椹木野衣氏(あるいは三潴末雄氏)のツイートから考察する、日本の現代美術における『趣味』の伝統様式

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qual quelle @qualquelle

例えば、こんなのとか http://t.co/5KhKyKB こんなのである。http://t.co/40coCRY

2011-08-01 11:17:03
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こういうのもある。ロバート・スミッソンだ。http://t.co/yHvRQRD

2011-08-01 11:20:58
qual quelle @qualquelle

或る空間に幾つかのオブジェが並べられていて、その一々ではなく、それら相互の「関係」が「料理」になっている訳だ。べつだんフェラン・アドリアに始まった事ではないのかも知れないが、彼(ら)が四角い皿を多用する事も、その料理をますますインスタレーションのように見せている。

2011-08-01 11:26:18
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これはごはんじゃないらしいんだよ。フェラン・アドリアによると、人は「理想の客はエル・ブジに食事をしにくるのではなく、経験を積みに来る」だそうな。RT @aknmssm: @qualquelle こういうごはん嫌い…。

2011-08-01 11:29:47
qual quelle @qualquelle

美術の話をしようと思ってね。RT @aknmssm: ごはん作る人が御託並べて、説教までするのか。尚更行きたくない。「こういう経験」は食べるほかではできないのだろうか? あさみは口がおごってる人は好きだが、態度がおごってるひとはいやだあ

2011-08-01 11:35:01
qual quelle @qualquelle

しかし、御専門の向きには分かり切った話で恐縮なんだが、フェラン・アドリアが評価を集めたのは、そのインスタレーション(盛り付け)よりも奇想天外な調理法、その結果としての味や食感であった。Wikipediaによれば、彼は自らの料理を「脱構築」と称していた。

2011-08-01 11:38:18
qual quelle @qualquelle

複数のオブジェクトの関係ないし相互干渉が、一つの料理になる。フェラン ・アドリアの場合、それは盛り付けにとどまらず、厨房での奇怪な操作から、客の口中で生ずる現象に至るまでの、一連のプロセスとしてデザインされていた。

2011-08-01 11:44:22
qual quelle @qualquelle

フェラン・アドリアの仕事は、料理の「脱構築」と言っても良いんだろうが、料理のシミュラクルと言っても良さそうに思う。どうやって作っているかも、どういう味・食感かも、見ただけでは分からない。外見はヴァーチャルなもの、ないし構造や関係の全体の一部に過ぎないのだ。

2011-08-01 12:01:39
qual quelle @qualquelle

皿というホワイトキューブに、「エスプレッソカップに入った泡立てられたもの」とか「ちゅうちゅう吸うスポイトのようなもの」が置かれている。菊地成孔のエッセイ集『スペインの宇宙食』の表題作は、そのヴィヴィッドな紹介であった。

2011-08-01 12:06:37
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先のドキュメンタリー予告編の中でも、まるで化学実験のような(言い古された喩えだが)調理の様子を見る事が出来る。この奇妙な合成と計測には、液体窒素タンク、凍結乾燥器、冷凍粉砕調理器、綿菓子製造機などの機材がふんだんに用いられる。

2011-08-01 12:14:12
qual quelle @qualquelle

このドキュメンタリーがCooking in Progressと題されているのは、ブーレーズのWork in Progressを想起させる。個別ではなく総体、かつ統合ではなく動態をもって、生成変化のプロセス(プログレス)として、作曲と聴取(調理と玩味)を捉えている訳である。

2011-08-01 12:21:11
qual quelle @qualquelle

ああ、そろそろ時間なんだが、まあ要するに、フェラン・アドリアは料理そのもではなくて、そのスタイルないしフレームを作っている。「見栄え」だの「内容」だので現代性を競っている(つもりの)「現代アート」の因襲性は、こうした例からもあぶり出されるだろうという話なのである。

2011-08-01 12:28:33