本当は7月7日では無かった中国古代の「七夕」!織姫と彦星(牽牛星)が1年に1度だけ天の川を渡れるというのも中国中世の小説がつくり出したフィクションだった!?

「星座」から語る中国古代史!ユーラシア大陸から日本列島まで伝来した「星」をめぐる交流史!
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私たちが知ってる「七夕」の物語は、5~6世紀の中国(南北朝時代、中世)の小説で最高にロマンチックなものに創作されたものが元になっています。

この「新・七夕」を日本で流行させたのが7世紀末に即位した持統天皇と藤原不比等です。中国で流行していた「七夕」の漢詩を詠む会が作られたのが始まりで、これが現代まで続いてる日本の七夕の起源です。

ですが、それより以前の「古・七夕」が存在していて、それは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)や漢代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)に存在していた「本来の七夕」です。

この七夕は「7日」ではあるけど、「7月7日」では無かったし、織姫と牽牛にあたる星も全く別の星でした。この漢代以前の「七夕」の星が弥生時代の日本列島に伝来していた可能性があって、静岡県に「女夫星」(ミョオトボシ)という名前で最近まで伝わっていたのでは?となりました。

※追記 記事作成後に確認作業をしたところ、漢代の「七夕」は南北朝時代の「新・七夕」に向かう「過渡期」と表現する方が適切でして、漢代の字書『爾雅』(じが)編纂の時点で「新」「古」どちらの星が「牽牛」か、情報が錯綜としていたようでした。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国の星座と古代メソポタミアの星座が、説話面までふくめて完全一致した例があって、それがエジプト考古学の研究者が指摘してるシリウス(天狼)です。 twitter.com/fushunia/statu…

2021-07-07 22:35:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦国時代に成立した『楚辞』九歌、東君の歌に「長矢を挙げて天狼を射る」という言葉が出てきて、夜空に明るく輝く星「天狼」(シリウス)に長い矢を向けて射る場面がありますが、新刊の近藤二郎(早稲田大学教授)『星座の起源』によると、シリウスに弓矢を向ける天文図が古代オリエントにあるとのこと pic.twitter.com/ffiWb6Mibo

2021-03-14 18:20:01
巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦国時代に成立した『楚辞』九歌、東君の歌に「長矢を挙げて天狼を射る」という言葉が出てきて、夜空に明るく輝く星「天狼」(シリウス)に長い矢を向けて射る場面がありますが、新刊の近藤二郎(早稲田大学教授)『星座の起源』によると、シリウスに弓矢を向ける天文図が古代オリエントにあるとのこと pic.twitter.com/ffiWb6Mibo

2021-03-14 18:20:01
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

こちらの「星宿与星座詳解」という記事(中国語)に、「屈原《九歌》中也有“挙长長兮射天狼”,長矢即弧矢星。」とあり、「楚辞 弧矢」などで検索しても楚辞にそうした注釈を付けてるものが見つかるので、期待できそうです。 thn21.com/hua/ren/6840.h…

2021-03-14 18:28:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

屈原の『楚辞』九歌の「東君」の歌については、こちらのサイトのこのページに日本語訳が掲載されてました。近藤二郎『星座の起源』では、キトラ古墳の星宿図に出てくる「天狼・弧矢」を取り上げ、弓の形状や矢の向きなども古代オリエントのものと完全に一致してるとあります kanbun.info/syubu02/soji02…

2021-03-14 18:32:46
雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。) @amane_murakumo

@fushunia ヒンドゥー神話でもシヴァが鹿を狩る姿、मृगव्याध(ムリガヴィヤーダ)がシリウス星だとされていて、シヴァはこの姿だと弓を番えているんですよね... やっぱり淵源に狩人があるのか...

2021-03-14 19:31:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

七夕の織姫と牽牛の星は、南北朝時代から現代に至るまで「ヴェガとアルタイル」のことだとされてきましたがそれ以前の漢代の星座や静岡県に伝承されてた「女夫星」(ミョオトボシ)の分析から、みずがめ座の先端の星とやぎ座の星が「本来の物語の舞台」だったということが分かりました。

2021-07-07 22:23:43
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代中国の二十八宿では、みずがめ座からやぎ座にかけて、虚星(亀の星)、女星(女性の星)、牛星(牛の星)が並んでいて、そこから七夕の物語が生まれて、しだいにその舞台が七月七日に天の川を挟んだヴェガ(織女)とアルタイル(牽牛)に移っていきました。本来アルタイルは「河鼓」という星でした

2021-07-07 22:28:00

天空を12年で一周する「木星」は、黄道十二宮の星座を十二年かけて回っていくので、紀元前4世紀頃の戦国時代の中国に「メソポタミア文明のバビロニア天文学」が伝来し、木星は「年を数えるのに使う星」であることから「歳星」(さいせい)と呼ばれていました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

漢代以前における「七夕」は、かならずしも7月7日では無かったとされまして、文献によって多少揺れがあるようですけど、漢代から南北朝時代に至るまで長い時間をかけて、「七夕は7月7日」「ヴェガ(織女星)とアルタイル(牽牛星)の2つの星が天の川の岸辺で見つめ合ってる」という物語を形成した

2021-07-07 21:38:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

天空を一周する木星が最初にいる場所が「丑」の方位にあった「牛宿」(牽牛星)だとされてて、中国古代の「歳星(=木星)紀年法」に由来する「丑年」は、冬至が一年の始まりの季節とされるように、十二年周期のサイクルの中で「始まりの年」が「丑年」にあたり、それを象徴する星が七夕の牽牛星でした

2021-07-07 21:35:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

静岡県静岡市で伝承されてた「女夫星」(ミョオトボシ)が、位置的にもその名前(男女の夫婦の星を指す)からも、漢代以前の七夕の彦星・織姫(牽牛・織女)そのもののように見えますので凄く驚きました。弥生時代以降に伝来した古い星の神話かもしれないです。2018年出版『日本の星名事典』に載ってる星です

2021-07-07 02:17:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

夏から秋にかけて見られる「2つ」の「小さな黄色い星」が「女夫星」で、両星は1丈ほど離れてる」とのことですが、研究者の解釈ではやぎ座の角の2つの星が該当するが、2つの星は近すぎる…とのことです。やぎ座の角の片方の星の牽牛星とみずがめ座の織女星のことだとすればうまく離れるのでは?

