壬申の乱2020まとめ

毎年壬申の乱の流れをなぞるのをやってますが今年はそれなりに手間をかけてやっていたのでまとめました。 (まだ途中なので随時更新) #壬申の乱2020 タグ 以外にも関連ツイート含みます。 タグや話題に絡んでRTさせていただいた方のツイも含まれています。不都合ありましたらお知らせください。
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將及郡家、男依乘驛來奏曰「發美濃師三千人、得塞不破道。」於是、天皇、美雄依之務。既到郡家、先遣高市皇子於不破令監軍事、遣山背部小田・安斗連阿加布發東海軍、又遣稚櫻部臣五百瀬・土師連馬手發東山軍。是日、天皇、宿于桑名郡家、卽停以不進。

2020-06-26 07:18:29
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現代語訳。 今日は桑名郡家まで。 高市皇子が軍事を任されています。 pic.twitter.com/rsULPrFqOI

2020-06-26 07:21:20
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さらに近江朝廷側の記述があり、日付がこの日とは限りませんが日本書紀記述の順序により併せて上げておきます。

2020-06-26 07:22:23
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是時近江朝、聞大皇弟入東國、其群臣悉愕京內震動、或遁欲入東國、或退將匿山澤。爰大友皇子謂群臣曰、將何計。一臣進曰「遲謀、將後。不如急聚驍騎乘跡而逐之。」皇子不從。則以韋那公磐鍬・書直藥・忍坂直大摩侶遣于東國、以穗積臣百足・弟五百枝・物部首日向遣于倭京、且遣佐伯連男於筑紫、

2020-06-26 07:24:24
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遣樟使主盤磐手於吉備國並悉令興兵。仍謂男與磐手、曰「其筑紫大宰栗隅王與吉備國守當摩公廣嶋二人、元有隸大皇弟、疑有反歟。若有不服色、卽殺之。」於是、磐手、到吉備國授苻之日、紿廣嶋令解刀。磐手、乃拔刀以殺也。男、至筑紫時、栗隈王、承符對曰「筑紫國者、元戍邊賊之難也。

2020-06-26 07:24:24
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其峻城深隍臨海守者、豈爲內賊耶。今畏命而發軍、則國空矣。若不意之外有倉卒之事、頓社稷傾之。然後雖百殺臣、何益焉。豈敢背德耶、輙不動兵者其是緣也。」時、栗隈王之二子、三野王・武家王、佩劒立于側而無退。

2020-06-26 07:24:25
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於是、男、按劒欲進還恐見亡、故不能成事而空還之。東方驛使磐鍬等、將及不破。磐鍬、獨疑山中有兵、以後之緩行。時、伏兵自山出、遮藥等之後。磐鍬、見之知藥等見捕、則返逃走、僅得脱。

2020-06-26 07:24:25
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現代語訳。 近江朝廷側の動き。筑紫&吉備へ派遣された記述から数日分の内容になると思いますが、基本的に近江側の動向はやはり記述少ないです。 pic.twitter.com/5ELJWGOAGx

2020-06-26 07:26:52
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近江朝廷側まで含めてここまでの動き。 大海人自身の動きは少なくなっていきます。 代わりに高市以下配下の人員の動きが活発です。 登場人物全部入れようとしてちょっと無理が生じてきてるけどご了承ください… #壬申の乱2020 pic.twitter.com/dGoYNmUVDW

2020-06-26 07:29:09
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ここまでがまじ進撃の大海人軍ですわ 用意周到ですわ… #壬申の乱2020 twitter.com/nosenose_seiji…

2020-06-26 09:05:30
ノセノセ星人 @nosenose_seijin

ギャー大海人軍ってか高市皇子めちゃめちゃ進撃してるー。近江朝廷しっかりー #壬申の乱2020 #毎年言ってる

2020-06-26 08:43:19
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図をつくるのに手がかかって写真などを上げる余裕が朝ないので今上げておきます。大海人皇子が「迹太川のほとりで天照大神を遥拝した」という記述がありますが、その天武天皇迹太川御遥拝所推定地の史跡があります。迹太川は現在の名称ではなく、諸説ありますが現在の朝明川が有力。#壬申の乱2020 pic.twitter.com/EftEiQB96T

