(随時更新) 日本の空襲の痕跡 [東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・広島]
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ボーイング B-29
愛称は「スーパーフォートレス」(超空の要塞)
1942年9月21日に初飛行。空力的および構造的のどちらに関しても他国の爆撃機どころか同国の機体よりも一世代先を行く高い性能を有する戦略爆撃機。最高速度は576km/h、航続距離は5,230kmで爆弾倉には9,070kgの爆弾を搭載できる。武装は胴体上下2基ずつ設置された遠隔操作式のブローニング12.7mm重機関銃の連装銃塔と尾部に同じく12.7mm重機関銃3基の計11門。機体も非常に頑丈であったために、高度9000m以上を遊弋するB-29には日本軍の高射砲どころか戦闘機でさえも迎撃は難しかった。こうした度重なる空襲と機雷敷設により日本本土が完全に封鎖され無条件降伏するに至ったのである。
「スーパーフォートレス」B-二九 この時点でB-29のスペックが航続距離を除いた数値が認知されていたことがわかる。この雑誌が販売された2ヶ月後に日本軍は初めてB-29と戦闘、さらに10ヶ月後にはこの機体の大編隊による大規模な絨毯爆撃が始まった。日本人にとっての悪魔が認知された瞬間かもしれない。 pic.twitter.com/F3UBLMgu70
2018-11-18 22:48:54B-29の兵装
いずれも東京都墨田区横網にある江戸東京博物館の所蔵品です。主兵装である焼夷弾は空中にて広範囲に拡散し、都市部でも木造建築が多い日本家屋に対して非常に有効でした。
M50 4ポンド焼夷弾と弾筒 1.8kgのテルミット・マグネシウム弾 形状は六角柱で110束をまとめて投下する。束ねたものをM17 500ポンド集束焼夷弾と呼ぶ。 pic.twitter.com/VFlZgz6d8x
2020-01-31 12:13:37M64 500ポンド爆弾不発弾(複製) 集束焼夷弾の弾頭部 焼夷弾子弾の弾筒 集束焼夷弾のスチールベルト 不発弾はここ(江戸東京博物館)で見つかったものらしい。 pic.twitter.com/CtRUZgKTqY
2020-01-31 18:03:15B-29搭載ブローニングM2 12.7mm重機関銃 昭和19年12月3日に中島飛行機武蔵製作所などを空襲した86機のB-29のうち、千葉県上空にて三式戦闘機「飛燕」に撃墜された1機に搭載されていたもの。この日は5機のB-29が撃墜され、約180名が空襲の犠牲となった。 pic.twitter.com/7EpIppzX4Q
2020-01-31 11:53:33東京都に残る空襲の痕跡
日本橋の焼け跡 および 焼夷弾の着弾跡
場所:東京都中央区日本橋
古くから江戸の観光地であった日本橋には空襲の痕跡が残っており、橋の脇には焼夷弾による焼け跡が、石積みの床には焼夷弾が着弾した六角形の跡が見られます。
同じく日本橋 焼夷弾の直撃跡(たぶん) 焼夷弾の子弾はだいたい5-6cmほどの六角形なのでそれらしい穴を厳選してみた。 pic.twitter.com/MYuysSRx5Z
2020-01-31 17:54:27同じく日本橋 焼夷弾の直撃跡 こちらのはコンクリートで補修されているとネットに書いてあった。たしかに3枚目のは六角形に見えなくもないうえに、4枚目に至ってはヒビ割れているのがわかる。 pic.twitter.com/YlsUnIMPP2
2020-01-31 17:57:58鎌倉橋の機銃掃射跡
場所:東京都千代田区大手町
日本橋と同じく首都高直下に架かる鎌倉橋には機銃掃射の弾痕が残っています。反対にこちらには焼夷弾の命中跡は見られませんでした。
平河天満宮の機銃掃射跡
場所:東京都千代田区平河町
半蔵門近くの平河天満宮には江戸時代後期に建てられた銅の鳥居が現存しており、第二次世界大戦にてつけられた機銃掃射の跡が残っています。
平河天満宮の機銃掃射跡 千代田区平河町にある平河天満宮は宮城(皇居)から一番近い神社として古くから親しまれていた。境内には弘化元年(1844年)に麹町周辺住民より奉納・建設された銅鳥居が現存しており、第二次世界大戦末期の空襲にて受けた機銃掃射による弾痕がいくつか残っている。 pic.twitter.com/qvflQuno6r
2020-08-14 11:43:43手を添えるとこんな感じ 機銃掃射跡はいずれも12.7mmなので比較がしやすい pic.twitter.com/v9O6NXBh4J
2020-08-14 12:23:12ほとんどの弾痕は向かって左側の柱にあったが、右側の柱にも1つあった。穴の数を数えてみたところ、14箇所の弾痕を確認した。また弾痕はいずれも本殿側につけられていたので、南西から宮城や靖国神社の方角に向けて発射した機銃弾が命中したと考える。 pic.twitter.com/jYIEQDI7Cz
2020-08-14 17:55:16神田駅の機銃掃射跡
場所:東京都千代田区鍛冶町
JR神田駅西口から南に沿った煉瓦造の高架下の壁にはびっしりと機銃掃射の弾痕が残っています。
鶯谷の機銃掃射跡
場所:東京都台東区根岸
JR山手線鶯谷駅北にある元三島神社の門柱には機銃掃射の弾痕が残っています。
言問橋の焼け跡
場所:東京都墨田区向島および台東区浅草
東京大空襲で特に被害が甚大であった下町の隅田川に架かる言問橋には空襲にて焼死した人々の地と脂が焼け焦げた跡が残されており、現存する空襲の痕跡の中でも苛烈さを極めるものでした。
東京大空襲で焼け死んだ人々の血と脂が焼きつき黒ずんだ言問橋の親柱。 pic.twitter.com/PlD62VwnK4
2020-01-19 20:46:27なお江戸東京博物館には浅草への空襲にて折れ曲がった鉄骨が展示されています。