学校教育について

芦田先生の学校教育についてのつぶやきをまとめました。内田樹先生達との関西フランス語研究会におけるパネルディスカッションの芦田先生分事後報告レポートだそうです。
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@JAI_AN

21-3(承前)…学校中心主義からの転換、教師による『教育』から生徒中心の『学習』への転換です。この理念の延長にいまの教育改革がある。ですから『ゆとり教育』の枝葉については否定できても、その根本理念を否定できる人はいないはずです」(2004年中央公論)

2011-06-27 13:08:51
@JAI_AN

22. 結局、「学校中心主義からの転換」としての生涯学習論は、〈学校教育〉否定論であり、〈学校教育〉以前に〈学びの主体〉を想定する家族=地域論=社会的ニーズ論(キャリア教育)なのである。

2011-06-27 13:09:17
@JAI_AN

23. 高等教育が学生顧客論(学生消費者論)に立つのは、90年代に始まる少子化現象がマーケット主義を増長させるからではない。〈生涯学習〉は元々が顧客=消費者主義。〈学ぶ〉ことは、学ぶ者の〈手段〉にすぎない。

2011-06-27 13:10:18
@JAI_AN

24.通常、生涯学習的な講座の受講者傾向は、学ぶ目的は受講者の側にあり、カリキュラムや科目は手段に過ぎないということにある。何のために役立てるかは、受講者の受講目的次第ということになる。 

2011-06-27 13:10:52
@JAI_AN

25.生涯学習マーケットの大半を構成する社会人がいまさら何の役に立つかもわからないものを自費で受講したりはしないからだ。従って生涯学習講座評価の根拠は受講者の側にある。この種の講座評価が受講生アンケートでなされるのはその意味でのことだ。

2011-06-27 13:11:28
@JAI_AN

26.しかし、〈学校教育〉が対象とする児童・生徒・学生は、まだ社会人のようには〈目的〉を自律的に持てない。この「持てない」というのは、何らかの限界や無能力を意味しているわけではない。

2011-06-27 13:12:04
@JAI_AN

27.何にでもなれるし、何を目的にすることもできるということが、若者(児童・生徒・学生)の、つまり次世代を形成する人材の特質だということだ。

2011-06-27 13:12:32
@JAI_AN

28.〈学校教育〉の対象である若者(児童・生徒・学生)は、〈学校教育〉を通じて目標を見出すのであって、そこに〈学びの主体〉は存在しない。〈学びの主体〉を形成するところが〈学校〉であって、〈学校教育〉は〈学校学習〉ではない。

2011-06-27 13:13:14
@JAI_AN

29.この〈教育〉の「上から」目線、「権力」目線は、〈学校教育〉の対象である若者を家族・地域・社会から引きはがすためのものであって、社会的な階層流動性の原理をなしている。

2011-06-27 13:13:54
@JAI_AN

30.一条校の〈学校〉(学校教育法の第一条「学校とは…」に分類された学校)の〈学校〉に、立派な校門と塀が存在しているのは、家族・地域・社会から〈学校〉が相対的に自立しているからである。

2011-06-27 13:14:25
@JAI_AN

31.この自立性こそ、「ジェネラル」エデュケーションや「リベラル」アーツのパワーを形成している。

2011-06-27 13:14:55
@JAI_AN

32.フィッシュマンの言う「家族の自律性」は子供の教育権を家族(親)が有しているというものだが、これは通常東京の名門私立学校の〈面接〉主義選抜(名門の再生産)を意味している。

2011-06-27 13:15:27
@JAI_AN

33.この点では、「家族の自律性」は階層再生産の原理(メリトクラシー・生活機会の均等と対立する)でしかないが、一方でこの自律性は、どんなに社会から(反社会的な犯罪者として)阻害されても、「この子は私にとってはかけがえのない子供」と言える自律性でもある。

2011-06-27 13:15:51
@JAI_AN

34.つまり「家族の自律性」の反社会性(反メリトクラシー+反機会均等主義)は、それ自体階層の流動化の原理でもある。名門であれ、「下流」であれ、家族は家族なのだ。家族は「社会の基本単位」なのではない。

2011-06-27 13:17:19
@JAI_AN

35.家族の反社会的な閉鎖性はそれ自体、社会的な革命の原理でもある。この閉鎖性の意味が〈学校〉の校門と塀だと言ってもよい。学校の〈校門〉と〈塀〉は、したがって閉鎖的なものではない。「ジェネラル」と「リベラル」の砦なのである。

2011-06-27 13:17:52
@JAI_AN

36.〈学校教育〉の〈教員〉とは、その意味で社会的な〈親〉である。〈親〉が子供満足のために子供を〈育てる〉のではないようにして、〈教員〉や〈学校〉にとって、子供(児童・生徒・学生)は〈顧客〉なのではない。

2011-06-27 13:18:37
@JAI_AN

37.子供は他動詞としての学ぶことの中で、つまり〈対象〉に没入することの中で、学ぶことの目的を見出し、〈主体〉を形成していくのである。〈学ぶ主体〉の〈学び〉が先にあるのではないのだ。

2011-06-27 13:18:58
@JAI_AN

38.「ジェネラル」エデュケーションや「リベラル」アーツにおける〈教養〉主義とは、〈学ぶ主体〉の自主性に収まりきらない或る過剰を意味している。この過剰こそが家族や学校の〈自律性〉を形成している。

2011-06-27 13:19:38
@JAI_AN

39.〈学校教育〉は、臨教審の生涯学習論、受講者を〈学ぶ主体〉と見なす生涯学習論、つまり顧客学習論とは異質の自律的な〈教育〉を有している。

2011-06-27 13:20:03
@JAI_AN

40.〈学校教育〉は、校門と塀によってこそ、「ジェネラル」で「リベラル」なのである。

2011-06-27 13:21:05
@JAI_AN

以上、内田樹さん達との関西フランス語研究会におけるパネルディスカッションの私分事後報告レポートです。これすべてただで書かされています。出演料も交通費もただでした。おまけに懇親会の参加費も取られました。とんでもない会でした(と内田さんと言い合っていました)。

2011-06-27 13:23:49
@JAI_AN

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2011-06-27 13:28:10