2021-07-07 02:40:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

織姫と彦星の間には「大きな天の川」(太陽系が属する銀河系の中心)があって、離れ離れになってるイメージが強いですが、それはあくまで中国の南北朝時代の小説などに出てくる話でした。漢代以前の中国の「七夕」では、織姫はみずがめ座のイプシロン星彦星はやぎ座のベータ星そばに寄り添ってます

2021-07-07 02:52:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

星座の研究者が、出典不明としてる静岡県の星が、漢代以前の牽牛星、織女星の位置と一致してます。七夕の「ひこぼし」「おりひめ」は、二十八宿の「牛」「女」だったのに、中国中世の南北朝時代の小説でロマンチックなアルタイルとヴェガ(銀河の両岸で逢瀬をしてる)に変更されたものです。 twitter.com/fushunia/statu…

2019-10-27 17:34:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生時代の渡来ならば、南北朝時代の七夕小説の創作の影響は受けないので、夫婦の星という名前の「女夫星」として、漢代以前の本来の牽牛星と織女星が、今日まで静岡県で伝承されてきた可能性がありそうです。

2018-07-06 02:17:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

七夕の日本への伝来は、2回以上起こっていて、1回目が弥生時代で、2回目が持統天皇時代だそうです。持統天皇のときには洗練された中国宮廷文化の七夕が導入され、藤原不比等が「七夕を楽しむ漢詩の会」的なものを開催してます。民間習俗としては錦の織り方とともに弥生時代に渡来してきているとか。

2018-07-06 02:13:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

弥生時代の渡来ならば、南北朝時代の七夕小説の創作の影響は受けないので、夫婦の星という名前の「女夫星」として、漢代以前の本来の牽牛星と織女星が、今日まで静岡県で伝承されてきた可能性がありそうです。

2018-07-06 02:17:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@mitakoh 『史記』天官書に、牽牛及び河鼓が出てきまして、河鼓の方がアルタイル(現在の牽牛)です。

2021-07-07 12:43:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

七夕の彦星にあたる星座「牽牛」(アルタイル)は、日本古来の和名では「いぬひきぼし」と呼ばれます。今日まで続く彦星と織姫の七夕伝説は、古く弥生時代に大陸から伝来したものですが、織姫が織る「錦」がその頃伝来して日本列島に急速に普及したのに、「牛」は伝来しなかったので、「犬」になった。

2018-04-13 03:59:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

七夕が7月7日になったのは南北朝時代だと聞いたのですが、調べたところ、魏の曹植の詩に「牽牛為夫,織女為婦。織女、牽牛之星,各處河鼓之旁。七月七日,乃得一會。」とあるそうで、ひょっとすると漢代の後半あたりから、既に「天の川」に七夕の舞台を移していたのかも。 cls.lib.ntu.edu.tw/love/77/77_sto…

2018-02-21 02:16:42
易 阿求(やすし なもと) @rupan_kido

@fushunia その句は唐の李善が《文選注》の中で引用したもの。実際に魏の時代にあるかどうかはおかしい。

2018-02-22 00:36:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@rupan_kido ありがとうございます。後世の『文選注』に引用されたもので、曹植本人の詩かどうかは疑わしいのですね。そういえば、『新古今和歌集』に出てくる大伴家持の鵲橋の和歌も、本人の和歌かどうか疑わしいと聞いたところです。

2018-02-22 00:41:59
易 阿求(やすし なもと) @rupan_kido

@fushunia 孤証立たず。そもそも「九詠注」自体さえその引用しか発見しない為、信用性がより低い。

2018-02-22 00:38:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今年の干支の「うし年」は実は「黄道十二宮の「山羊座」に木星がいる年」という意味でして、漢代以前には天空を十二分割する黄道十二宮の領域を「中国の十二支」で表現した言葉でした。しだいに実際の木星の軌道との誤差が蓄積していき、ついに木星とは関係が無くなって日本の「えと」になったものです twitter.com/fushunia/statu…

2021-07-07 21:48:49
巫俊(ふしゅん) @fushunia

正月にも詳しくツイートしましたが、十二支で年を数える習慣は、天空の黄道十二宮を十二年ほどで一周する「木星」の運行に気付いたことに由来していて、古代バビロニアから紀元前数世紀の中国に伝来したものです。なので、今年は牛年=山羊座の年になります。 twitter.com/fushunia/statu…

2021-03-03 03:38:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

グーグル検索で「中国星座」とキーワードを書いて検索すると、中国の二十八宿と西方世界の黄道十二宮の位置を見比べることができるのですが、虚星、織女星、牽牛星がまっすぐに並んでることが実感できました。虚星というのは中国古代の「天空の亀」の星座で、本来の織姫は亀に乗ってたかもしれないです

2021-07-07 22:10:11