大学の国際化のために外国語(=英語)での講義は必要か?
これまで日本の大学の歴史についてはそれなりに勉強してきたし資料も読んでいるのですが「日本の大学における日本語による教育の最初が早稲田だった」というのは初めて聞いたので不思議に思いました。
2011-07-19 21:05:48法経では専修が最初だと思うんですが http://t.co/EcPLFt9 RT @ynabe39 日本の大学の歴史についてはそれなりに勉強してきたし資料も読んでいるのですが「日本の大学における日本語による教育の最初が早稲田だった」というのは初めて聞いたので不思議に思いました
2011-07-19 21:09:10@ynabe39 ええ、「他になかった」という証明は無理だと思います。ただ「理念」として打ち出したのは早稲田は早かったんじゃないかと思います(これも最速なのかどうかは分かりませんけど)。
2011-07-19 21:11:20「当時の東京大学が主としてお雇い外国人による英語等の」の「主として」がポイントでは? RT @ynabe39: これまで日本の大学の歴史についてはそれなりに勉強してきたし資料も読んでいるのですが「日本の大学における日本語による教育の最初が早稲田だった」というのは初めて聞いたので
2011-07-19 21:15:37@TOGO_Masanaga @ynabe39 演説内容は、http://t.co/CxXkZIc にありますね。
2011-07-19 21:16:43いずれにしても日本の私学高等教育は1870年代末から1880年代初めにほとんどダンゴ状態で始まって,基本的にはすべて専門学校で日本語の教育だったわけですから,どこが早いと言ってもせいぜい2〜3年の違いです。これらの学校が「大学」になるのは20世紀になってから。
2011-07-19 21:16:43「専修学校」が1880年,東京専門学校(後の早稲田大学)が1882年ですね。いっぽう東京大学ができたのが1877年。 RT @matiasauquebaux: 法経では専修が最初だと思うんですが http://t.co/EcPLFt9
2011-07-19 21:24:54東京大学ができたときには確かに教授の大半が外国人で外国語で授業をやっていましたが,数学の菊池大麓(ピアソンの同級生)など日本人の教授もいたわけで,彼らが英語だけで授業をしていたとも考えにくいです。
2011-07-19 21:30:23専修は公式に日本語による講義を「看板」にしたのが一番早かったようです。 RT @ynabe39 東京大学ができたときには教授の大半が外国人で外国語で授業をやっていましたが,菊池大麓(ピアソンの同級生)など日本人の教授もいたわけで,彼らが英語だけで授業をしていたとも考えにくいです
2011-07-19 21:36:26どうやらその「日本語による教育を看板にする」ということのオリジナリティが問題であるようですね。 RT @matiasauquebaux: 専修は公式に日本語による講義を「看板」にしたのが一番早かったようです。
2011-07-19 21:38:05ここが昔から分からないんです。英語だけでやってた可能性もあるんじゃないかと。日本語で授業してる先生は馬鹿にされそうだしw @ynabe39 日本人の教授もいたわけで,彼らが英語だけで授業をしていたとも考えにくいです。
2011-07-19 21:39:22なお,私学での日本語による教育がはじまった時期はほとんど同じで,最初の日本語による講義が東大であっただろうことに全く異論はないです。 RT @ynabe39 いずれにしても日本の私学高等教育は1870年代末から1880年代初めにほとんどダンゴ状態で始まって,(略)
2011-07-19 21:39:34それは実際に「わからない」が答え。 RT @TOGO_Masanaga: ここが昔から分からないんです。英語だけでやってた可能性もあるんじゃないかと。日本語で授業してる先生は馬鹿にされそうだしw
2011-07-19 21:40:30明治10年代初頭から文部省は「邦語」による高等教育の実現を目指し、各種の学制改革を始めて、日清戦争前後に完了します。「留学」と「講座制の成立」と「人事」を史料として研究されている分野ですね。 @ynabe39 @TOGO_Masanaga
2011-07-19 21:45:24早稲田や専修の「邦語」による教育は、当時では「変則教育」と呼ばれていた簡易な速成教育を実質的には指しているはずです。明治10年代は英語で行う教育を「正則教育」と呼んでいました。 @ynabe39 @TOGO_Masanaga
2011-07-19 21:47:13@ynabe39 東大での菊池大麓氏の講義は初めすべて英語だったらしく。東京大学が出来た3ヶ月後の明治10年7月の官員名鑑によると、理学部の日本人教授の中で最上級が、5等教授が矢田部良吉、4等教授に菊池(同年6月帰国後より)、教授補に山川健次郎他二名、後は全てお雇い外国人の模様。
2011-07-19 21:47:36それで英語学校を母体とする正則学園は「正則」なんですかね。 RT @highok: 早稲田や専修の「邦語」による教育は、当時では「変則教育」と呼ばれていた簡易な速成教育を実質的には指しているはずです。明治10年代は英語で行う教育を「正則教育」と呼んでいました。
2011-07-19 21:50:55「講義録」が残っているものしか分かりませんね。いくつか見た記憶では、文法は日本語で、ボキャブラリーは英語とドイツ語というものがありました。助詞と助動詞だけ日本語で、あとはアルファベットという感じで。 @ynabe39
2011-07-19 21:51:59「スピーキングイングリッシュはベリーウェルよ」的な日本語には伝統があるんですね。 RT @highok: …いくつか見た記憶では、文法は日本語で、ボキャブラリーは英語とドイツ語というものがありました。助詞と助動詞だけ日本語で、あとはアルファベットという感じで。
2011-07-19 21:53:21たぶんそうじゃないかなあという気が。他にも「正則を旨とする」と教育方針を掲げていた学校がいくつもあったような。そうだ、慶応とか、正則部と変則部を両方持っていたんじゃなかったかな・・・うろおぼえ。 @ynabe39 それで英語学校を母体とする正則学園は「正則」なんですかね。
2011-07-19 21:55:50そりゃそうですよ。日本人教授もほとんど洋行帰りでしょう。RT @inotti: @ynabe39 東大での菊池大麓氏の講義は初めすべて英語だったらしく。東京大学が出来た3ヶ月後の明治10年7月の官員名鑑によると、理学部の日本人教授の中で最上級が、5等教授が矢田部良吉、4等教授に菊
2011-07-19 21:56:11@highok @ynabe39 @TOGO_Masanaga ん?正則教育…当時、留学は色んな国に行っていた様な…仏、蘭、独、英、米等々。英語だけの授業を行うのみではなさそう。
2011-07-19 21:57:51言われれば「そりゃそうだよ」と思うことがちゃんと論拠や資料を伴って述べられるのが学問です。 RT @hangium: そりゃそうですよ。日本人教授もほとんど洋行帰りでしょう。
2011-07-19 21:58:04