- rUyaCVtIiRxgC9M
- 4340
- 2
- 0
- 0
グラマン社、航空ベンチャーとしてみるとめちゃくちゃ夢があるよね、引き込み脚の特許を元に超弱小の航空会社が海軍の正式採用機の座を射止めて、ニューヨークの片隅から戦争では開発も工場も大車輪で回して月着陸船まで作っちゃうんだから twitter.com/ron_eisele/sta…
2020-10-04 00:08:14最もグラマン社最後の戦闘機となったF-14は生産中に襲われたインフレで会社は危うく倒産しかけるし、その後は会社規模の小ささもあったのか数々の新型機計画を失注してノースロップと合併して今に至るわけだけど... pic.twitter.com/8X3kZ5aziy
2020-10-04 00:11:04グラマンが月着陸船の契約を射止めたのは艦載機での経験を買われたのもあるそうで(実際にはグラマンは計画全体の受注を狙ってNASAになんどもプレゼンしているのでそう単純な話ではないのだけど)30年ぐらい差があるとはいえF4FやF6Fの主脚の設計なんかをしてた人が月着陸船作っちゃうんだもんなぁ pic.twitter.com/qIvBmLMLvi
2020-10-04 00:16:52グラマン社のルーツは水上機用のフロートの製作だったんだからわずか20年ぐらいでジェット機作るか作らないかまでいくんだもんね pic.twitter.com/SYL0qHanaP
2020-10-04 00:20:17グラマン社を語る上で、社長だったリロイ・グラマンのキャラクターは外せないですよね、自身もエンジニアで初期のグラマン社の切り札になった折り畳み脚の特許を始めとして nakagawa.gr.jp/lecture/p-tant… pic.twitter.com/QN5SeEsdsf
2020-10-04 00:24:23設計ではアベンジャーなんかにも関わっていてこの主翼の折りたたみとかもリロイが関わってたとか関わってなかったとか、ビジネスマンとしても優秀でF8FをF6Fジェット機のつなぎとして自社開発でF8Fを送り込んだのも彼のアイデアっぽいですしね pic.twitter.com/3IpRKPHQK7
2020-10-04 00:27:59そんなグラマン社の大躍進の陰で、米国航空最大手で第二次世界大戦から急激に没落を始めるカーチス ・ライトっていう会社もあるけどあの時代にP-36を作れた会社がどうしてあんなに没落したのかはある意味奇跡... pic.twitter.com/0uWfveV1RR
2020-10-04 00:40:291935年にアメリカ初の近代的な低翼単葉引き込み脚戦闘機として初飛行してP-40の母体となってファミリー合わせて1万5千機ぐらい作られカーチス ・ライトの絶頂期を迎えてからXF-87で軍から引導を渡され航空機製造部門を売却するまでわずか13年間しかないんだよなぁ... pic.twitter.com/bxe38Xihvn
2020-10-04 00:49:01P-36の主任設計者ドノヴァン・バーリンはC-46コマンドーも、微妙な評価のSB2CやSO3Cも手がけているんだけど、社内でいろいろあったらしくて41年12月にカーチスライトを退社しているんだよね。同時期にはR-2600を設計したルドルフ・ダブが密告によってスパイ容疑を掛けられ冷遇されている。 twitter.com/futaba_AFB/sta…
2020-10-04 04:45:351940年頃のカーチスライトは大企業病で腐っていたようで、お友達人事や社内不正がまかり通り、コネのない実力者は袋叩きにして追い出していたらしい。その結果がXP-60の迷走や外見からして「ダメだこりゃ」感みなぎるXF15Cなんだろうな。
2020-10-04 04:47:20エンジン部門ではローランド・チルトンという人物の名が伝えられている。彼自身もR-1820に関わった技術屋だけれども、カーチスライトの特許部門長に納まったあと、社内から出願される特許申請を悉く却下扱いにしながら、有望な出願は書き換えて自分の個人名義で申請していたという。
2020-10-04 04:51:45カーチスライトは自社製品に対して特許料を社内の個人名義に払うことになり、チルトンはこの特許収入を元にお友達人事を固めていたらしい。ルドルフ・ダブはそのお友達の輪から外れていた。
2020-10-04 04:53:02硬骨な技術屋のダブはチルトンの特許を排除した改設計案を提出、「これで原価がX%削減できます」とぶち上げてチルトン一味から敵認定され、ドイツ移民という弱味につけこまれて社内からスパイ容疑の密告をされたらしい。
2020-10-04 04:55:03@uchujin17 数人のエンジニアの進退であそこまで没落するとは考えにくいですが氷山の一角で相当深刻な大企業病にかかってたんでしょうね、R-3350の量産がうまく行かなかったゴタゴタもここら辺が絡んでいるようなことをささきさん以前ツイートされていましたけど、航空機製造は一応結果出してるのが不思議なくらい
2020-10-04 06:11:59航空メーカーと言えばロッキード・マーチンのケリー・ジョンソンは軍幹部と太いパイプがあって数々の極秘新型機の受注に成功したスカンクワークスの発展に彼の軍とのコネクションが大きな役割を果たしたようだけど、彼がどういう風にして太いパイプを気づけたのかって知らないなぁ pic.twitter.com/Y21ZGHIsL9
2020-10-04 06:33:38@futaba_AFB 1925年に創業したプラット&ホイットニーの主要創立メンバーがほとんどカーチスライトからのスピンアウトだったというのも、アメリカではスピンアウト起業はよくあることとはいえ、能力が正しく評価されない・新しい提案が採用されない苛立ちがあったような気がします。
2020-10-04 06:47:11@futaba_AFB P&Wで星型エンジンの基礎を築いたジョージ・ミードは1919年にカーチスライトのエンジン部門チーフエンジニアに昇格した技術者ですが、彼も「カーチス社の方針に納得できず」1924年に退社してP&Wに合流しています。en.wikipedia.org/wiki/George_J.…
2020-10-04 06:50:24@futaba_AFB カーチスライトの社長だったフレデリック・レンシュラーもミードと共に1924年に退社しており、どうも社内で大きな派閥抗争があった模様です。大企業内での派閥抗争やそこからの分派起業はよくあることではありますが、その後のカーチスライトのgdgdっぷりを見ると…en.wikipedia.org/wiki/Frederick…
2020-10-04 06:54:05@futaba_AFB 大起業病の種はこの頃に撒かれていて、それがスクスク育って根を伸ばし会社を覆い尽くしたのが1940年頃だったのかなぁ、と思います。
2020-10-04 06:57:00@uchujin17 そのドン・バーリンがGM社フィッシャー・ボディ事業部に引き抜かれて手掛けたP-75イーグル。当時生産中の戦闘機から使えそうな部分を寄せ集めたつぎはぎ戦闘機。エンジンはV-1710を双子にしたV-3420。あんのじょううまく行かなかった。 pic.twitter.com/1LCzeyxjpE
2020-10-04 08:02:52@ROCKY_Eto 「あの」XP-55もバーリンで、「このひと大丈夫なのか」と思いますが、バーリンが去ったカーチスはもっとひどいことに…(´・ω・`) pic.twitter.com/qD9td3zsUm
2020-10-04 08:07:16@ROCKY_Eto なおXP-75については、GMフィッシャーにB-29ライセンス生産が打診されたとき「今ここで大型多発機生産設備なんか作っても、稼動した頃には戦争は終わって発注キャンセルになり不良債権化する」と危惧したGMが「B-29を護衛する長距離戦闘機を作ります!」と逆提案したという説もあります。
2020-10-04 08:09:38