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「縄文はもう古い」!? 愛知県埋蔵文化財センター・樋上昇さんによる「YAYOIモダンデザイン展」の見どころ解説

愛知県陶磁美術館 にて12/13まで開催中の「YAYOIモダンデザイン展」https://www.pref.aichi.jp/touji/exhibition/2020/t_yayoi/index.htmについて、企画者である愛知県埋蔵文化財センター・樋上昇さんによる解説連投をトゥギャりました。
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Gijyou @gijyou

しかし、最近の特に日本海側の弥生時代後期の遺跡(これまでたびたび出てくる鳥取市の青谷上寺地遺跡がその典型です)の発掘調査の成果によって、紀元1〜2世紀代の弥生時代後期には、西日本ではすでに王が存在し、階層化した社会で手工業生産も著しく分業化していることがわかってきました。

2020-10-30 13:34:10
Gijyou @gijyou

このコーナーでは、首長制社会のリーダーである首長から国の王へと変化していくなかで、彼・彼女ら最上位の人たちが持ち得た最高の遺物(特に木製品)を紹介していきます。

2020-10-30 13:34:11
Gijyou @gijyou

青谷上寺地遺跡から出土した最高の木製品が、この漆塗りの脚付壺とその蓋です。 全面に黒漆をかけ、蓋の頂部と身の脚部近くには5つの花弁、そして全体には同心円状の紋様を赤漆で描きます。 これまで全国各地で私が観てきた木製品のなかで、掛け値なしに最高の木製品と断言できるものです。 pic.twitter.com/rDt4CWbCWQ

2020-10-30 13:43:34
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ただ残念なことに、身の胴部から上が残っていません。 なので、なんとかこれの本来の姿を再現してみたいと考えました。 幸いなことに青谷上寺地遺跡と、同じく鳥取市にある乙亥正屋敷廻遺跡から、同じようなかたちの木製品や土器が出土しています。これらを手がかりに、まず図面上で復元していきます。 pic.twitter.com/IMOcSvnKZ9

2020-10-30 13:52:36
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青谷上寺地遺跡の漆塗り脚付壺を図化すると、このような感じになります。 ちなみに左側半分は外面を、右側半分は断面と内側を表現しています。 これは日本の考古学で、土器などを実測する際の基本的なお作法です(ちなみに欧米は左側に断面を描きます)。 pic.twitter.com/0prHG862zP

2020-10-30 13:56:20
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漆塗り脚付壺を真ん中に置き、左には木製品、右には土器の同じような器形のものを並べました。 そして、それぞれ外形線と断面の線に色をつけて、その線だけを抜き出して、漆塗り脚付壺に重ねています。 pic.twitter.com/Ln6nAPBNe9

2020-10-30 13:58:42
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紋様が残る面を貼り付けたままだと煩わしいので、線だけを残したのが、この図です。 この図を見ると、口縁部が2種類あることがわかります。 このうち赤の線は土器で蓋が付きません。 青は木製品で蓋が付きます。 ですので、口縁部付近は青の線を採用します。 pic.twitter.com/L0itNh9dLO

2020-10-30 14:01:51
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線を取捨選択した結果が、この図です。 遺跡から出土した状態のものと比べると、胴部から口縁部にかけて、ずいぶん高くなることがわかります。 これだけでもイメージが相当変わりますね。 pic.twitter.com/6HXiOUV66Q

2020-10-30 14:03:45
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次に、復元した外形に、もとの紋様を貼り付けます。 胴部の上半がかなり内側にひしゃげていることがわかりますね。 pic.twitter.com/qX5AEylGHV

2020-10-30 14:05:21
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そこで、紋様を外形に合わせて強引に起こします。 さらに口縁部まで黒漆を塗ってみます。 ここまでの作業はさほど問題なくできます(ただし、最初の図起こしから猛烈に時間はかかっています)。 ここから上の紋様をどう復元するか。何人かの研究者の方々に意見をいただき、次の図のように復元します。 pic.twitter.com/jZ1w1y5Ozp

2020-10-30 14:09:19
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基本的には同心円の紋様を積み上げていくことになるのですが、鳥取県内の同じような土器では同心円紋だけを積み上げることはなく、間に必ず帯状の紋様が入るというご助言をいただいたので、辛うじて残っていた梯子状の横帯を同心円紋の間に入れてみました。 pic.twitter.com/B1qWk8dS5n

2020-10-30 14:14:06
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復元の参考にした木製品・土器と並べてみます。 左端は青谷上寺地遺跡から出土した木製品ですが、断面を見比べてください。中央の漆塗り脚付壺は非常に均一にギリギリまで中を刳り貫いているのに対し、左端のは中央が非常に分厚く、かなり手を抜いていることがわかります。 pic.twitter.com/ki70VInkH6

2020-10-30 14:17:29
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先ほど私が言った「階層化」とは、まさにこのことなのです。中央の漆塗り脚付壺を頂点に、それより簡略化した木製品、そして同じようなかたちと紋様の土器、というように、明らかな上下関係が生じています。 このなかで王が使い得たのは中央のもの。とすれば、左右は官僚層が使ったのかもしれません。

