『放射線被曝の歴史』(中川保雄)から

@Shimazono(島薗進)氏のツイートより。   『放射線被曝の歴史』(技術と人間 1991/09)  http://amzn.to/vScgAU 『増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで―』(明石書店 2011/10/20) 続きを読む
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中川 均 @naka8952

@ni0615 @Shimazono 晩発性障害のガンが統計を無視して老人病としてのガンの海の中に溺れさせられていくという話、身にしみました。きっとチェルノブイリでも公式の統計としてはその憂き目に会ったのでしょう。この事、銘記しておきます。

2011-08-06 15:50:20
中川 均 @naka8952

@ni0615 @Shimazono 深刻ですね。それがやがて日本の現実になっていくのでなければいいのですが。

2011-08-06 15:53:08
島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』。ブログhttp://t.co/ZPPu6u0 とツイッターでの紹介終わりました。以下にきれいにまとめて下さってあります。http://t.co/4mjUnjS 核開発側の根源的な被害過小評価体質と次第に被害を認めざるをえなくなる経緯がよく分かります。

2011-08-06 22:55:17
田島なおき(被ばく受忍返上) @ni0615

@Shimazono 教えていただいて、 http://t.co/yxPmQuk 本日18:30現在、1,640 アクセスです。ありがとうございました。

2011-08-07 18:33:27
島薗進 @Shimazono

再刊は秋、明石書店からとのこと。1章付け加わるとのことです(研究会の方が執筆とか)。楽しみです。@champoolcan 中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年)について-島薗進氏 @Shimazono による紹介【増補版8】

2011-08-13 06:50:51
伊藤公紀 @Itoh_Kiminori

1991年に亡くなった中川保雄氏(神戸大教授、科学技術史)の『放射線被曝の歴史』(技術と人間社、1991年)の古書を入手。原発推進のために、被曝影響を過小評価することに心が砕かれて来た歴史。ICRPの正体がやっと分かった。その勧告内容がなぜ分かりにくいのかも了解。

2011-08-24 23:42:46
伊藤公紀 @Itoh_Kiminori

中川保雄氏の『放射線被曝の歴史』(技術と人間社、1991年)は、氏が1987~1988年にアメリカ滞在したときに収集した資料に基づいている由。ICRP成立の背景や、勧告基準が移り変わってきたことの意味や事情が良く分かる。こんな本は他にない。

2011-08-24 23:53:10
伊藤公紀 @Itoh_Kiminori

中川保雄氏『放射線被曝の歴史』(技術と人間社、1991年)の記述によれば、ICRPの基準は被曝影響の過少評価に基づき、最低限守るべき値と捉えるべき。下がり続けて来たので、今後下がる可能性も大きい。従って、とりあえずICRP勧告値の1/10以下を目安にすると良いのではないか。

2011-08-25 00:12:07
島薗進 @Shimazono

ジョン・ゴフマン『人間と放射線−医療用X線から原発まで』(明石書店再刊、原著81年初刊91年)奥付9/10。訳者は小出裕章氏、今中哲二氏ら。777頁という大著だが健康影響論争の論題を「自分で考える」ための基礎になる。なお、中川保雄『放射線被曝の歴史』は10月中旬刊行とのこと。

2011-09-07 08:52:58
明石書店 @akashishoten

中川保雄さんの『増補 放射線被曝の歴史』ができあがりました。書店には10月20日頃から並びます。福島原発事故の評価とICRP2007年勧告についてまとめた章を加えています。単位もわかりやすいようにレムやラドのあとにシーベルトを付加しました。http://t.co/Ob4EY7TB

2011-10-14 18:18:34
島薗進 @Shimazono

中川保雄『〈増補〉放射線被ばくの歴史』明石書店、奥付は10/20。中川慶子夫人による「増補版あとがき」も単身滞米中の著者の研究状況が点描されていて「旧版あとがき」とあわせ有益かつ赴き深い。骨身を削る徹底した資料収集、アメリカの研究者との交流の様子など。頭が下がる研究姿勢。

2011-10-17 23:20:47
島薗進 @Shimazono

科学史家の故中川保雄さんの1991年の遺著が『増補 放射線被曝の歴史』(明石書店)としてこのほど刊行されました。この本を読むとICRPがどのような機関であるか、かなり見えてくると思います。@yukkeloveC ICRPに関しては私も同じような見解を持っています。

