vikingjpn先生の語る理想の博士論文と、piyota0による企業博士異論

vikingjpn先生の修士論文・博士論文・若手研究者独立の道などに関する連続ツイートと、同じ時間帯にPiyota0のTLに流れていた博士課程に関するツイートを、ゆるくまとめました。他にもリーディング大学院とかについても流れていたのだけれどもそちらはまとめきれませんでした。
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@vikingjpn

「博士課程ではボスの言う通りにするか、それとも自力で我が道を行くか?」僕は以前にも呟いた通り、本人の気質次第で決めるべきだと思います。そのためには修士までのトレーニング内容が重要。 http://t.co/U5bb1na

2011-07-21 18:42:42
@vikingjpn

野心的でギラギラした学生は修士で基礎を身に付けた上で、博士では我が道を行けば良いと思う。生真面目で手厚い指導のもと丁寧な研究がしたい学生は、何はともあれ博士ではボスの言う通りにやるべきかと。 http://t.co/U5bb1na

2011-07-21 19:05:00
@vikingjpn

ただ、「ボスの言う通りに研究を進める」というのが、ボスの劣化コピーを作るだけという不毛な結果に繋がってはならないとも思う。ボスの指導に沿った上で、ある程度オリジナリティを出していかなければ、学位を取った後の方向性に困ることになる。

2011-07-21 19:08:28
@vikingjpn

そもそも僕の認識では、卒論は「論文を書く練習」、修論は「研究をする練習」、博論は「研究者になる練習」。なので、博士課程でボスの手厚い指導にひたすら沿って研究するという態度自体にしっくり来ないものを感じる。研究者に自立心が不可欠である以上、博士課程では自立心を養うことも大事。

2011-07-21 19:13:40
@vikingjpn

その意味では、修士課程の間はボスの言う通りにひたすら沿って研究するという方策も良いと思うけど、博士課程では時にはボスにぶつかっていく気概も大切だと思ってる。ってか、そうでなければいつまで経っても「自分で」研究できるようにはなるまい。

2011-07-21 19:23:29
@vikingjpn

さらに言うと、研究者になるというのは一人一人が自ら「他の何者にも代え難いエキスパート」を目指す、ということだと僕個人は思ってる。だから、博士課程においてボスから学ぶべきは「そのようなエキスパートになるための方法論」であって、エキスパートの中身そのものではないと思うのだ。

2011-07-21 19:35:12
@vikingjpn

ちなみに、(特に修士限りで就職する場合は)修士課程はそこまでのガチガチのエキスパートを育てる場ではないと僕は思ってるので、好きにラボを選んで、そこで単純にボスとうまく付き合い、修論さえ出せればOKだと思う。

2011-07-21 19:39:12
@vikingjpn

博士課程の話に戻る。博士課程で自立心を養うことは重要だけど、ボスの路線から外れすぎると他メンバーとの共著などが減ってしまい、論文数が稼げなくなる危険性も。他方ボスの路線にべったりだと死ぬまでボスの劣化コピーを生産し続けてグラントなどのおこぼれに与って生きるしかなくなることも。

2011-07-21 19:58:38
@vikingjpn

昨日呟いた「卒論は『論文を書く練習』、修論は『研究をする練習』、博論は『研究者になる練習』」という表現だけど、勿論これはあくまでも僕個人の経験や後輩たちの様子から端的に纏めてみたものでしかない。でもそんなに的を外してもないつもり。

2011-07-22 11:24:39
@vikingjpn

卒論が「論文を書く練習」である理由。それは、学生が初めて未知の事柄に臨んだ体験をIMRAD方式で記述する場だから。学生実験レポートもIMRAD方式を要求されるが、それは大抵既知の事柄に過ぎない。「とにかく書けば良い」という評価基準になっているところが多いのもポイント。

2011-07-22 11:31:24
@vikingjpn

修論になると、後々投稿論文としてまとめる(それは指導教員の仕事かもしれないし本人が博士課程に進んでからやるかもしれない)ことを念頭に置くケースもあり、ある程度オリジナリティが要求される。修論が「研究をする練習」たる所以である。

2011-07-22 11:35:11
@vikingjpn

博論は「それが書き上がって審査を通せるようになったらもう一人前の研究者」という前提のもとで書かれる。学振DCなど競争的リソースを獲得した上で研究が行われることも多い。共同研究を学生自ら企画し研究のボリュームを積み増すような努力も重要。博論はまさに「研究者になる練習」なのだ。

