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夜になったので?最近ツイッター上で話題になっていた「日本史におけるジェンダーとコンピューター」の話を,連投ツイートしたいと思います(前もって準備はしていないので五月雨式に…) ツイッターを見ると,アメリカの話が多いですが,日本の歴史として,語っていきます! ご意見お待ちしています
2020-08-08 00:00:07とは言っても,まずはアメリカからということになってしまうのが,日本のコンピューティング史(広くコンピュータや計算に関わる歴史)研究が進んでいない悲しさでもあるのですが… アメリカでは,コンピュータがまだ人間だった頃やジェンダーの転換期の歴史研究が進んでいます. pic.twitter.com/sIiJc569di
2020-08-08 00:07:58この表紙からも分かる通り,計算労働の現場では,女性が働いていたことは事実です(この話は,Grier(2007) 画像左に詳しいです).(否定的なツイートが見られたので一応情報共有) 論点は色々ありますが,なぜ女性が働いていたのか,彼女らは何をしていたのか,なぜジェンダー転換したのか
2020-08-08 00:15:25など,単に女性がいた事実を示すだけでなく,よりコンピューティング史としての議論がなされています. その話は,「計算の分業」(アダム・スミスの本にも出てくる)という労働史や計算史からの重要な視点があるのですが,その話はツイッターでは書ききれないので,またいつか.
2020-08-08 00:18:07アメリカにおける女性とコンピュータの話は,他の先生方もされていて,先行研究もあるので,ここからは,自分の専門「日本の計算史」として,史料を示しつつ,ツイートしていきます. twitter.com/Cristoforou/st…
2020-08-08 00:22:44これ記事書いたことあるんだけど、話がぜんっぜん逆というか、20世紀半ばにはほぼ女性がやってたコンピュータ関係の仕事が創造的な専門職と見なされるようになった(つまりイケている仕事になった)せいで男性に占有されるようになったんですよね。 wezz-y.com/archives/71798 twitter.com/shioshio38/sta…
2020-08-07 14:52:43例えば,『人と技術で語る天気予報史―数値予報を開いた“金色の鍵” 』古川 武彦 amazon.co.jp/dp/4130637096/… この本の裏表紙には,1959年ごろの気象庁のキーパンチャーたちが載っています.全員女性です.気象庁の史料を用いて,電子計算機室にいた女性たちのことについては,現在研究中です.
2020-08-08 00:45:461960年の日本には,コンピュータ(電子計算機)は,ほとんどなかったのですが,1970年頃には西ドイツを抜いて,世界2位のコンピュータの設置台数になります. つまり,この10年の間に,コンピュータの専門職やそれに従事する人々のありようも,大きく変わったと言えます.
2020-08-08 00:51:42日本において,1960年の時点では,コンピュータの専門職と言えば,機械を動かす人たちのことで,そして多くの場合は女性だったのです.(もちろん,開発者がいましたが,全体の数としてはそこまで多くない) その代表的な職種として「キーパンチャー」を欠かすことはできません.
2020-08-08 00:56:03労働省婦人少年局が1961年に公表した『婦人労働調査資料 40号』では,女子事務職員の実態調査が報告されていますが,後半の大部分は,キーパンチャーについて書かれています. 当時は,事務用計算機が職場に導入されつつあった頃であり,職場における事務組織が再編成されていました.
2020-08-08 01:05:10従来,各部署に分散していた計算事務に従事していた人たちが,計算機が設置された部屋に集中することによって,専門性が高まっていきます. そもそも,キーパンチャーのような打鍵を専門とする職自体は,戦前の国勢調査にすでに登場しています.その意味では,コンピュータと切り離しても専門職
2020-08-08 01:09:26と見なすことはできますが,コンピューターの導入による計算労働の一元化によって,労働内容のありようも変わり,専門性の意味合いが変わったと捉えることが出来るように思います. (おそらくここにツイッターで議論されていた創造性や単純労働などの論点があると思われる)
2020-08-08 01:12:50事務員としてくくられる計算に関わる職にも,計算をしている人と,キーパンチ(データ作成なども含む)や作表など計算行為に関わる周辺労働をしていた人がいたのであって,議論をするときも「あの頃は!」と単純化できないように思います.