2011-10-18 23:11:48
広野町 修行院 @hironoshugyoin

昨日、Amazon経由で中川保雄『<増補>放射線被曝の歴史 -アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』を入手しました。同書の関連情報をブログにアップしておきました。 http://t.co/cMk1cz1l #iwaki #hirono #naraha #いわき #広野町 #楢葉町

2011-10-24 10:38:43
明石書店 @akashishoten

【重版出来】『増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』(中川保雄・定価2,415円) #重版

2011-11-10 18:20:58
井上保子 @yamanekomadam

今こそ読んで欲しい本、復刊しました。中川保雄著「放射線被曝の歴史」明石書店発行。48歳で亡くなった先生の20周忌、そして復刊を記念する会が明日開かれる。この珠玉の一冊、福島の項を新たに仲間の研究者達が加筆している。でもね、本当は先生に会いたい、聞きたいことが山ほど…でもいない

2011-11-11 18:46:46
藤田康元(すべての侵略戦争反対、オリンピック・パラリンピック廃止、東海第二原発廃炉) @ngesuya

ついでにこちらも。科学史家、故中川保雄氏の名著。旧版はすでに商売をたたまれた「技術と人間」から1991年刊。ちなみに私も科学史家の端くれです。死ぬまでにこういういい仕事をしたいです。 〈増補〉放射線被曝の歴史 - 株式会社 明石書店 http://t.co/6t75UwDA

2011-12-02 01:51:42
明石書店 @akashishoten

本日(12月7日)の毎日新聞大阪朝刊に『放射線被曝の歴史』の著者、中川保雄さんについての記事が掲載されました。取材・執筆は社会部の牧野宏美さんです。中川さんの妻、慶子さんがインタビューを受けています。ぜひご一読ください。http://t.co/sM2Qlx9q

2011-12-07 15:41:40
島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』復刊の意義。毎日大阪12/7 「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う」「ヒバクを強制する側が、強制される側に」http://t.co/8zJqLNdr 

2011-12-07 16:56:16
島薗進 @Shimazono

続・中川保雄『放射線被曝の歴史』復刊。毎日12/7大阪朝刊「ヒバクがやむをえないもので我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準。原子力開発の推進策を政治的に支える手段だ」と厳しく批判」「放射線被曝の人体への影響が過小評価されてきた歴史を」

2011-12-07 16:56:55
島薗進 @Shimazono

続々中川『放射線被曝の歴史』「告発した本の中で、20年前に書かれたこの言葉が今、重く響く」「医師に告知を止められた慶子さんは、「完成させないまま亡くなったら後悔する」と「3日間寝ずに悩んだ末伝えたという」「中川さんは激しい痛みに耐えながら病床で口述、慶子さんがワープロに入力した」

2011-12-07 16:58:56
島薗進 @Shimazono

続々々中川保雄『放射線被曝の歴史』復刊「入稿を終えた91年5月に死去。慶子さんと息子2人が校正した。「読み進めるたびに胸が詰まり、泣いてばかりいました」。原発を止めなくてはいけない、という気持ちがますます強くなったという」慶子夫人らの「原発の危険性を考える宝塚の会」は今も健在

2011-12-07 17:03:49

ニュースUP:「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言=社会部・牧野宏美 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20111207ddn013040048000c.html

