渡邊先生のつぶやき 行動の「予測」と「制御」

まとめました。
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渡邊芳之 @ynabe39

いくつかの本にも書いたことだけど,そもそも「人間行動の予測」と「人間行動の制御」はそれぞれ別の目的で行われるものだし,方法論的にもまったく別でありうるし,歴史的に見ればむしろ「対立する思想」ですらある。

2011-07-26 06:49:57
渡邊芳之 @ynabe39

「予測の精度を上げる」ためには人間は「変わらないもの」であればあるほどいいし,人間の「変わらない面」に注目するほうが合理的である。たとえば2時間後の気分を予測するより2時間後の身長や体重を予測するほうが容易なのは身長や体重のほうが変化がゆるやかだからだ。

2011-07-26 06:55:24
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう「制御する」ためには人間は「変わるもの」でなければならないし,制御できるのは人間の「変わる面」だけである。2時間後の身長や体重は制御できる可能性よりも,2時間後の気分を制御できる可能性のほうが高いだろう。

2011-07-26 06:57:02
渡邊芳之 @ynabe39

予測志向を取るか制御志向を取るかで「そもそも人間のどこに注目するか」が変わってくる。これが心理学の短い歴史のなかでも何度となく繰り返されてきたことだ。

2011-07-26 06:58:21
渡邊芳之 @ynabe39

そんなことは全然ないと思います。「制御」のために必要なのは「制御の結果の予測」(予測といわず見通しで十分)だけで,制御の対象でないものを予測する必要はありません。 RT @rixaw: 「予測」できないと「制御」できないのでは? 

2011-07-26 06:59:37
渡邊芳之 @ynabe39

昨日も書いたように,究極の予測志向は理論や「説明」を必要としない。未来の行動の最良の予測子は「現在や過去の行動」であり,「いまこういう行動をしているから将来も同じ行動をするだろう」「以前こうだったからまたそうするだろう」が最も高い予測力を提供する。

2011-07-26 07:04:51
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう制御はどうかというと,制御も究極的には理論を必要としない。「行動に影響を与えそうな要因」を総当たり的にいじって,結果として行動に影響を与えたものを選択していけば,「なぜそうなるのか」とは無関係に行動の制御はできるようになる。

2011-07-26 07:07:12
渡邊芳之 @ynabe39

もう一度言いますが「行動の制御に行動の予測は必ずしも必要ありません」。 RT @y_mochizuki: 行動を制御するには、確かに予測が必要ですね。 RT @rixaw: 「予測」できないと「制御」できないのでは? 

2011-07-26 07:07:46
渡邊芳之 @ynabe39

このように,予測も制御も,それ自体では「行動の説明や行動の理論」を必要としない。

2011-07-26 07:09:21
渡邊芳之 @ynabe39

「こうしたらこうなるだろう」という「予測」と,自分はなにもしないで「こうなるだろう」と「予測」することにはものすごい距離と違いがある。

2011-07-26 07:15:35
渡邊芳之 @ynabe39

個人的には「制御や介入をイメージしない人間行動の予測」にどんな意味と必要性があるのかはよくわからない。赤の他人の自分とは関係のない行動がどんなに高い精度で予測できても,それが何の役に立つだろうか。

2011-07-26 07:18:47
渡邊芳之 @ynabe39

ちょっと前に戻ると,予測と制御はそれぞれ単独では理論を必要としないことはわかった。では理論はいつ必要になるかというと「予測と制御をひとつのシステムに統合しようとするとき」だと思う。条件づけによる「学習の理論」はその典型的なものだ。

2011-07-26 07:20:28
渡邊芳之 @ynabe39

ただその場合も,理論の役割は「予測と制御を同じ原理で説明する」ことだけで,理論があると予測の精度が上がったり,制御できる行動が増えるとも限らない。むしろ逆の場合もあるだろう。

2011-07-26 07:22:34
渡邊芳之 @ynabe39

自分はその人と何の関係もなく,その人と今後なんら関係を持つ可能性がない人の行動を予測する,ということが「知的好奇心」以外にどんな意味を持つだろうか,ということです。

2011-07-26 07:24:09
渡邊芳之 @ynabe39

心理学者の多くは学部時代に「心理学の目的は人間行動の説明,予測,制御である」みたいなことを習っていて,そのときにこの3つが「ひとつのことの3つの側面」であるようなイメージを植え付けられる。たしかに3つは「心理学の3つの側面」ではあるのだけれど,実際にはそれぞれ独立に成立しうる。

2011-07-26 07:27:56
渡邊芳之 @ynabe39

ただし,もし「人間行動の完全な理論的説明」というのができるなら,そこから予測も制御も上手にできるということはあるだろう。スキナーもそれを目指したわけだ。しかしわれわれが実際にそのような「理論的説明」を手に入れているとは言いがたいと思う。

2011-07-26 07:29:07
渡邊芳之 @ynabe39

心理学における「予測」と「制御」とはなにか,ということもそのうちきちんと整理しないといけないな。予測志向と制御志向,変わるものと変わらないものの問題については「心理学史の新しいかたち」(誠信書房)や「心理学・入門」(有斐閣)に書いた。

2011-07-26 07:32:04
渡邊芳之 @ynabe39

心理学の歴史においては「予測志向」が「遺伝決定論」と,「制御志向」が「環境決定論」とくっついていたことはごく自然だし,その傾向は今後も基本的には変わらないだろうと思います。

2011-07-26 08:09:58
渡邊芳之 @ynabe39

ピアソンの仕事とスキナーの仕事を対比してみると面白い。

2011-07-26 08:10:22
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「予測」は「記述」の一部なのではないかとも思う。たとえば「母は毎朝6時に起きる」という法則性の記述はごく自然に「母は明日も6時に起きるだろう」という予測を含む。ここでも「予測は理論や説明がなくてもなんら問題なく成立する」。

2011-07-26 08:16:22
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう「母は毎朝6時に起きる」という記述は「母を朝7時に起こす」ことについてはなにも述べないし,いっぽう「母を朝7時に起こす」ために「母は毎朝6時に起きる」ことを知っていることは必須でない。何時に起きる人であろうが7時に電気ショックを与えれば高い確率で起きる。

2011-07-26 08:18:16
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学は「実験」によってものすごく進歩したんだけど,実験というのは「こうしたらこうなるだろう」と予想して試してみることだ。

2011-07-26 08:22:11
渡邊芳之 @ynabe39

機能主義の重要な構成要素が「予測と制御」なんだなあ。

2011-07-26 08:23:12