2020-08-08 01:19:56ちなみに,少なくとも戦前(1931年)に東京市から発行された『婦人職業戦線の展望』では,事務員は知能的業務,タイピストは技術的業務と分類されています. 国会図書館のデジタルコレクションから読めます. dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
2020-08-08 01:22:21スマホの充電切れてたw 通知いっぱい来てたからだ. 拡散してもらえて嬉しいっていうのもあるけど,ジェンダーとコンピュータに関するツイッター上での議論に対して,視点や史料を提供したいっていう気持ちが大きい.
2020-08-08 12:00:44「キーパンチャー」はコンピューターの仕事に入るのかなぁ? タイプライター打ってるのと変わらない気もする…。 twitter.com/mk95_hoc/statu…
2020-08-08 12:04:59「行為」という視点で見たら,タイピストと大きくは違わない職と言えます.ただ黎明期においては,キーパンチャーはコンピュータ時代の代表的な職とみなされていたようです.60年ごろのコンピュータの専門学校や女子短大の情報処理科では,キーパンチャー養成もしていました twitter.com/digitarhythm/s…
2020-08-08 12:11:34戦前から続くタイピストやキーパンチャーという職が,コンピュータの導入に伴って,”女性の職業として”コンピュータ労働に組み込まれたと考えるのが,自然な流れだと思います 残る論点は,なぜ女性の仕事だったのか? と なぜ女性はプログラマ的な仕事にシフトしなかったのか? ですが続きはまた後で
2020-08-08 12:15:36このように捉えると「キーパンチという簡単な仕事は,女性がやるという見方をされて,そこに女性が多く就いた」のではないか,とも見えてしまいますが,必ずしも専門性が無かったか と言われるとそうではありません.
2020-08-08 16:17:11IBMのユーザーコミュニティにおいては,むしろ,実務面を担っていた女性を対象とした会議に,男性も参加可という形で開催された研究会議もあります uken.or.jp/zenkoku/histor… このページを見ると,1962年のIBMが発行している新聞が読めます.
2020-08-08 16:17:12今から見れば,いずれ無くなる単純な仕事と見えてしまいますが,当時は,自分の仕事に誇りを持っていたという一面もあります. これは,明治の終わり頃,事務労働の現場に女性が進出したときにも同じような話がありました.(計算労働における同型性=同じような構図の例です)
2020-08-08 16:17:12ふと、そう言えば「電話交換手」も女性が多かった。 さらに「製糸業」の現場で生糸を紡いでいたのも女性で、ひょっとして「新ジャンルの職業が生まれるにあたって、まとまった人材が必要」という需要から、女性(無職だから)が多く就いたのかも。 twitter.com/mk95_hoc/statu…
2020-08-08 17:17:35@YasashiNingen コメントありがとうございます 女性は戦前から続く事務労働の配置転換やキータイプやキーパンチ教育の流用だと思われます もちろん、情報化社会に向けた花形職と見られていた傾向もありますが、それだけだと、なぜ男性はキーパンチャーにならなかったのだろうという論点に応えることができないんです
2020-08-08 17:21:54@mk95_hoc 勉強になります.パンチカード時代とIBMユーザーズグループについては名和小太郎が(AkeraのSHARE研究も意識しながら)書いているが(doi.org/10.1241/johoka… ),各社部長級が委員会でつながる話で,国内女性向け研究会議の話は知らなかった.
2020-08-08 23:10:26@shinjiyamane 当時のIBMの史料については,現在調査中でして(IBMのユーザーグループの部署に連絡は取れていて調査の話も上がっていますが,この社会状況ですから,思うように動けず止まっておりますが),日本において,電子計算機コミュニティが拡がっていく過程を明らかにできればと思っております. 続
2020-08-08 23:38:39@shinjiyamane Akeraの論文も読んでいます.先日の調査で,気象庁にもSHAREが入ってきていて,それを整理する仕事についての文献を発掘いたしました.ちゃんと日本にも広がっていたことが分かります. 気象庁がIBM 704を輸入したのも,SHAREが使えたことが理由の1つとなっています.
2020-08-08 23:40:31