前回のまとめ記事 ↓リンク togetter.com/li/1741871 pic.twitter.com/4uRB4ZBVnU
2021-07-11 21:06:58古代中国の神話では、海の果てまで行くと、そこは「天」とつながってて、星の世界を漕いでいったら、筏で天の川まで到着できると信じられてたのですが、『万葉集』や、藤原不比等の漢詩にも同様の内容があり、古代日本でも広く知られてたそうです。
2019-07-15 01:39:02図にするとこんな感じで、海の果てまで進んで行くと気付いたら空の上にいて、自分の姿は地上からは「彗星」として観測されてたという故事がありました。後の時代には、西域を探検した張騫(ちょうけん)もこうやって空の上に上がって行ったんだと、まことしやかに語られるようになったという訳です。 pic.twitter.com/rO9UKUULV2
2021-07-11 18:37:36万葉集っていうと「天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ」でしょうか。あんまり万葉集っぽくないというか、現代風なような中華風なようなセンスがありますね twitter.com/fushunia/statu…
2020-11-07 23:47:16浦島太郎の最初期のテキスト、船をこいで天界に行き、昴の化身に出迎えられたりしてますね twitter.com/fushunia/statu…
2019-07-15 15:44:00@fushunia 漢代の張騫が武帝の命で天の川に赴き織姫と会う伝説があることを、最近読んだ中野美代子さんの「ひょうたん漫遊記」で知りました
2021-07-07 23:46:12@kagaminenter 確認したところ西晋の張華の『博物志』には、張騫とは別人とされるのですがその説話が記述されていて、後に西方に赴いた張騫と結びつけられたようです。古代バビロニア及び中国では天空がドーム状とされてたので、海の端は空とつながってて、そのまま空に行けると考えられてたのが起源です。
2021-07-08 00:17:35この本によると、古代バビロニアでは、天空がドームのような形をしていて、海は水平線の先で天空とつながってて、空の向こうにも海があるとあり、それって中国の天空観と同じじゃないか!と思いました。なお、古代日本の天空観も同様で『万葉集』にもその描写があります。 pic.twitter.com/BsWsxGY2Qa
2021-03-07 23:36:34古代バビロニアでは、四角だとか筒形の世界も想定されてたそうです。図版中心で現代の絵を代わりに載せてたりする本なので、何の粘土板に書かれてるかとかは分かりませんでしたが。
2021-03-07 23:38:36@fushunia その世界観をもとにバベルの塔建設を石工の視点から描いたテッド・チャン作「バビロンの塔」は秀逸な短編だと思います。
2021-03-08 00:57:24@kobo_umuki 全然知らないのですが、解説してるサイトをひとつ読みました。なるほど、想像するに見ごたえのある風景ですね。
2021-03-08 01:04:58勝俣隆氏の論文「日本の神話の星と宇宙観1」(『天文月報』、1995年)によると、中国の影響を受けた古代日本でも同様の神話世界観を形成してたとされ、『播磨国風土記』や『延喜式』『万葉集』などの世界観として共有されてた上、『丹後国風土記』逸文の浦島太郎も海の果てから空に上がっていきました
2021-07-11 18:55:35『播磨国風土記』では足跡を沼に変えながら進んできた大人(巨人)が「この国は空が高いので、背中を曲げなくても立てる」と言ってて、世界(=日本)の中心に近い播磨国では空が高く、他の地方では空が低いので、巨人は身体を曲げて伏せて行かないといけなかったとあります。天はドーム型の半球でした
2021-07-11 19:03:35『延喜式』の祝詞の記述では世界の果てに「天の壁(かき)」があったとされ、そこが海であれば「海の崖」、陸であれば「地の崖」があり、舟も馬もそれ以上進めなかったとあります。『万葉集』では死んだ石田王を蘇生させるためにその崖まで何とか行って、月にある「ささらの小野」を目指す場面があります
2021-07-11 19:27:373世紀の西晋時代に書かれた『博物志』(作者の張華は正史『三国志』の作者陳寿の上司)には、浦島太郎伝説をふくむ日本古代の世界観の元になった記述がありました。
張華『博物志』(西晋時代の著作) 舊說雲天河與海通。近世有人居海渚者,年年八月有浮槎去來,不失期,人有奇誌,立飛閣於查上,多賫糧,乘槎而去。十餘日中,猶觀星月日辰,自後茫茫忽忽,亦不覺晝夜。去十餘日,奄至一處,有城郭狀,屋舍甚嚴。遙望宮中多織婦,見天丈夫牽牛渚次飲之。
2021-07-11 20:25:45牽牛人乃驚問曰:“何由至此?”此人具說來意,並問此是何處,答曰:“君還至蜀郡訪嚴君平則知之。”竟不上岸,因還如期。後至蜀,問君平,曰:“某年月日有客星犯牽牛宿。”計年月,正是此人到天河時也。 (wikiサイト「維基文庫」より)
2021-07-11 20:27:52西晋時代の文献『博物志』には、ある人がイカダに乗って、海の果てから天の川に登って行った過程が具体的に描かれてまして、昼夜の区別がはっきりしなくなったなどの体験をしてから十余日が経つと、城郭のようなものが見え、宮中に織婦(織物を織る女性)が多くいる様子が望めたとあります。
2021-07-11 20:37:55天の丈夫(立派な男性)が牛を牽(ひ)いていて、牛に水を飲ませてたのですが、天の川を通って海からやってきた人を見て驚き「どうやってここに来たのだ?」と聞き云々とあり、地上に戻った後、自分が客星(彗星)として夜空に訪れていたことを知ったという話です。
2021-07-11 20:47:03勝俣隆氏(長崎大学名誉教授)の研究によると、
『丹後国風土記』逸文の浦島太郎(当時の呼び名は「浦島子」)は、「蓬山」(蓬莱山)から、後世の昔ばなしで竜宮城と呼ばれることになる「海中のひろく大きなる島」に向かいました。中国の文献『列子』によると蓬莱山は、天の川の流れが海に注ぐ「空と海の境」付近にある山です。
そこで出会った宮殿の童子たちは、「昴星」(すばる=プレアデス星雲)と「畢星」(あめふり=ヒアデス星雲)だと名乗っているので、浦島太郎の伝説も「海の果てが天上世界とつながってる伝説」が元になってると説明されています。
そこは夜空でもある訳ですから、現代の知識では「宇宙」だとも言える訳ですね。浦島太郎は亀を助けて宇宙に行ったと、古代においても考えられてた可能性が出てきました。
天上世界の話をしてるのに地上と変わらないような様子で神話が説明されてるのは、外国の夢を見たときに何故か出てくる人が日本語を話してて、何の違和感も無いみたいなのに似てる。人間の認知的に「拡張世界」だからなんでしょうね。
2021-07-11 16:25:26