- tktaketomi
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昔から竹富島では、ショーロ(精霊)のアンガマと言われるように、お盆にはアンガマ踊りが最大の楽しみでした。 現在、竹富島のアンガマ踊りは東と西の集落の3~4軒だけで行っていますが、戦後からしばらくは東集落・西集落・仲筋集落に分かれたアンガマ集団が深夜まで各戸を訪問していました。
2011-06-28 19:00:20その頃の竹富島には、今は行われていない、アンガマ踊りを盛り上げる「棒踊り」と「太鼓踊り」というものがありました。お盆の太鼓踊りというと、沖縄本島のエイサーを連想される方も多いでしょうが、それとは異なった独特の太鼓踊りでした。石垣島川平のキツガン(結願祭)の太鼓踊りのような・・・・
2011-06-28 19:05:43さて、戦前から昭和30年代の竹富島のアンガマ踊りは、実に賑やかでした。 夕食を済ませると、「孝行念仏節」の歌三線が聞こえる場所へと三々五々集まり、頭はクバ笠を被り、顔はタオルで頬被りをし、クバの葉の扇を持って、誰なのかを知られないように変装して、アンガマ踊りに皆参加していました
2011-06-28 19:06:47アンガマ集団は、「孝行念仏節」などの歌三線に合わせて輪踊りを踊ります。輪踊りは、座ってお尻でリズムを取ったり、立ち上がって「ヒヤリクペシ」と勢いよく扇を振ったりしました。全員の輪踊りが済むと、「かぎやで風」か「赤馬節」で始まり、その後は一人や数人で次々と踊りが繰り広げられました
2011-06-28 19:08:44ある高齢者の方の若いころの経験談です。結婚して2~3年が経過した彼は、アンガマ踊りが終わった後、物腰の柔らかい上品な踊りをした女性の後を追いかけ、顔を隠したアンガマ姿の彼女を引き留めて、いろいろと口説きました。
2011-06-28 19:09:22「いい踊りだったね。こんな上品に踊る人が我が西集落にいるとは知らなかった。俺の妻は短期で怒りっぽくていつも手を焼いている。今夜は朝までゆっくりしよう」などと話したところ、その女性がいきなり顔を隠していたタオルを取ったのです。 驚いたことに、その女性は彼の妻だったのです。
2011-06-28 19:09:52この話は、本人から聞いた話であり、しかも、彼は、同じく高齢の我が妻を前にして話していたので、真実の話です。むかしは、こんな面白いことがきっと多々あったのでしょう。
2011-06-28 19:10:30竹富島のお盆のアンガマという覆面集団の踊り@tktaketomi: ある高齢者の方の若いころの経験談です。結婚して2~3年が経過した彼は、アンガマ踊りが終わった後、物腰の柔らかい上品な踊りをした女性の後を追いかけ、顔を隠したアンガマ姿の彼女を引き留めて、いろいろと口説きました 続
2011-06-28 20:12:38「いい踊りだったね。こんな上品に踊る人が我が西集落にいるとは知らなかった。俺の妻は短期で怒りっぽくていつも手を焼いている。今夜は朝までゆっくりしよう」などと話したところ、その女性がいきなり顔を隠していたタオルを取ったのです。驚いたことに、その女性は彼の妻だったのです。キャー!
2011-06-28 20:13:42@KEICHILLIN ありがとうございます。何しろ、昔のアンガマはけっこうきっちり顔を隠してたそうですから。面白いことは多々あったでしょう。
2011-06-28 20:35:43