柑橘類から抽出される「クエン酸」のクエンには漢字があり、オレンジの語源になったある果物を指す中国語が日本語になったものだった

果実と色の名前の歴史!
187
前へ 1 ・・ 3 4
🔱ざぼん【文旦姐】🇺🇦Забон💙💛 @iWWyufduZ65zCtC

@iingwen @audreyt @Taiwan_CDC 台湾で、ピンクのマスクで虐められた子の知らせを受けて、陳時中大臣はじめ台湾の政府閣僚の皆さんが一斉に、ピンクのマスクを着けて励ましたのはとても感動的でした。 日本では、桃色は万葉集の時代から男性が着る伝統的な色だったとか。この文化が広まりますように🍑 twitter.com/fushunia/statu…

2020-08-30 15:16:33
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ちょっと前まで、日本では「桃色は男の子の色だった」そうです。『万葉集』にも、「桃染めの浅(あさ)らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも」とありますが、古代の律令では都を守る衛士、兵士は、桃色の服を着ろとの規定まであったのだとか。 twitter.com/rainbowsorayas…

2020-08-29 23:21:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

とてもよい香りの白い花を咲かせるクチナシ(支子)は、その「実」が黄色の染料になりました。古代の日本でも、皇太子が着た服は、このクチナシの実を使って黄色く染め上げてました。平安時代初期の『延喜式』にそのことが書かれてます。 twitter.com/fushunia/statu…

2019-01-06 15:57:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『延喜式』縫殿寮には、皇太子が着る服に使う「黃丹綾一疋」の記述があり、「紅花大十斤八兩,支子一斗二升,酢一斗,麩五升,藁四圍,薪一百八十斤」が必要だとあるので、「綾」の中には色糸を使ったものがあるようです。広い意味で「錦」の仲間なのでしょうか。色糸が無い綾もあるようなのですが

2017-05-10 00:47:25
巫俊(ふしゅん) @fushunia

shosoin.kunaicho.go.jp/en-US/Bulletin… 論文「紅花染めの用いられた正倉院染織品」 ・紅花の原産地は、エジプト説もあるとのこと ・紅花は経年で退色しやすく、正倉院でも探すのは困難とされたが、技術革新により解析可能になった ・紅花支子(くちなし)は黄色染料で併用

2017-05-08 22:44:42
アビ(厭離X土欣求🕊️土) 🦜🐦🕊 @strnh

@hira_sail レバノン海岸の都市国家で紫色の染料工業が発達した事から、フェニキア(ポイニクス)の名前がついたとか

2021-04-12 10:12:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

今日は、第2次ポエニ戦争直前の共和政ローマの動員兵力が歩兵だけで70万人だったと歴史家が書いてる(誇張された数字とされる)と知って、同時代に近い中国・戦国の雄国の動員兵力(誇張された数字とされる)に近い数字だと思いました。

2018-07-01 23:16:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

フェニキア人が西地中海に広く展開して、海の向こうの植民都市をつくったのは、伝説では紀元前12世紀とされるが、考古学的に妥当とされる年代は紀元前9世紀から前8世紀の半ばまでの間らしいです。西周時代の後半期(新説年代が出てる東遷期をふくむ)と同時期だと覚えることにしました。

2018-07-01 23:29:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

フェニキア人がカルタゴにはじめて植民したとされるのが「西周後半期」で、カルタゴの滅亡が「前漢景帝の時代」ですから、時代が違い過ぎるというか、1冊の本でイメージをつかむのが難しいですね。読んだのは興亡の世界史シリーズのカルタゴ巻です。カルタゴの滅亡の章から読んで、逆に読みました。

2018-07-02 01:25:16
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「フェニキア人」の活動時期が長すぎてピンと来ないというか、カルタゴの母都市の「テュルス」(シリア)に至っては、殷代にあたる時代の出土史料に名前が見えるということで、その時代にはまだ西地中海に植民してなかったらしいのですが、非常に複雑な歴史がありそうです。

2018-07-02 01:37:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ウソのような本当の話。日本語の「」()は、16世紀に南蛮渡来のストライプ柄が流行して「南蛮の島の模様」と呼ばれたことに由来する。漢字の「縞」(こう)は「しろぎぬ」の意味で、平安時代には夜の雪のように白い麻布を説明する場面で「縞苧」(こうちょ)と書いた例がある。

2021-03-06 22:26:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

平安時代の公卿藤原実資の日記『小右記』には、が出てくる。平安京の内裏の仁寿殿にて騎士などが集められ、左右十列に並び、「島馬」が云々とあり、シマウマ(島馬)とはどんな馬のことか書かれてませんが、島の馬という言葉です。平安時代にはまだストライプ模様をシマとは呼んでませんでした

2021-03-06 22:55:00
ねずみいろZ @84start84

@fushunia 三越の三井家を生んだ松阪商人は木綿で財を成しましたが、商品は「松坂縞」と呼ばれ、江戸で大流行しました。「」は、南蛮交易をしていた伊勢の回船問屋ゆかりのデザインのようです。ちなみに、松阪は古代に大陸から機織りが伝わり、伊勢神宮に織物を納めた土地で「縞」は文化の融合だな、と。 pic.twitter.com/Rrony5AEy5

2021-03-07 13:59:05
拡大
前へ 1 ・・ 3 4