中川保雄『放射線被曝の歴史』まとめby島薗進さん@Shimazono

中川保雄著『放射線被曝の歴史』(1991年、今秋再刊)の、島薗進さん@Shimazonoによるご紹介。ブログhttp://t.co/ZPPu6u0 もご参照ください。
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島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』47「50万ドルを提供した。」「BEAR委員会の報告書は、異例の早さでまとめられ、1956年6月に発表された。……(1)遺伝学上の見地からは、放射線の利用は可能な限り低くすべきであるが、医療、原子力発電、核実験のフォールアウト、核科学実験からの」

2011-08-03 13:19:51
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』48「放射線被曝を減少させることは、世界におけるアメリカの地位をひどく弱めるかもしれないので、合理的な被曝はやむを得ないと考える。(2)遺伝的影響を倍加させる線量は、5から150レム(50~1500mSv)の間にあると考えられるが…。労働者の許容線量を、」

2011-08-03 13:20:31
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』49「それまでの週0.3レムすなわち年間15レムから年5レムに引き下げるとともに、公衆に対してもその10分の1の許容線量5mSvを設定した。」アメリカはこの路線でICRPと「原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCEAR)」の説得にかかり成功するP73

2011-08-03 13:21:04
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』50「ICRPが1958年勧告で掲げた放射線防護の基本的考えは、「リスク-ベネフィット論」であった。原子力開発等によって新たにつけ加えられる放射線被曝のリスクは「原子力の実際上の応用を拡大することから生じると思われる利益を考えると」」p76

2011-08-03 13:27:17
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』51「「生じると思われる利益を考えると容認され正当化」されてよいと、ICRPは全面的にリスク容認の考えを導入した。これこそ、かつてICRPが反対したアメリカの原子力委員会とNCRPのリスク-ベネフィットの考えに他ならなかった。かつと異なっていたのは」

2011-08-03 13:27:45
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』52「先進工業国がこぞって原子力開発へと動き出した点であった」「その哲学の下に、許容線量の体系が導入された。許容線量とは「個人および集団全般に許容不能ではないような危険を伴う」線量と定義された」「それらの被曝の制限は、もはや「身体的障害を防止する」もの

2011-08-03 13:28:33
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』53「ではなかった。」「リスク受忍論を導入することが明らかになったからであろうが、ロックフェラー財団がICRPに財政的援助を申し出た。」「そのICRPの方針転換に大きな影響をおよぼしたものは…1955年の原子力平和利用会議であった。」(以上第5章p81まで

2011-08-03 13:33:04
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』54「1957年には、放射能汚染の問題が新しい時代を迎えたことを世界に示す大事件が発生した。イギリスのウインズケールで、原子力発電の歴史上初めての重大事件が起き、20000キュリーを超えるヨウ素131を含む膨大な量の放射能が環境中にまき散らされた」。

2011-08-03 13:33:39
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』55「事故の全容は、軍事機密と原発推進策を守るために隠され続けたが、事故から30年も経ってやっと明るみに出された当時の秘密文書によると、放射能汚染は当局の説明よりもはるか深刻なものであった…」こうした状況を受け「アメリカ原子力委員会は」p85

2011-08-03 13:35:40
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』56「1957年末に核施設で働く労働者の許容線量を従来の3分の1に引き下げ、安全性に気を配っていることを印象づけようとした。もちろん…死の灰への不安と批判は…おさまる気配はみられなかった。1957年から1958年にかけてのこれらの議論において」

2011-08-03 13:36:03
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』57「新たな重要な論争点になったのがガン・白血病の問題であった。すでにみたようにICRPも国連科学委員会も放射線被曝に安全な線量はないと認めたが、それは遺伝的影響に限ってのことであった。ガン・白血病についても安全線量が存在しないのか」が新たな争点(休憩

2011-08-03 13:37:28
島薗進 @Shimazono

将来何とかします。以下ご参照あれ。@katubow 中川保雄『放射線被曝の歴史』1991年島薗進氏による紹介【増補4】 http://t.co/fZVEqgT 「復刊情報など」と「要約・抜粋」を分けて図書館情報を追加しました。氏のブログ http://t.co/ZPPu6u0

2011-08-03 14:20:27
島薗進 @Shimazono

健康被害問題で重要な中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年、今秋再刊予定)。ブログとツイッターの双方で紹介中。ブログは第11章前半部http://t.co/ZPPu6u0 新期追加しました。ツイッターは以下でまとめて下さってあります。 http://t.co/fZVEqgT

