「太平天国」 菊池秀明

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GMBO2008 @GMBO2008

むろん太平天国は中国が長くかかえてきた問題点を解決できたわけではなかった。むしろ太古の昔に範を求めた政策は現実とのギャップが大きく、内部分裂とヨーロッパ諸国を含む敵対勢力攻勢によって破産してしまうからである。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 13:03:03
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だが実のところ、近代を目の前にした中国にとって、皇帝を頂点とする硬直した統治体制をどのように変えていくかは重要な課題だった。それまで封建制度のもとで分権的な社会が続き、近代に入って中央集権化がめざされた日本やヨーロッパとはスタートラインが異なっていたのである。 「太平天国」 菊池

2021-03-21 13:03:03
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太平天国の南京攻撃は旗人の虐殺という血塗られた結果に終わった。太平天国史の研究者で、クリスチャンだった簡又文氏は、太平天国が滅満興漢の民族主義を掲げ、また頑強な抵抗に遭って無数の戦士が犠牲になったのだから、 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:31:28
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城が陥落すれば虐殺が起きるのは「自然な人情」だと述べる一方で、「残酷にして人道なき暴行は、古代に行われた戦争の特徴であって、現代文明においては許されざることである」と評している。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:31:29
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太平天国の蜂起と快進撃が偶像崇拝を否定する上帝会の教えから生み出されたことは間違いない。上帝教は既存の神々から見捨てられていた辺境の下層移民に希望を与え、厳格な戒律と相まって人々の積極的な行動をひきだした。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:36:54
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だがそれは偶像崇拝者とみなされたものたちに対する排撃と表裏の関係にあった。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:36:55
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これらの部署は「百工の技芸は帰する場所があり、軍中で必要な物資は立ちどころに備えられた」とあるように、技能をもつ人々を効果的に動員することができた。このうち織営は南京の特産だった織物の職人を集めた部署であったが、兵役の忌避を願う者が1万人以上も集まった。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:45:40
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また老民館、能人館は従軍できない老人、身体障害や疾病のある者を収容し、屑拾いや掃除などを行わせた。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-21 23:45:40
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1855年9月に楊秀清はすべての男女に結婚と夫婦同居を認める詔を出し、南京の男館、女館制度は事実上撤廃された。この頃、南京付近で活動していた先のカトリック神父は集団結婚式の様子を目撃した。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-23 22:56:45
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それは功績をあげた老兄弟に女館の若い女性を娶らせるもので、望まぬ結婚を強いられた娘たちの多くが自殺したという。太平天国は、「婚姻は財産の多寡を論じない」ととなえ、一般の兵士については一夫一婦制を原則として証明書を発行した。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-23 22:56:45
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だがそれは伝統的な男尊女卑に基づく婚姻制度を変えるものではなく、むしろ婚姻は天父(実質は諸王)が将兵に与える「恩恵」と見なされた。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-23 22:56:46
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客家と言えば、外敵の侵入を防ぐために作られた「土楼」と呼ばれる要塞型の住宅が有名である。この土楼では同族の人々が一律の大きさの部屋を割り当てられ、共有財産を頼りに生活したという。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-23 23:02:28
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いま誤解を恐れずに言うなら、「上帝のもとでの大家族」の実現をめざした太平天国当時の南京は、それ自体が一つの巨大な土楼だったと見ることができる。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-23 23:02:29
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明清時代の中国では地方政府が急増する行政サービスの需要に対応できなくなり、地元の科挙エリートが公共事業などを担う形でその空白を埋めていた。董事も社会の成長を背景に台頭してきた新興の地域リーダーであったが、清朝の地方統治制度では彼らの力を活用する場所がなかった。 「太平天国」 菊池

2021-03-28 00:03:29
GMBO2008 @GMBO2008

太平天国が長江中流域に進出すると、これらの人々は「公局」と呼ばれる一種の「自治」組織を設け、豊かな家に食糧を供出させて貧民の救済を行った。また彼らは規定額をはるかに超えた清朝地方政府の納税要求を拒否した。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:03:29
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太平天国の郷官制度はこうした社会の変化に形を与えるものとなり、彼らが地方統治に参与する道を開いた。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:03:30
GMBO2008 @GMBO2008

中国では歴代王朝の地方統治が及ぶ範囲は州県と呼ばれる行政所在地に止まり、村落まではほとんど影響力を行使できなかった。太平天国の郷官制度が規定通りに実行されれば、逆に中央政府の意志が末端にまで貫徹されることになったのかもしれない。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:08:47
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1856年に『ノース・チャイナ・ヘラルド』に寄稿したあるヨーロッパ人は、石達開が支配した安慶では税率が清朝のそれに比べて軽かったと記している。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:19:06
GMBO2008 @GMBO2008

また安徽のある読書人も、太平天国の統治下の暮らしについて「物は豊かで民は安んじており、いわゆる乱世であることを忘れるほどだった」と述べている。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:19:06
GMBO2008 @GMBO2008

単純に比較はできないが、軍事的に優勢で安定した統治が実現すれば、地域住民にとって太平天国の方が構造的な腐敗をかかえた清朝地方政府に比べて「よりましな政権」であっといえるだろう。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 00:19:06
GMBO2008 @GMBO2008

湘軍が南京から派遣されてきた増援軍の指揮官たちを殺すと、太平軍は浮き足立ち、湘軍は敗走する太平軍将兵を徹底的に殺した。 むろん報告された人数には水増しもあったが、読書人であった湘軍指揮官が「敵を効果的に抹殺する」ことにエネルギーを傾けたことはまちがいない。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 22:37:38
GMBO2008 @GMBO2008

この新興エリートの血塗られた組織運営の能力こそは、近代中国を突き動かす原動力になっていく。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 22:37:38
GMBO2008 @GMBO2008

彼(曽国藩)は中央政界から一定の距離を置きつつ、地方において影響力を拡大することに自分たちの居場所を見出したのである。 皮肉なことにそれは李秀成が洪秀全とのあいだでめざした関係でもあった。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 22:49:50
GMBO2008 @GMBO2008

またそれは西太后ら清朝の中央政府が曽国藩らの存在を認めざるを得なかったがゆえの結果であり、一つの王朝の衰退期においてこそ可能な構想だったかもしれない。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 22:49:51
GMBO2008 @GMBO2008

だが同時に彼らの行動は、中央集権的な専制王朝において「分権」的な支配体制は成立可能かという問いに答えようとするものだった。巨大な中央政府の統合圧力を前に、どのような社会の多様性を確保するかは、170年前から続いている中国の課題なのだと言えよう。 「太平天国」 菊池秀明

2021-03-28 22:49:51