諸国珍談奇談 第七集

明治大正昭和の新聞記事等を漁りながら見つけた日本各地の珍談奇談を集めてみました。2020.12-2021.6分の虫干し。
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松崎貴之 @gelcyz

「狐と蟇の棲家」、仙台市の北山地域が鉄道敷設に伴い開発されてきたという記事に気になる話があった。大正15年2月19 日付『河北新報』朝刊。地元の住民で「山番兼大学病院御用動物売込み」という老人が去年は大学病院へ「がま」180匹も納めたと語っている。各種実験用のガマガエルだったのだろうか。 pic.twitter.com/DIcc7TaXfJ

2020-12-28 18:36:11
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松崎貴之 @gelcyz

大正15年2月頃には仙台市内の人力車営業はかなりの苦境に追い込まれていたようだ。2月23日付『河北新報』朝刊。世の不景気に加え、タクシー利用の浸透が原因として語られている。この「稼業換へを志す者が多い」状況もあってか、一方では同月17日付朝刊には中古人力車の高価買入を謳う広告も出ていた。 pic.twitter.com/K0YKidA1Fi

2020-12-28 19:06:40
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松崎貴之 @gelcyz

霊力で遠方から物を取り寄せる公開実験に挑んだ行者の言い訳がどんどん苦しくなる。大正15年2月23日付『河北新報』朝刊。午後2時に開始するも「出羽国金剛山」より東京へ飛行中という剣は一向に現れない。「烈風で4時半まで遅れる」が4時半には「運送する神が疲労した」になり遂にお開きとなった(笑) pic.twitter.com/htg3jq34Ve

2020-12-28 18:52:49
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松崎貴之 @gelcyz

来日超能力者商売の系譜に連なる?大正15年3月6日付『河北新報』夕刊。「日本は1932年太平洋へ地震のために沈んでしまうだろう」「同時にまた太平洋上には新大陸が浮かび上がる」などの預言を引っさげて豪州から「エフ・アイ・ハイエツト」なる人物が来日していた。後半には信者云々といった話もある。 pic.twitter.com/RO3IZ9CqHO

2020-12-28 19:24:22
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松崎貴之 @gelcyz

こうしたエロ小冊子の実在を疑ったのは軽挙だったかも知れない。大正15年3月10日付『河北新報』夕刊。映画館内で上映中に(おそらく)自慰行為に及んで警察に連行された青年たちが「愛の手紙、夫婦和合の秘訣、恋草紙、ホヤホヤの若夫婦などといふ青春の血を燃やすやうな小冊子」を読んでいたとある。 pic.twitter.com/hcwZyrQRR3

2020-12-28 19:43:18
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松崎貴之 @gelcyz

微妙に意匠は違うものの「大勉強」と躯体に書かれている等の共通点もあり、関連性が気になる。大正15年3月11日付『河北新報』朝刊。 pic.twitter.com/ZeQGU9uBzL

2020-12-26 22:12:36
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松崎貴之 @gelcyz

宮中の料理に変化を加えるため、大正15年4月から長崎料理がラインナップに連なるという記事。同3月16日付『河北新報』夕刊。所掌する宮内省大膳寮のトップが長崎人で実家が旅館であることが手がかりとなり、大膳寮から長崎の富貴楼へ料理研究のため人が派遣されたという話になっている。大変気になる。 pic.twitter.com/n6c8LkCIcP

2020-12-27 00:23:55
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松崎貴之 @gelcyz

大正の甲府に訴訟マニアの老人がいた。大正15年4月13日付『河北新報』夕刊。この宮澤老、ほぼ大正時代を通じ歴代の宮内大臣を手を替え品を替え些事で趣味的に訴えてきたという。全敗でも「相当の生活をしてゐる農家の隠居」で資金は潤沢だったらしい。どこでこのような仄暗い愉しみを覚えたのだろう。 pic.twitter.com/nb6sEdfnvw

2020-12-29 13:05:01
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松崎貴之 @gelcyz

「神功皇后が男性であらせらるるといふ説は可なり華々しい議論があつたが終にこの説は根本的に否定するに決し闇から闇に葬られることになつた」大正15年4月21日付『河北新報』夕刊 pic.twitter.com/v2qpLpoRDf

2020-12-26 23:36:14
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松崎貴之 @gelcyz

例えばこの記事の「駐車場」は「立ン坊連を収容するため適当の場所に公設駐車場を設置すべく」という形で使われている。大正15年5月10日付『河北新報』朝刊。 pic.twitter.com/ZRTNnIbkpC

2020-12-27 00:02:48
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松崎貴之 @gelcyz

「一元同化力」も「宇宙一元構造論」もわからない。大正15年5月31日付『河北新報』朝刊。海軍機関大佐であり「二十余年に亘る海上生活から」部下の怪我を「患部に自分の力を放射」して治してきたという八田重次郎の行為が医師法に抵触するのか、東京地方裁判所で実験をやったという。委細が知りたい。 pic.twitter.com/I8Nskm3LNg

2020-12-27 00:40:15
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松崎貴之 @gelcyz

1926年(大正15)10月2日付『河北新報』夕刊に載った「鎌倉食用蛙養殖場」の広告である。「本邦ニ於ケル本事業ノ創始者」、つまり日本での食用蛙(「北米種ブルフロッグ」)養殖事業の先駆者であることを掲げカエルやオタマジャクシの分譲を呼びかけている。鎌倉を起点としたその後の展開が知りたい。 pic.twitter.com/FbxAUoP8x1

2020-12-01 22:10:10
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松崎貴之 @gelcyz