2011-08-04 08:50:26
島薗進 @Shimazono

中川保雄『放射線被曝の歴史』(1991年、今秋再刊)。ブログとツイッターの双方で紹介中。ブログは第11章(1)(2)(3)の3回分載。(3)では後半で、この本が福島原発災害に苦しむ現代の私たちに何を教えてくれるか、要点のみまとめてみました。http://t.co/ZPPu6u0 

2011-08-05 15:36:13
島薗進 @Shimazono

地元で水俣病の診療・解明に取り組んで来た高岡滋医師が水俣病と比べながら今回の放射能被ばく問題にふれた論文、「水俣から福島への教訓―医学・公衆衛生の側面から―」。医療現場サイドから現在の国\福島県等の対策の問題点を整理しており、役立ちます。http://t.co/sbuKgKV

2011-08-05 21:41:45
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』58「ICRPの主要メンバーは、アメリカ原子力委員会やNCRPと同様に、ガン・白血病の発生には「しきい線量」が存在する、と考えた。しかしながら…ガン・白血病においても、しきい線量が存在するという確たる証拠があったわけではなかった。」p88(以下8/6の抜粋

2011-08-06 09:16:17
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』59「このためICRPは、しきい線量の存在を強く主張することができなかった。/仕方がないのでICRP勧告には、「もしも線量があるしきい値よりも低ければ白血病は生じないと仮定してよかろう」が、「最もひかえめなやり方」として発生率が線量に」

2011-08-06 09:17:09
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』60「比例するであろう、と仮定するというややこしい表現が盛り込まれたのだ。」「低線量被曝は安全、という宣伝をことあるごとに行っていたアメリカ原子力委員会などの原子力推進派には、曖昧な表現といえどもそれらの言及は少なからざる痛手であった。」

2011-08-06 09:17:29
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』61「1958年後半あたりから、原子力委員会派の科学者たちはガン・白血病の問題で一斉に攻勢に出た。彼らはガン・白血病などの身体的影響にはしきい線量が存在する、としきりに宣伝した。…その根拠とされたのは、長崎被爆者の白血病に関するABCCデータ等であった」。

2011-08-06 09:18:11
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』62「ABCCが広島・長崎で行ったガン・白血病の調査研究の内容に触れる前に、彼らがその研究の前提とした事柄についてまず検討しておかなければならない。なぜなら彼らの行ったガン・白血病を含む放射線の晩発的影響の研究は、ABCCの調査研究に先立つ」

2011-08-06 09:18:25
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』63「アメリカ軍合同調査委員会による放射線急性障害の調査研究の、基本的内容を受け継ぐものであったからである。」その主な結論「(1)放射線急性死には「しきい線量」が存在し、その値は100レム(1sV)」で、それ以下の線量をあびても死ぬことはない。」

2011-08-06 09:19:07
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』64「(2)放射線障害にも「しきい線量」が存在し、その値は25レムで、25レム以下の被曝なら人体にはなんらの影響も生じない。この結論は、ABCCはもちろんアメリカ原子力委員会や国防省などにも引き継がれ、放射線の影響を定量的に評価するさいの最も重要な内容と」

2011-08-06 09:19:54
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』65「みなされ続けてきた。しかし、「急性死100レム」「急性障害25レム」のしきい線量の値は全く人為的に作り上げられた結論と言えるもので、それぞれのしきい線量の値は高めに評価されすぎたものである。」「まず、急性死しきい線量100レムという結論は、」p91

2011-08-06 09:20:23
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』66「米軍合同調査委員会が1945年10月初めまでの急性死を対象として引きだしたもので、1945年10月から12月まで続いた急性死がそこでは除外されていた。第2に、被爆者が示した急性障害には脱毛、皮膚出血症(紫斑)、口内炎、歯茎からの出血、下痢、食欲不振」

2011-08-06 09:20:53
島薗進 @Shimazono

中川『放射線被曝の歴史』67「悪心、嘔吐、倦怠感、発熱、出血等があった。それらの症状は次頁の図に示すように爆心地か4ないし5キロ以遠で被曝した人々にも見られた。しかし、アメリカ軍合同調査委員会は、それらの急性障害のうち、脱毛、紫斑、口内炎のみを、放射線急性障害と恣意的に定義」

2011-08-06 09:21:18