『僕の妹は漢字が読める』が面白そうな件
- yaoki_dokidoki
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僕は以前に、文学詩と歌詞と小説と引用と現代のカジュアルな口語と近代のモダンな口語が渾然一体となったような小説が書きたいと思って書いていたことがあるんだよ。
2011-06-29 23:02:38歌詞からとある得がたいものを受け取ることはしているのに、それを書くとき、読んだり聞いたりそれについて語るとき、歌詞は価値を低く見られている、あるいは低く表現されてしまうんではなかろうかということ。
2011-06-29 23:07:53@junpq 寺山修司と宮澤賢治と萩原朔太郎にはいろいろ感銘うけてますが、橋本治や高橋源一郎にはあまり。たぶん詩人が好きなんでしょうな。
2011-06-29 23:09:23で、あんまり意味ないことかも知れないけど、詩や(Jポップの)歌詞のたたえる言語システムを散文に移し替えてエンターテインメントとして読めたら、それは広く読んでもらえるものになって俺得だなと。
2011-06-29 23:10:49その小説は、小説プロパーな人には、たたえているものは悪くないけどもっと意味や物語のわかりやすさがほしいと言われた。なので今書いてるやつはもっと散文的なかたちをしている。
2011-06-29 23:12:13@junpq う~ん僕は詩と歌詞のあいだを往復しながら考えているのですが、それでいうと寺山修司が圧倒的に感じるものがあります。詩と歌詞はあきらかにことなるものですが、それを区別するシステムってなんだろうということを僕は考えています。
2011-06-29 23:13:44ぜったいそんなことはないと思うのだが… RT @ja_bra_af_cu: Jポップ文体の散文……J-POPの歌詞はブログと同じ文体だっていったのは阿久悠だったか。
2011-06-29 23:17:52新潮で一次だけ通過した:【超硬派】 新潮新人賞 9 【純文学を舐めるなよ】 http://t.co/msbnMBX
2011-06-29 23:19:24つまり、「これぞ文学の価値を問うもの!」とかいう意味ではなく、書き記された文字(の自律的な表現)によってことばというものや、なにかの概念について考える営為としての「文学」ということ。
2011-06-29 23:22:44@yaoki_dokidoki 『ケータイ小説的。』にあったんだったかな。浜崎あゆみ的な独白と少女漫画のモノローグとブログとケータイ小説が共通した文体なんだって論じててそこで阿久悠も引用されてたような。だいぶ前に読んだので忘れちゃったけど。
2011-06-29 23:22:47文って、書き出すと自分の意志とはちがうある種の自律性をもちはじめる。それを信じながら、書くことによってなにかを考えるということ、それが一般的な意味での文学という概念だとぼくは思う。
2011-06-29 23:23:49でまあここでナガタさんがコメントを書かれてるのだが。:【新刊】『僕の妹は漢字が読める』(ホビージャパン)-ラノベの最先端?! - 本が好き! Book ニュース http://t.co/eDoNHf3
2011-06-29 23:24:36ここで引用されている水村美苗氏などは僕も共感するところの態度の人だ。:【新刊】『僕の妹は漢字が読める』(ホビージャパン)-ラノベの最先端?! - 本が好き! Book ニュース http://t.co/eDoNHf3
2011-06-29 23:25:51僕は作詞を除いて、大学生三年生になるまでほとんど文を書くということをしてこなかった。だから、まるで自明のように難しい言い回しや語彙を組み立てて小説を書く同期の人たちに差を感じた。
2011-06-29 23:28:42古文の読解は高校生のときにスキでやっていた。僕は文法を学ぶのはスキだったのだ。そこで、日本語の文法の勉強を始めた。小説を書くために。それが大学3年の時。
2011-06-29 23:29:43[fumikahihyou_03]『ボカロクリティーク』に掲載された批評を分けて掲載していきます。リリースっ!: [研究ノート] 声と人格 ―― キャラクターを歌わせることの快楽/ @ja_bra_af_cu フミカレコーズ|フミカ批評 http://t.co/pfoitNd
2011-06-29 23:30:27