今回取り上げるブログ
内容を一部引用
友人は移動の権利を私たちがどんな風に勝ち取ってきたかを知っているからそれを継承して、無人駅であっても差別されることがないよう駅員に対してよく働きかけたのだった。にも関わらずそれを「やりすぎ」とか「感謝が足りない」とか、個人的な関係の問題に矮小化しようとする発言に社会の保守化と危機を感じる。
しかし彼女は100センチの身長で2人の子供を産み、様々な発言を試み、本を出版し(ママは身長100センチ)、この優生思想社会の中に大いなる快挙を成し遂げてしまった。だから人々の中にある様々な形の羨望と妬みが、爆発的にTwitter上に現れてしまったと私には見える。
私が幼い頃には無人駅というのはなかった。駅員さんが1人しか居ない駅にはお客さんとの人間的な交流がいくつもあった。私たちは無人駅を無くす取り組みの中で人権を取り戻し、互いの人間性をさらに深め合ってゆけるに違いない。
ファーストインプレッション
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乗車拒否という差別とは何か①~~無人駅で起きたこと~~ / 安積遊歩 | 株式会社土屋 > 私が幼い頃には無人駅というのはなかった あったんだよなあ 新橋横浜開業時代に生まれた方? tcy.co.jp/blog/8607/
2021-04-21 01:44:30いやしかし印象だけで決めつけるのは良くない。もしかしたら無人駅が無かったのかもしれない。折角だから調べてみよう、というわけで—
検証
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今日もわりかし暇なのでこの記事について踏み込んだ話をしようと思う tcy.co.jp/blog/8607/ この記事には明確な嘘が2つあり 一つは件の騒動は「乗車拒否」ではないということ JR側は代替案を示しているし 「乗ってもいいけど降りる駅ではお手伝いが難しい」というのは乗車拒否にあたらない
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二つ目の嘘は「私が幼い頃には無人駅というのはなかった」という各種鉄オタをドン引きさせた妄言なのだが せっかくだから細かく検証してみよう この記事を書いた安積遊歩という方は本名が安積純子で Wikipediaによると1956年福島県生まれとある
2021-04-21 09:46:20![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「幼い頃」の定義は揺れるところがあるが 広めに見ても小学校卒業までと見て良いだろう 従って対象となる期間は1956~1968年あたりとしてみる この期間に存在した福島県の鉄道路線において無人駅があったかどうか調べてみることにする まあ調べるまでもないんだけど
2021-04-21 09:48:47![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
この時期に福島県に存在した鉄道路線は以下の通りとなる 特に表記のないものは国鉄を意味する ・東北本線 白坂~貝田 ・常磐線 勿来~新地 ・奥羽本線 福島~赤岩 ・水郡線 矢祭山~安積永盛 ・只見線 只見~会津若松 ・磐越東線 平~郡山 ・磐越西線 郡山~徳沢 続く
2021-04-21 10:08:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
・会津線 西会津~会津滝ノ原 ・川俣線 松川~岩代川俣 ・日中線 喜多方~熱塩 ・福島交通飯坂線・飯坂東線 ・磐梯急行電鉄 ・福島臨海鉄道本線・小名浜埠頭本線 多少雑だがざっと調べただけでもこれだけあった 後は各文献や記事で無人駅であったかどうか調べるだけ
2021-04-21 10:23:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
東北本線の主たる駅だが やはり幹線ということもあり無人駅は少ない 新幹線停車駅や分岐駅などは当然ながら有人駅 いくつかの駅が1984年に無人化されているが他駅からの派遣などにより限定的に切符の販売などを続けている模様
2021-04-21 10:30:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
常磐線も幹線であり殆ど有人駅 ただし現在はJR東日本ステーションサービスが駅業務を委託されている形が多い 桃内駅は1976年に無人化している 奥羽本線の福島県内駅はおおむね1984年に無人化 赤岩駅は1984年に無人化の後 利用者低迷のため2021年春に廃止
2021-04-21 10:40:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
水郡線:矢祭山、磐城石井、近津、里白石、野木沢、泉郷、小塩江は1970年無人化 南石井は1957年開業当時より無人 中豊は1958年開業より無人 川辺沖は1959年開業無人 その他主要駅を除いて1983年の水郡線CTC化の際にほとんどの駅が無人化
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只見線: 若宮、根岸1934開業無人 会津桧原1942開業無人 会津中川、会津水沼、早戸1956開業無人 会津蒲生、会津横田1963開業無人 会津塩沢、会津大塩、会津越川、本名1965開業無人 会津西、滝谷、郷戸、会津坂本、塔寺は1971年無人化 只見線は予想通りほぼ無人駅
2021-04-21 10:58:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
磐越東線は一部駅が1986年に無人化されているが8割くらいが現在も有人駅 磐越西線は安子ヶ島、中山宿、関都、が1972年無人化 堂島、笈川、姥堂、会津豊川が1934開業無人 尾登1955開業無人 その他1980年代に多数の駅が無人化
2021-04-21 11:05:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
川俣線(1972年全線廃止) 詳しい記事は見つからなかったが不採算路線だったようで 仙台鉄道管理局40年史によると「岩代飯野および岩代川俣両駅の駅長を廃し松川駅長の管理駅とする」処置を1950年代に行っており 少なくとも1960年代から廃止までは縮小営業もしくは無人だったものと思われる
2021-04-21 11:11:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
日中線(1984年廃止) 末期は「日中走らぬ日中線」と揶揄されるほど過疎路線・過疎ダイヤであったが開業当時は全駅に職員を有していた模様 終点の熱塩駅には転車台があったが戦争による人員不足で折り返しの機関車はそのままバック運転することとなり 廃線までこの運用がなされた
2021-04-21 11:16:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
福島交通飯坂線: 有人・無人に関する有効なデータ見つからず 磐梯急行電鉄(1969年廃止) 途中駅の 白津(1937年開業) 内野、荻窪、酢川野(いずれも1927年開業) 白木城(開業年不詳) は開業時より廃止まで無人駅であったとの記述があった
2021-04-21 11:25:36