【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学

日本で出土する青銅器の鉛の同位体比を調べると、日本最古の経済成長が、戦国七雄の戦乱のおかげだったことが分かった…かもしれないという話。今後の研究の発展で、結論は二転三転するかも。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@KentaroOnizuka ということは銅剣と銅鐸の起源は、どちらも殷代の山西省から、遼寧、朝鮮を経て伝わってることになります。鏡も内蒙古に最古の出土品がある北方系統(遼寧、朝鮮経由)のものでした。小林氏はその北方系多紐鏡が銅鐸が出現する頃に列島の弥生文化から姿を消したと説明し、銅鐸と入れ替わったとしてます

2020-01-30 03:47:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@KentaroOnizuka 銅鐸については、その起源は、山西省の殷代の北方系文化集団の遺跡から出土した「戦車もしくは他の車両に付けた車馬具」の銅鈴に由来するとあり、その形式の銅鈴は今のところ遼寧では未発見だが、朝鮮半島には伝わっており、これが弥生前期末以降に、日本列島で銅鐸になったとあります。

2020-01-30 03:42:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

2010年代の考古学の最新研究では、日本の弥生時代の銅剣、銅矛は、中央ユーラシアの大草原から伝来したものであることが確認されてまして、しかも日本だけ紀元前後の時期と新しく、弥生青銅器はやたらと古めかしい形をしてます。実はこれは任天堂が得意とした「枯れた技術の水平思考」と同じで、

2020-05-13 01:23:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「最近まで新石器時代だった」社会であっても、土器を焼く技術とかがあれば、それを応用して、何とか金属製品が作れる、そういう技術で作られてるのが、弥生銅剣、銅矛なんです。だから、剣なのにポールみたいな芯がある変な形をしてるの。

2020-05-13 01:25:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

日本の弥生銅剣・銅矛生産って、同時代の漢(中国)から見ると、千年以上前の旧世界の技術がなお現役で稼働している、信じられないような景色で、「書物でしか読めない神話世界が目の前にある!」と興奮してもおかしくないようです。そんな古い技術なのに、この出来栄えを見ると、信頼性が高いというか twitter.com/Yomiuri_Online…

2017-03-12 21:10:54
読売新聞オンライン @Yomiuri_Online

魏志倭人伝の「奴国」の青銅製武器を、当時に近い技術で再現することに成功しました。 yomiuri.co.jp/culture/201703… pic.twitter.com/ik8ZKRwfE3

2017-03-10 12:12:00
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia まさに任天堂の「ファミコン」というか、「ゲーム&ウォッチ」というか、「枯れた技術の水平思考」(最新の技術ではない、広く普及した技術なので、大掛かりな設備がなくても良いものを作れる)の先にあるものが弥生銅剣、ということになると思います。

2017-03-12 21:16:31
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 日本史から見ると、こんな古い弥生時代に、ってなるわけですが、ユーラシア大陸の諸国家から見ると、もうそんな古い時代では無くなっているという訳です。

2017-03-12 21:20:03
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Sz73B 銅鐸と銅鏡は、弥生時代前期末までに、おおむねほぼ同時に日本列島内に入ってきた文化ですが、用途が違うようです。大型化していく銅鐸は、個人の墓に副葬されることが極めて稀れで、村落共同体の象徴としての価値を持っていましたが、大型化しすぎた上に、小型の銅鏡を上手に作る技術が進歩してくので

2017-10-11 01:22:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Sz73B 突然、銅鐸は、一斉に廃棄されてしまいます。

2017-10-11 01:23:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@kmauiupopo @goshuinchou 最近の説だと、銅鏡や実用品などの小型で機能的な青銅器が国産化できるようになった結果、大型化して恐竜的進化を遂げた大型銅鐸を生産するのに必要な青銅資源が乏しくなりまして、銅鐸は急速に廃れたと考えられているようです。何だか、スマホの登場で打撃を受けた据え置き型家庭用ゲーム機みたいな…

2017-10-24 00:55:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz rekihaku.ac.jp/outline/public… いま、この論文、読んでたのですが、技術の進歩により、小型で便利な各種の銅製品の需要が生まれ、その結果、銅鐸が破壊されて細かい銅原材料素材にされたり、いろんなことが起こったそうです。ただ、破壊されずに埋められてるのも

