【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学

日本で出土する青銅器の鉛の同位体比を調べると、日本最古の経済成長が、戦国七雄の戦乱のおかげだったことが分かった…かもしれないという話。今後の研究の発展で、結論は二転三転するかも。
127

日本で出土する青銅器の鉛の同位体比を調べると、日本最古の経済成長が、戦国七雄の戦乱のおかげだったことが分かった…かもしれないという話。今後の研究の発展で、結論は二転三転するかも。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代史を専攻していました。

togetter.com/id/fushunia

このまとめ記事は、中国古代史クラスタが、「おっ!」と思った日本古代の論文などを紹介してく内容ですが、弥生時代の年代論には諸説があり、互いに矛盾してることなど、ご了承ください。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

そういえば、「邪馬台国」と「三国志」以上に、「弥生時代の考古学」と「春秋戦国」って、クラスタの棲み分けが強烈で交流も無さそうなんですけど、弥生時代の考古学の論文には、楽毅の連合軍が斉から奪った中古の青銅器原料が、リサイクル品として日本列島に大量に流れ込んだと論じられてたりします。

2019-09-05 02:04:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

何と、博物館に置いてる銅剣とか銅矛とかの成分は、落城した斉の都から分捕られたと見られる、古い殷周時代の青銅器の成分と一致するものが少なくないということで、太公望に相当する史実の斉の初代君主がつかってた青銅器とかも、もしかすると弥生の青銅器の姿になって眠ってるかもしれないそうです。

2019-09-05 02:09:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

凄い話してる論文を見つけた 「日本では弥生前期末から中期初頭にかけて使用が開始された多鈕細文鏡、菱環式銅鐸、細形銅剣、細形銅矛、細形銅戈などの Dラインに載る青銅器の原料は、BC284年に燕の将軍・楽毅が斉の国で奪った青銅器のリサイクル品が燕、朝鮮半島を経て、日本にもたらされた

2017-10-10 02:16:59
DD @kimunkamuida262

@fushunia これは非常に興味深い分析結果ですね(^^)

2018-11-18 23:07:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@kimunkamuida262 弥生中期の遺跡から出土する「鋳造鉄斧」のかけらも、戦国の燕で生産されたものが東方世界に流れていって、途中で割れて壊れたのが日本列島に売られていったそうです。弥生中期だと、鉄は超貴重品だと思うので、破片であっても貴重な道具になったようです。

2018-11-18 23:14:13
DD @kimunkamuida262

@fushunia ほほぉ〜 ようわ「素材」として入ってきて、それを小鍛冶で作り直したわけですね? ますます興味深い。縄文時代に「原石」持ち歩いていたのと似た印象を受けます( ̄▽ ̄)

2018-11-18 23:16:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

当時の大国の斉が持ってた殷周時代の青銅器が戦利品として燕に運ばれたのですが、古くて使い道に乏しいので、辺境地域に放出され、殷代の青銅器の古い廃れた技術が現存していた日本列島でリサイクル品の原料にされたという意味です。それが分析によって明らかになったということでした。

2020-09-06 19:11:58
さわK@リコリコ報道解析部/神浜探検隊 @chiqfudoki

@fushunia なるほど……! 確かに「どこなら値がついて捌けるか」だと、合理的ですね!! ちょっと違う事例ですが、昔日本で使っていた電車やバスが東南アジアやアフリカで使われていることを思い出しました。 ご教示ありがとうございます!

2020-09-05 20:29:49

↓その論文
リンク先のPDFで読めます。

※考古学が専門の方からのご教示によると、「理系の研究者」だとのことで、本来の意味での「考古学者」では無いそうですが、何と呼べばいいのでしょうか?

巫俊(ふしゅん) @fushunia

arai-hist.jp/lecture/14.1.7… 「鉛同位体比から見た弥生年代論 ~楽毅の奪った青銅器のリサイクル~」 新井宏 、2014年

2017-10-10 02:18:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

P4 「この D ラインに乗る鉛同位体比を持つ青銅器は、殷墟や三星堆などに極めて多く出土しているが、春秋時代以降には全く出土しなくなる」 「すなわち、BC1000 年頃までは盛んに使わ れ、西周にも例があるが、BC770年以降には全く使われなくなってしまう」

2017-10-10 02:20:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「一方、弥生前期末から弥生中期初頭(仮に BC250 年)にかけて、日本の初期青銅器や朝鮮半島 の青銅器に使われ始めたが、奇妙なことに、ごく短期間の使用に留まり、中期末にはほとんど使われなくなる」

2017-10-10 02:21:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「しかも、中国においては 500 年間も使用例が見当たらず、しいて言えば、朝鮮半 島に接する「燕」に数例あるが、その他には全く見られないのである。 極めて、不思議な現象としか言いようがない。」

2017-10-10 02:21:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代史教養講座 2009年5月2日(土) 新 井 宏「炭素14年代と青銅器からみた実年代論」 パワーポイントの説明資料が、PDFで読めるようです。 ↓リンク arai-hist.jp/lecture/09.05.…

2020-09-05 21:08:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

あー、楽毅が入手したリサイクル原料説(理系の研究者)と、小林青樹説での弥生時代の青銅器文化の話は、同じ弥生時代前期末・中期でも、その年代観が研究者によって100年違うのか。

2020-09-06 03:38:36

楽毅リサイクル原料説では、紀元前3世紀を想定してるが、考古学者は、紀元前4世紀を想定してることが多い。今後の研究しだいでは、楽毅は関係無くなるので、再検討が必要になるかも。弥生時代の年代論は、とくに弥生早期・前期が長すぎるとされるので、前4世紀説の方が訂正されても不思議では無いですが。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代史クラスタ的に、「この人の研究は気になるな」と思った、最近の日本古代史研究者は宮本一夫(考古学者)、小林青樹(考古学者)、清家章(考古学者)かな?

2020-09-06 15:05:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

殷周時代が好きだったので、同時代史料や後世の文献から、遼寧省とか山東省とかで若干知られてる当時の国名に思いを馳せてたんですけど、そうした地が稲作、青銅器、土器などの日本列島に広まっていく文化の移動ルートだったりする訳で、「おおっ!」となりました。

2020-09-06 15:10:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@KentaroOnizuka 小林青樹『倭人の祭祀考古学』(2017年)には、弥生銅剣、銅戈、銅矛、多紐鏡(遼寧系統、顔を写すものではなく、シャーマンが光を反射させて邪悪を打ち払い、人々を幻惑させるもの)は、弥生前期末から中期初頭(前4世紀初め頃)に伝わったとあり、このような状況の中、銅鐸が出現するとあります

2020-01-30 03:21:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@KentaroOnizuka 考古学では、研究が進展して年代観が変わることがありますが、2017年のこの本によると、「最初に伝わったのが銅鐸という訳では無い」ようです。

2020-01-30 03:23:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@KentaroOnizuka 弥生時代の銅鐸には、遼寧系統の文様(伝来した多紐鏡の文様が銅鐸に転用された)と、縄文系統の文様の両方が組み合わされており、それ以前の紀元前9世紀段階で、東北など各地の縄文系の人たちが北部九州にきて、渡来系弥生人と交流をしたことが、その後、前期末以降の銅鐸の文様に影響したとあります

2020-01-30 03:40:26
1 ・・ 4 次へ