2020-06-26 22:40:48
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高台にあるので見晴らしは良さそうな場所でした。 「天武天皇呪志の松」があるからここが推定地という卵が先か鶏が先かみたいな根拠だけど

2020-06-26 22:43:03
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そういえば昭和62年の飛鳥資料館図録「壬申の乱」を入手してたんですが紹介してなかったかも。昔の図録ってこんな感じなのかーという感じ。写真少なくてテキストメイン。よく写真見る箸墓での戦いの模型が表紙ですが、これが出来たのがこの時だったらしいです。 #壬申の乱2020 pic.twitter.com/mfTxvvMYnq

2020-06-26 23:07:30
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天武天皇元年六月二十七日 丁亥、高市皇子、遣使於桑名郡家、以奏言「遠居御所、行政不便。宜御近處。」卽日、天皇留皇后而入不破。比及郡家、尾張國司守小子部連鉏鉤、率二萬衆歸之。天皇卽美之、分其軍塞處々道也。到于野上、高市皇子自和蹔參迎、以便奏言「昨夜、自近江朝驛使馳至。

2020-06-27 08:55:55
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因以伏兵而捕者則書直藥・忍坂直大麻呂也。問何所往、答曰、爲所居吉野大皇弟而遣發東國軍、韋那公磐鍬之徒也。然、磐鍬、見兵起乃逃還之。」既而天皇謂高市皇子曰「其近江朝左右大臣及智謀群臣共定議、今朕無與計事者、唯有幼少孺子耳。奈之何。」皇子、攘臂案劒奏言

2020-06-27 08:55:55
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「近江群臣、雖多何敢逆天皇之靈哉。天皇雖獨、則臣高市、頼神祇之靈、請天皇之命、引率諸將而征討。豈有距乎。」爰天皇譽之、携手撫背曰「愼不可怠。」因賜鞍馬、悉授軍事。皇子則還和蹔。天皇於茲、行宮興野上而居焉。此夜、雷電雨甚。天皇祈之曰、天神地祇扶朕者雷雨息矣。言訖卽雷雨止之。

2020-06-27 08:55:55
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現代語訳。 高市皇子の動きが更に増えました。 ただし大海人皇子含め基本は不破(和蹔)・野上行宮間の移動です。 鸕野讃良及び草壁&忍壁皇子も桑名郡家に残っていたと思われます。 pic.twitter.com/HgPViDg8fM

2020-06-27 09:01:33
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當是時、大伴連馬來田・弟吹負、並見時否、以稱病退於倭家。然知其登嗣位者必所居吉野大皇弟矣。是以、馬來田、先從天皇。唯吹負、留謂立名于一時欲寧艱難。卽招一二族及諸豪傑、僅得數十人。

2020-06-27 09:02:54
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この時大伴連馬来田・弟の吹負は共にその時の否を見て、病と称し倭の家に退いた。そして皇位を継ぐのは吉野に居る大皇弟であろうと思った。そこで馬来田は先立って天武天皇に従い吹負だけは留まりまずは名を立て艱難をやわらげようと考えた。すぐに一人、二人の族や諸々の豪族を呼び寄せ数十人を得た。

2020-06-27 09:02:54
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この部分は二十七日条の前にあるので昨日ぐらいに上げておくべきでしたが収まらなかったので今日上げておきます。 大伴馬来田はすでに菟田にて大海人に合流しています。

2020-06-27 09:04:41
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大津が抜けた…多分大津皇子も。

2020-06-27 09:08:59
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高市皇子のこの場面個人的には胸がキュッてなってしまうんだが、この先もずっと「則臣高市」である運命の暗示のようだよ pic.twitter.com/5vc1MVhRsv

2020-06-27 09:12:48
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日刊壬申の乱の図解がかなりしんどくなってきたぞ

2020-06-27 23:07:10
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図がほしい…!ってなって色々開いてるけど細かいところは端折られがちで各地名の比定地や日にちもバラけている。とりあえず別冊歴史読本が一番わかりやすいし内容詳しい。 #壬申の乱2020 pic.twitter.com/uYpqPRWqaM

2020-06-28 01:47:56
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天武天皇元年六月二十八日 戊子、天皇、往於和蹔、檢校軍事而還。 天皇は和蹔に行き、軍事のことを検校して帰った。

2020-06-28 08:35:52
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