2011-07-22 11:39:50
@vikingjpn

だから博論を書き上げて学位を得たら、(研究資金やグラントはまだ取れなくても良いが)一人でテーマを定めて研究を遂行できなければならない。その能力を証明するのが博論である以上は。裏を返すと、学位取得後もボスにべったりでないとやっていけないようならそもそも博士号に値しない。

2011-07-22 11:45:41
@vikingjpn

とは言え、「学位取得後もボスにべったりでないとやっていけないようならそもそも博士号に値しない」というのが綺麗事に過ぎないのも事実。特にボスに力があればグラント類の競争的リソースにもありつきやすくなるし、何だかんだでボスのテーマの延長でやっていく人は非常に多い。

2011-07-22 11:58:21
@vikingjpn

だが、綺麗事であってもやはり「学位取得後はボスの路線からは離れて自立心を持って研究に臨む」ことを博士の学生には望みたい。以前あるラボの研究会に出たらボスと学生とOBのポスドクの全員が全く同じことをスズメの合唱みたいに揃って喋ってて気持ち悪いと思ったが、ああなってはいけない。

2011-07-22 12:11:52
@vikingjpn

まぁでも、綺麗事が通らずボスの劣化コピーのままで良いと思ってる研究者が多いから、日本発の研究が陳腐化して、なかなか国際的なインパクトを与えられないという結果に繋がってるんじゃないかと思う。

2011-07-22 12:38:28
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

「精密な歯車としての高度な知識・技術・経験を持った即戦力研究者」も、養成する必要があるんじゃなかろうか。サラリーマンとしてやっていけるためのスキル=理不尽に対する我慢、忍耐かも。

2011-07-22 11:52:57
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

日本企業が課程博士を採用したがらず、でも中途採用は博士が有利だったり、内部で幹部候補生には論博をとらせたがる理由は、なぜか?コミュニケーションスキルといっているが、ようは業務命令不服従のリスクなのではなかろうか。

2011-07-22 12:03:58
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

企業で活躍する理想の博士像というのが、僕のなかにあるので(残念ながら僕はドロップアウトしたが)、僕は日本のアカデミック大御所先生らがこれまで積み上げてきた「独創性」に関する議論を、そのまま敷延して大学院教育に取り込むのには反対かも、です。

2011-07-22 12:14:21
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

まあ、どういう人材を育成するつもりなのかは、空虚な美辞麗句じゃなく本当のところを、大学院案内のアドミッションポリシーとディプロマポリシーの項目に、ちゃんと提示すべきなんだけど、ですね

2011-07-22 12:42:52
@Jun_Trasm

D論は日本語で書いてもよい、ということを知らなくて(師匠が教えてくれなくて)、泣きながら英語で書いた。おまけに師匠は11月くらいからD論の締め切り直後まで長期海外出張という状態。大体、「D論?ああ、書けるよね?うん、書ける書けるあっはっは。ボクがいなくても出していいからね。」と。

2011-07-24 01:20:09
@vikingjpn

@teppeif7 僕はこれまで4人のボスに仕えましたが、半分が放任、半分が管理タイプでした。どっちもどっちですが、マイクロマネージする方が論文の「数」だけは出ますね。でも高IF誌にはなかなか恵まれない気もします。

2011-07-24 13:10:36
Shohei @shohei_07

博士課程の学生はどういう位置づけなのでしょうか?RT @mmurakam アメリカの生命科学系のPIは学者というより、ベンチャー企業のトップ。ひたすら論文とグラントを書き、アイディアを売って金を集め、それをもとに人を雇って成果を出す。成果が出なければすぐ倒産。

2011-07-25 12:14:46
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

どうすれば独創性を鍛えうるか?逆説的であるが、多くの分野・過去の事例・新しい技術・基礎理論に精通し、問題解決能力を極限まで磨く、という道筋はどうであろう。「万能の問題解決能力」は独創性に通ずる。あとは、既存の問題に対して、極端な境界条件を設定して、そこで問題解決に成功すればよい。

2011-07-25 01:25:56
☆★圧倒的に成長したヌー卜リアは力ピバラと区別がつかない★☆ @piyota0

独創性は、単にそれを磨くだけでなく、自分の独創性の程度をしっかり把握し、独創性の加減を自由自在につけられるようにすると更によいんだと思う。つまり、必要に応じて、「自分には独創性がない」ふりができるということだと思う。

2011-07-25 01:29:38