ニュースUP:「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言=社会部・牧野宏美

<おおさか発・プラスアルファ>

◇弱き人々の側に立て

 神戸大教授だった故中川保雄さんの著書「放射線被曝(ひばく)の歴史」が福島第1原発の事故後に脚光を浴び、10月に復刊した。病床でこの本を手がけ、20年前に48歳で亡くなった中川さんは生涯を懸けて何を訴えようとしたのか。妻で、遺志を継ぎ兵庫県宝塚市で反原発運動を続けている英文学者の慶子さん(69)を訪ねた。
 ■過小評価を告発
 「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う」。放射線被曝の人体への影響が過小評価されてきた歴史を告発した本の中で、20年前に書かれたこの言葉が今、重く響く。
 「福島の事故以降、原発や被曝について、あちこちから講師に呼ばれることが多くなった。空いてる日がないくらいなの」。宝塚市内の自宅で、慶子さんはおっとりとした口調ながら、複雑な表情を見せた。リビングには生前の中川さんの写真が飾られ、仏壇に復刊した本が供えられている。「もし夫が生きていたら事故にものすごくショックを受け、忙しく飛び回ってまた体を壊してたかもしれませんね」
 中川さんが反原発運動に本格的に取り組むようになったのは79年の米スリーマイル島原発事故がきっかけだ。80年に研究者仲間と「反原発科学者連合」を結成し、各地で学習会を開いたり、原発の下請け労働者の実態を調べた。81年には慶子さんを誘い、自宅のある宝塚市で市民団体「原発の危険性を考える宝塚の会」をつくった。中川さんが国内外を飛び回り多忙を極める一方、慶子さんは仕事と子育てをしながら、地元で無農薬野菜の共同購入をしていた友人らと学習会を開くなどした。
 ■20年前の名著に光
 「放射線被曝の歴史」は91年出版。工学博士で科学技術史を専攻していた中川さんが87年に渡米して入手した資料などから、国際的権威とされる国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護基準がどのように作られ、変遷したかを丹念にひもといている。
 著書によると、ICRPは原子力開発を推進する米国の強い影響を受け結成された。中川さんは、防護基準について「ヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクがやむをえないもので我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準。原子力開発の推進策を政治的に支える手段だ」と厳しく批判。一貫して、原発労働者や子どもら「社会的に弱い立場にある人たち」の側に立ち、防護基準のもとになった原爆傷害調査委員会(ABCC)の被爆影響の過小評価の問題や、原発事故の危険性を鋭く指摘する。
 絶版になっていたが、事故後、ICRP勧告をもとに政府が設定した年間被曝線量の上限値が高すぎるなどの声が高まる中、インターネット上で話題になり、ネットオークションでは数万円の高値がついた。東京大の島薗進教授(宗教学)は自身のツイッターで「早急に復刊すべきだ。なぜ多くの『専門家』が理解困難な放射能安全論を説くのか理解しやすくなるはず」などと評価した。米国の核戦略を研究する広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師(アメリカ史)は「原爆投下時の残留放射線などの過小評価が現代にもつながっていることがよく分かる。『科学的』とされる情報に疑問を持つことから出発していて、研究者として人間として強く共感した」と話す。6月に出版社から慶子さんに復刊の打診があり、中川さんの研究者仲間が加筆し出版することになったという。
 ■痛みに耐えながら
 中川さんは奈良県出身。61年に大阪大工学部に入り、応用物理学を学ぶ傍ら、ベトナム反戦運動などにも関わった。文学部の同級生だった慶子さんとは学内の合唱団で知り合う。「思慮深く実行力があって、魅力的な人でした」。2人とも大学院に進み、67年に結婚、慶子さんは私立大の教員になった。博士課程を終えた中川さんは大阪府の教職員研修施設に就職し、科学技術史に専攻を変えた。78年に神戸大の講師になった。
 しかし、90年秋に末期の胃がんと分かる。当時、研究の集大成となる「放射線被曝の歴史」を執筆中だった。医師に告知を止められた慶子さんは、「完成させないまま亡くなったら後悔する」と3日間寝ずに悩んだ末、伝えたという。
 中川さんは激しい痛みに耐えながら病床で口述、慶子さんがワープロに入力した。入稿を終えた91年5月に死去。慶子さんと息子2人が校正した。「読み進めるたびに胸が詰まり、泣いてばかりいました」。原発を止めなくてはいけない、という気持ちがますます強くなったという。宝塚の会の代表を引き継ぎ、20年間こつこつ活動を続けてきた。
 「中川さんは私たちの中で生きている」。11月、復刊と没後20年を記念する集いが大阪市内であり、ともに運動した研究者や市民、原爆被爆者ら約50人が集まった。「福島での健康調査は不十分」など事故の対応を批判する声も多く出た。慶子さんは「夫もどこかから見ている。今頑張らないとね」と自らを奮い立たせるように言った。
 事故後の社会は、最も弱い立場の人たちをきちんと「遇して」いるだろうか。集いからの帰り道、私は中川さんの言葉を思い出し、自分自身に問いかけた。「増補 放射線被曝の歴史」は2415円、明石書店(03・5818・1171)。

毎日新聞 2011年12月7日 大阪朝刊

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