, S.34.)。
2020-03-14 16:33:30このような内訌を経たビュザンティオンにおいて、メガラにルーツを持つ者たちが有力となったらしいというのは、ビュザンティオンでドーリア方言(メガラではこの方言が使われた)が使われた点、守護神や国制の一部にメガラと共通するものが導入された点などから推測されている。
2020-03-14 16:35:58ではビュザンティオンはいつ建設されたのか。 ヘロドトスによると「ビュザンティオン建設の17年前にカルケドンが建設された」(『歴史』4巻144章)らしい。
2020-03-14 16:38:37エウセビオスら、後代の年代記作家もビュザンティオンの建設年を記録していて、(史料と写本のそれぞれに多少の食い違いはあるけれど)それらを比較検討すると、ビュザンティオンの建設年はだいたい紀元前660年ごろであると考えられる。
2020-03-14 16:41:06次にネアポリス。ここはキュメ人がはじめに入植した。 考古学的な検証を踏まえると、建設の年代は紀元前470年くらいのことではないかと窺われる。 pic.twitter.com/MY8wDwjO4B
2020-03-14 16:45:48やがて、ピテクサイ、カルキス、アテナイといったポリスもまたこの地に追加植民を行い、その時に初めて「ネアポリス」と呼ばれるようになったという(ストラボン『地理誌』5巻4章7節)。
2020-03-14 16:47:13「ちょっと待った、じゃあアテナイの植民市でもあるのでは?」という具合に中田さんを擁護できるかというと、決してそうではない。 なぜなら最初に建設に着手したのはキュメの人々だし、他のポリスの活動を無かったことにすることはできない。
2020-03-14 16:48:47ちなみに、ネアポリスができる前、この地には「パルテノぺ」というポリスがあったらしいが、両者の関係性はよく分からない。パルテノぺがポリスだとする史料もかなり後の時代になってから書かれたもので、本当にポリスだったのかどうかは不確か(ビュザンティオンのステファノス s.v. Παρθενόπη)。
2020-03-14 16:50:20最後にマッサリア。このポリスはフォカイア人が建設した。こちらも建設の年が前600年と前546年と2つの異なる伝承があり、植民を主導した人物の名前も史料によって違う。 マッサリアについて詳しいことは深沢克己先生の『マルセイユの都市空間』(刀水書房 2017年 16〜20頁)をご覧いただければと。 pic.twitter.com/HAQhL19QLX
2020-03-14 16:54:05……とまぁ植民市を「いつ・どこのポリスが・誰が主導して」作ったかって、このように一皮剥くと結構面倒くさい。史料批判だけでなく、古代史や考古学の研究の蓄積を踏まえてものを言わないといけない。(了)
2020-03-14 16:56:40そうだ。きちんと参考文献を挙げておきましょう。 ①植民市について Hansen, M.H. & Nielsen, T.H. (eds.), An Inventory of Archaic and Classical Poleis, Oxford, 2004, pp. 165-167, 283-285, 915-918.
2020-03-14 21:45:15②アレクサンドロス以前のギリシアとマケドニアの状況 森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』講談社 2007年 57〜59, 67〜73頁 ③カイロネイアの戦い 澤田典子『アテネ 最後の輝き』岩波書店 2008年 63〜65頁 ④マウリヤ朝の成立 山崎利男『悠久のインド』講談社 1985年 59〜60, 74頁
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