森村泰昌展中止に見る美術という名の偽善/欺瞞
公立館での実績が欲しい作家にとっては、足元を見られるのも商売の内なのだ。しかし森村氏にしたところで、会場の光熱費や監視員の人件費など(いずれも馬鹿にならない)、開催全経費を負担しようとしていたとは考えられない。幾ら何でも公立館には、そんな展覧会運営は不可能である。
2011-08-22 00:40:21ところで、被災地の美術館いくつかのWEBサイトを見ると、どこも企画展事業の規模を縮小している様子である。特に岩手県美では、「平成23年度開催予定していた企画展および企画展関連イベントはすべて【開催中止】となりました」と言っている。http://t.co/DK2PsQy
2011-08-22 00:41:01しかし、あくまで予定がキャンセルされたのであって、企画展が無い訳ではない。新たに「[復興支援展示]アートのチカラ、いわてのタカラ」という総称のもと、幾つかのイベントが準備されている。http://t.co/k9FOFQj
2011-08-22 00:41:47言葉尻を咎めれば、先ず「復興支援展示」の文字がおぞましい。いったい岩手県美は、自らをどこに位置付けているのか。被災地の公的施設は、復興を「支援」する者ではあり得ない。その当事者ではないのか。
2011-08-22 00:42:24「アートのチカラ、いわてのタカラ」の口上には、次のようにある。引用:展示やワークショップを通じて美術が持っているいろいろな世界に触れていただき、見る人、参加する人のこころのうちに湧いてくるさまざまな感情やエネルギーに気づいてほしいと思います。
2011-08-22 00:42:54つまり、いま岩手県美(一義的には岩手県と言っても良い)において、最も歓迎される来館者像(県民像と言っても良い)は、「こころのうちに湧いてくるさまざまな感情やエネルギー」に、現時点では「気づいて」いないような人である。
2011-08-22 00:43:28かの震災以来、激しい痛苦や悲嘆の底に沈み、今もって美術館見物など思いも寄らないような市民は、あろう事か他ならぬ被災地の公立文化施設で、その存在を許されていないという印象さえ受ける。
2011-08-22 00:44:22引用:そして、これらの作品や展示は、10年、20年先といったあとの時代から振り返ってみると、3.11以降の岩手の状況やひとびとの思いを反映したものであり、永きにわたって大切にしたい、残したい宝(タカラ)となるだろう、という思いが込められています。
2011-08-22 00:45:20「残したい宝(タカラ)となるだろう」は、「思い」と言うより企画者の個人的かつ一方的な期待や希望に過ぎないのだが、「となるだろう」と主体をぼかしている所など、文字の形をした汚物であると言いたい。
2011-08-22 00:46:27性犯罪者の論理と言うか、「どんな痛い目を見ようが、懐かしく思える時がきっと来る」と言っているような、暴力的で人格障害めいた破綻さえも感じてしまうのだ。
2011-08-22 00:49:48原田光館長は、「今、こんなことをしたら、被災した人たちの気持ちを逆なですることにならないか、そう心配する仲間もいる」「美術を救援物資の一つとくらいに考えて、被災地にとどけようなどと思ったら、独善の押しつけになりかねない」と言っている。http://t.co/Z4i0TS8
2011-08-22 00:50:22大野正勝学芸普及課長も同様に、「美術や美術館ができることは何か、そんな問いかけが各地で始まっているが、この惨状の前では今は正直なところ場違いな感じがしてならない」と言っている。岩手県美の職員たちにも、人としての苦悩や躊躇はあったのである。
2011-08-22 00:51:00それでも彼らは、蒙昧なる市民に与えられるものとしての「美術」、これを教導する権力としての「美術館」という旧弊から、脱する事は出来なかった。そして具体的には、「'70、'80年代生まれの美術家たち、IMA(いま)ここで」が企画されてしまう。
2011-08-22 00:51:45引用:本展では、気鋭の若手県人作家10名をピックアップし、彼らの活動や作品を紹介します。 震災後3ヵ月が経ち、復興、再生への歩みがすでに始まっています。次世代を担う若手作家の作品がもつフレッシュな創造力が、岩手が立ち上がるチカラと元気のもとになることを願ってやみません。
2011-08-22 00:52:12有体に言って、安上がりに出来る事を考えたわけだ。「ピックアップ」の文字が無様である。これもまた森村展同様、出品作家のヴォランタリーな参与(あるいは自腹)なくして実現できない種の企画であろうからだ。それでも、「御協力を仰ぎ」とは言えないのである。
2011-08-22 00:52:50同館の職員たちにも、人としての苦悩があり、躊躇があった。しかし結局は、なりふり構わぬ自己肯定と万能感を、震災以前にも増して強化する、途方もない退嬰に陥いる他はなかったのだ。かくして震災は、我が国の公立文化施設の通弊とも言える運営理念の無惨さをも、白日の下に曝したのである。
2011-08-22 00:53:43これは、何というガレキの山だろうか。そしてそれは、ガレキの山なればこそ、「この期に及んで」ではなく、「この期なればこそ」かも知れない。
2011-08-22 00:54:27つまり、こうした現実逃避、あるいは解離症状は、極度に悲惨な体験を経た人間の精神に起こる事に酷似してはいないか。この上もなく痛ましい。それでも、僕は自らに同情を禁じたい。岩手県立美術館は、傷ついた幼児とは全く異なった存在であるからだ。
2011-08-22 00:55:09かつて、その講筵に列するの幸運を得た哲学者が、人類の人類たる所以を教えてくれた。それは、詩を創る事(創造)ではなく、その詩を推敲する所(反省)にあるというのだ。「美術というのは、みんなが生まれながらにもっている創造的な力」(原田館長)程度の考えでは、人類の名に及ばないのである。
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