除隊兵が郷里への除隊みやげ物を調達する慣例について、軍当局は虚礼だとして何とか禁止しようと試みていた。大正15年11月2日付『河北新報』朝刊。在郷軍人会の分会へみやげ物を受理しないよう通達したり、連隊長や大隊長の名で除隊兵へ「みやげ物廃止の証」を発行したり種々の手立てが行われていた。 pic.twitter.com/De1eRqqfc4

2020-12-29 14:06:07
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松崎貴之 @gelcyz

供養のための塚は実際に建てられた。大正15年11月24日付『河北新報』朝刊。委細は次の通りである。「高さ四尺五寸の大理石のまん中に犬の顔面を彫刻した銅像がありその下に松島瑞巌寺盤龍老師の撰文と揮毫にかかる碑文を刻みたるものである」。となると写真を探したくなる。 pic.twitter.com/52TZ8s8PwF

2020-12-25 23:58:01
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松崎貴之 @gelcyz

軍当局の思いとは裏腹に除隊みやげは一掃の難しい慣行となっていた。大正15年11月29日付『河北新報』朝刊。除隊兵の心情として(「人情美の発露」なのか薄情者との誹りが怖いからかはさておき)入営時の餞別返しの代わりに「みやげ物廃止の証」一枚、手ぶらで帰るほうが大変だと思いそうなのはわかる。 pic.twitter.com/vVwfQsEmoN

2020-12-29 14:20:34
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松崎貴之 @gelcyz

予期せぬ時に広告が現れて声が出た。これか?大正15年12月7日付『河北新報』朝刊。#兵庫県立歴史博物館 では近づけなかったので製造元が載っているであろう銘板(「自動」の文字の上)が確認できていない。大変気になってきた。 pic.twitter.com/GZ1CpGXhuO

2020-12-20 21:08:42
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松崎貴之 @gelcyz

東京駅に棲む大きな老猫を取り上げた記事に気になる彫刻が出てきた。大正15年12月16日付『河北新報』朝刊。「東京駅の天井に生けるが如き彫刻の猫がゐる」「生きた彫刻の猫」と精妙な猫の彫刻があったことに触れている。ドーム天井の干支のレリーフとは別に猫もいたのだろうか。委細がとても気になる。 pic.twitter.com/8SHoMBJIR2

2020-12-29 13:48:02
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松崎貴之 @gelcyz

大正天皇の崩御後間を置かず、天皇や皇族の「御肖像」の取扱いに関する通牒が出されていた。昭和元年12月31日付『河北新報』朝刊。第3項が細かくて興味深い。「芸者男女優の嬌体をなしたるものをその他一般のものの写真」と分けて扱えとしている。 pic.twitter.com/LoG6A1nZ2i

2020-12-20 22:41:23
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松崎貴之 @gelcyz

「これは近頃流行してゐる永楽園売出しの電気ホージ茶ですよ」「仙台に唯一つ」「一度召し上つた方は必ず電気に限るとおつしやいます」昭和2年4月3日付『河北新報』朝刊、同4月17日付朝刊。 pic.twitter.com/SfKFKjxlM2

2020-12-06 17:45:34
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松崎貴之 @gelcyz

昭和2年4月15日付『河北新報』朝刊に載ったこの「美その撞球場」の求人広告は募集する「ゲーム取」の要件としてあからさまに「美人」であることを掲げていた。 pic.twitter.com/9oa8vkl4d2

2020-12-06 17:51:06
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松崎貴之 @gelcyz

昭和2年5月3日付『河北新報』朝刊、こちらでも「笠原高級撞球場」が「女ゲーム取」至急数名入用、「蝶々撞球場」が「玉場建築中に付」「ゲーム取り」入用との新聞広告を出している。かなりのビリヤードの人気が窺えよう。 pic.twitter.com/9t20DwRcX8

2020-12-06 20:10:18
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松崎貴之 @gelcyz

1927年(昭和2)5月7日付『河北新報』朝刊の食用蛙広告。「最近当局副業課で一般農村農家で奨励」と国の後押しがあったことが窺える。「滋賀愛知香川地方」と具体的な地域を挙げながら「蛙市」で盛んに取引が行われているとしているのが興味深い。 pic.twitter.com/T5x0E5wIkN

2020-12-06 20:54:47
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松崎貴之 @gelcyz

仙台でのビリヤード場の流行がこの時期だったのか求人広告にそれなりの頻度で「ゲーム取」が載ってくる。昭和2年5月24日付『河北新報』朝刊。「タカヲ撞球場」では「女ゲーム取」を募集、「ライト和洋食堂」は一角にビリヤード場を新設したのか、それに合わせての「ゲーム取り」の募集となっている。 pic.twitter.com/zUG3cBST1b

2020-12-06 18:01:19
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松崎貴之 @gelcyz

御真影事情。昭和2年5月25日付『河北新報』夕刊。先帝の諒闇明けから新帝の御真影を大量複製し下賜するにあたり、宮内省が民間写真業者を使わず「省内写真館に全国総動員を行つて謹製する」方針なのが面白い。省内写真館がまず気になる。「先帝の御真影は宮中に奉還」というルールだったのも興味深い。 pic.twitter.com/4oEfndVJgy

2020-12-08 23:14:10
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松崎貴之 @gelcyz

東北産業博覧会の開催半年前には各種の興行物の申込がかなり進んでいたようだ。1927年(昭和2)10月1日付『河北新報』朝刊。「世界秘密国旅行とか人間製造術とかいふ比較的規模の大きい興行もの」は他の博覧会にも痕跡がありそうなのでよく見ておかねば。 pic.twitter.com/hesQxT5i0C

2020-12-06 21:32:32
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