2020-10-30 14:20:09
Gijyou @gijyou

ここまで来ると、本物が作りたくなります。 そこで青谷上寺地遺跡整備室から正式な許可を得て、長野県南木曽町在住の木地師小椋正幸さんにお願いして、復元品を作っていただきました。 ただし、依頼した時期が遅かったこともあって、展覧会の開幕までに紋様を描くところまではたどり着けませんでした。 pic.twitter.com/n87vidzMID

2020-10-30 14:31:00
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またコロナ禍のためにじゅうぶんご相談ができなかったこともあって、口縁が土器に近いかたちであるなどもありますが、さすがは超一流の木地師。見事な出来栄えです。 一見黒漆のようですが、実は生漆を幾重にも重ね塗りしてこの色を出しているとのこと。 展覧会が終わると、これに紋様が入る予定です。

2020-10-30 14:35:37
Gijyou @gijyou

青谷上寺地遺跡ではもう1種類、美しい木製容器が作られています。それが「花弁高杯」です。左が口縁部を外側から見た写真、右は脚部です。 口縁部外面には6花弁を浮き彫りにし、脚部には細いスリットを多数入れるという精巧なものです。 ただし先ほどの漆塗り脚付壺と違って、こちらは量産品なのです。 pic.twitter.com/qTXxIlnHlA

2020-10-30 14:51:43
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1点モノの漆塗り脚付壺と違って、この花弁高杯は青谷上寺地遺跡から作りかけも含めてかなりの数が見つかっています。 さらには、日本海側の主要な遺跡からも、この花弁高杯が1点ずつ見つかるのです。 今回の展覧会では乙亥正屋敷廻遺跡と、石川小松市の白江梯川遺跡のものをお借りできました。 pic.twitter.com/PE9k6uk5yZ

2020-10-30 14:55:48
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この花弁高杯を研究している石川ゆずはさんによると、これまで19点見つかっており、そのうちの7割以上が青谷上寺地遺跡から出土しています。 どうやらこの花弁高杯は青谷上寺地遺跡でおもに作られ、他の遺跡に運ばれていったようです。 pic.twitter.com/SeAOt3ff1D

2020-10-30 15:00:10
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実は花弁高杯にはもう一種類、花弁を透かし彫りするタイプがあります。こちらは北陸地方(石川県)を起点として、琵琶湖東岸部を経て奈良の纒向遺跡へと到達します。 この杯部を透かし彫りするという技法は、北陸地方の装飾器台と共通するものです。 pic.twitter.com/aK7Ly78MQX

2020-10-30 15:03:41
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弥生時代後期には青谷上寺地遺跡で生み出された浮き彫りの花弁高杯が「青谷上寺地ブランド」として日本海側を中心に広まり、それを受容した北陸地方では、古墳時代前期になると新たに「北陸型」の透かし彫りの花弁高杯を生み出して、これをヤマトの中心部へと伝えていくということがわかりました。 pic.twitter.com/sfkV5WnYtO

2020-10-30 15:08:33
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弥生時代中期までは、ヒスイや碧玉などが広域に流通するという現象はありましたが、このような大型木製品が1か所を起点に広域に動くということはありませんでした。 花弁高杯は青谷上寺地遺跡において腕利きの専門職人の手によって生み出され、それが各地域の有力な国の王への贈答品とされたのです。

2020-10-30 15:12:22
Gijyou @gijyou

その現象は、次の時代には花弁高杯を贈られた先の北陸地方を起点として、今度は近畿地方へと贈られていきます。このように各地の王が贈答品をやり取りする。 そして、そういった贈答品は王の管理の下、専門の職人がフルタイムで作る。 このような社会の大きな変化が古墳時代へとつながっていくのです。

2020-10-30 15:16:32
Gijyou @gijyou

最後は纒向遺跡から各地に贈られた団扇の軸です。 ここは初期ヤマト王権が都とした地です。 これと同じようなものが中国魏晉朝の古墳壁画などに描かれています。 つまり、初期ヤマト王権はこれを周辺地域に配ることで、中国の王朝と連なることを示し、倭国というひとつの国に纏め上げていったのです。 pic.twitter.com/eKUKYCtZSa

2020-10-30 15:34:04
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まだ色々と言い足りないこと、お見せできなかったものはありますが、今回の #YAYOIモダンデザイン展 は、大きくこのようなストーリーのもとに展示をしています。 展示をご覧になるときは、これを頭の片隅にとどめておいていただくと、より理解が深まるかと思います。

2020-10-30 15:42:38
Gijyou @gijyou

それを抜きにしても、弥生時代に各地で作られた最高級品を取り揃えてありますので、難しいことは考えずに展示品を観て、美しいと感じていただければそれでじゅうぶんです。 特に美術やデザインに興味をお持ちの方々には、きっとヒントになるものがたくさんあるはずです。 ぜひとも脚をお運びください。

2020-10-30 15:42:38
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