2017-03-12 02:04:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz 多いし、古いタイプの銅鐸ばかりが埋まっていることも多いことや、近畿・東海の大銅鐸が出現する以前に、荒神谷などで銅矛などといっしょに銅鐸を多数埋納しているケースもあるので、、、、といろいろのようです

2017-03-12 02:06:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz あと、近畿・東海の大きな銅鐸は、音響や光沢よりも「紋様」表現を最重要視していて、そのために大きくなったともみられていて、この「紋様」へのこだわりが、より小さく精巧な「銅鏡」の紋様への拘りに収斂していったと考えられているようです

2017-03-12 02:08:30
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@s_hskz 銅鏡はキラキラなので、キラキラ好きの光沢文化(青銅武器の方は一貫して光沢が好まれたそうです。剣は、研ぐ必要性から、逆に文様を剣、矛の刃に施すことを「忌避」したそうえす。

2017-03-12 02:10:52
巫俊(ふしゅん) @fushunia

銅鐸が消えた時代の社会変化について、「宗教の変化」で、銅鐸は表立って持っていたらいけないものになったという説明を見かけたことがありますけど、案外、据え置き型の家庭用ゲーム機が、小型で携帯できるスマホの普及で、将来の市場の維持が危ぶまれ、消滅しそうになっているのに、似ているような

2017-03-18 00:20:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 「気づいたら、無くなっていた」というやつですね。銅鐸=据え置き型ゲーム機、銅鏡=スマホ 銅鐸(ファミコン)に親しんでいたはずが、気づいたら銅鏡(携帯できる新型ゲーム)で同じ祭祀(ゲーム)をしてると

2017-03-18 00:23:00

奈良大学の小林青樹教授が、弥生時代の銅鐸・土器絵画から神話を復元してますが、『日本書紀』『古事記』との連続性もある一方で、異質な部分もあり、銅鐸から銅鏡へと、祭祀が切り替わっていくのも、連続・断絶(異質)の両側面がありそうです。

以下は、楽毅が起用される一世代前には、燕で内乱があったという話

巫俊(ふしゅん) @fushunia

紀元前3世紀頃の中国では、「血縁」による国家継承が否定され、王が「賢人」を見つけて譲位するシステムが一部の国で始まったんだけど、すぐに内乱が始まり、国が潰れたので頓挫した歴史があります。「禅譲」思想はその名残で、弱くなったウイルスみたいになって儒教の中で共生するようになりました

2020-08-30 17:36:23
るおちぃ@活動中 @ruoqi91

@fushunia 燕における子之の乱ですかね…?

2020-08-30 18:27:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@ruoqi91 そうです。実は、こちらは以前、調べたときのツイートの再投稿です。今、ツイートをへんしゅうしておりまして。

2020-08-30 19:06:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@ruoqi91 2016年にまとめた、こちらの記事で説明した内容です。 togetter記事「最古の「禅譲」思想は、インフルエンザウイルスのような危険な異物だった!?儒教の王位継承を全否定した戦国燕の「賢人王」は、ワーテルローのナポレオンのように滅んだ」 togetter.com/li/952574

2020-08-30 23:09:59
るおちぃ@活動中 @ruoqi91

@fushunia 先ほど拝見しました、本当に禅譲システムを実行した国があったとは驚きました…。 燕の失敗があったからこそ、後々では不採用というか形だけの禅譲になったんですかね…。

2020-08-30 19:09:44
Tamejirou @Tamejirou

楽毅が斉のほぼ全土を制圧した時に「楽毅が自立する」という噂が流れたという。燕の昭王は取り合わなかったが、子の恵王…… twitter.com/fushunia/statu…

2020-09-01 16:46:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@jiangjie2015 @Golden_hamster 賢人王が、次の賢人を見出して王位を継承していったら、ローマ帝国みたいになっちゃいますよね。だから、燕の革命政権は周辺国の反革命勢力から袋叩きにされてしまいました。そのあと登場したのが連合軍側の人間の楽毅です。

2016-01-09 01:15:17