『ホロコースト最年少生存者たち』

レベッカ・クリフォード著『ホロコースト最年少生存者たち』(山田美明 訳/芝健介 監修)の各章あらすじをまとめました。
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天野 潤平|編集 @AmanonG2

8月に『ホロコースト最年少生存者たち』という本が出ます。はじめての四六上製。美しい...。原題はSurvivors: Children's Lives After the Holocaust. 【著者】レベッカ・クリフォード 【訳者】山田美明 【監修】芝健介 【装丁】水戸部功+北村陽香 note.com/kashiwashobho/… pic.twitter.com/oez5vt8HME

2021-08-11 17:17:43
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天野 潤平|編集 @AmanonG2

『ホロコースト最年少生存者たち』ホロコースト研究者や歴史家(特に戦後ヨーロッパ史)は勿論ですが、トラウマ、精神分析(特に児童の心理)、記憶の社会学、オーラルヒストリーなどに関心のある人にとっても実り多い本だと思います。小説、映像、インタビューを生業にする人にも俄然お薦めしたい。 pic.twitter.com/vJyTzpxARF

2021-08-25 16:19:55
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【序章】無料公開中。10歳以下でホロコーストを経験した子どもたちの戦後の生活を明らかにすることを主題としつつ、私たちにとって重大な影響を持つ一つの疑問、つまり私たちは自分の出自を知らないまま(記憶なきまま)自分の人生を理解できるのか?という問いが示されます。note.com/kashiwashobho/… pic.twitter.com/Fw4Rpaaroo

2021-09-03 09:28:33
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【第一章】戦争が幕を閉じた瞬間、子どもたちの心の中で「もう一つの闘い」が始まりました。かつての生活、本来の自己を取り戻そうにも、取り戻すべき記憶がなかったから。そもそも幼い彼らはどうして生き残れたのか?潜伏、逃亡、ゲットーや通過収容所、強制収容所等、戦時中の生活に迫る章です。 pic.twitter.com/xv5zDOGh4Z

2021-09-03 09:37:27
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【第二章】生き残りの子どもたちに直面した大人たちは彼らを「正常」と見なせなかった。彼らは「荒れ」「感情的麻痺」に陥り「精神病質者」であるようだった。一方で彼らの救済は西欧の再生の可能性そのものに見えた。支援機関、心理学者、精神分析学者たちの視点を取り払った時に見えてくるものとは。 pic.twitter.com/aRuD7a9KgU

2021-09-03 09:49:40
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【第三章】戦後一人きりになった子どもたち。誰が彼らを引き取るのか。誰を引き取り、誰を引き取らないのか。支援機関、ユダヤ人コミュニティなど、様々な欲求が渦巻いた引き取りプロセスは、世界規模の移住と結びついていた。大人たちの関心、翻弄されつつも主体性を発揮した子どもたちの実像に迫る。 pic.twitter.com/9nU7zEa8r3

2021-09-04 18:59:17
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【第四章】親が死んでいる可能性にも、生きている可能性にも心の準備をしなければならなかった子どもたち。そんな中、家族の再会というテーマには特有のカタルシスがある。だが、家族と再会した子は幸運だったのか?核家族や母子の絆が称揚され始めた時代、家庭に戻った子どもたちが経験した現実とは。 pic.twitter.com/3BlPPoV9z6

2021-09-04 23:21:46
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【第五章】家庭に戻った子どもたちは多くの困難を経験した。彼らの戦争体験は親の体験ほど重視されず軽視された。他方、養護施設での生活は良い思い出として語られることが多い。家族より施設の方が愛情深い支援を提供できたというのは直感に反するが、そこにはある特殊な共同体としての機能があった。 pic.twitter.com/5Wux70wMVL

2021-09-05 12:37:02
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【第六章】1940年代後半から60年代前半に思春期を迎えた子どもたちは「本当の自分とは?」という疑問につきまとわれた。それはまだ知らない過去への扉をこじ開けることに繋がり、語りたがらない家族や養親との衝突にも繋がった。当時は十分な資料もなかったし、医者や精神科医も頼りにはならなかった。 pic.twitter.com/w7aGFKxVxI

2021-09-06 17:44:11
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→50年代には西独による国家的な補償法が制定されたが、彼らは大人より不利な状況に置かれた。精神的苦痛さえ被った。両親の名前は?誕生日や出生地は?収容所に移送された日付は?出生時の名前は?わかることの方が少なかった。そうした根源的な不安や恐怖に、ひとりで対処するほかなかったのである。

2021-09-06 17:45:10
天野 潤平|編集 @AmanonG2

【第七章】1950年代初頭、アンナ・フロイトらの研究が結論づけたように、保護者を失い戦争で傷ついた子どもたちにも「回復力」はある、適切な治療を受ければ「正常」に戻れる、と思われた。その学界のコンセンサスを覆したのが、西独の賠償事業だった。彼らはいつまでも残る傷を負ったのではないか? pic.twitter.com/TdEakbmTN5

2021-09-06 18:42:01
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→賠償事業を通じて心理的「トラウマ」に関する幅広い議論が生まれた。生き延びた子どもたちはそこで重要な役割を担った。彼らの戦後史を記す上で、精神衛生の専門家たちとの関係を考慮することは欠かせない。また、発達心理学や児童精神医学の戦後史を跡付ける上でも、子どもたちの考察は欠かせない。

2021-09-06 18:43:34
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→子どもに回復力はあるのか?心の傷は広範囲に長期的な影響を及ぼすのか?かつての子どもたちは両サイドの専門家と交流・対決しながら自己を見つめ直した。トラウマを疑う従来の専門家には反発し、トラウマに理解を示す専門家には、それでもなお癒る可能性はあるのだと、強調せざるを得なかったのだ。

2021-09-06 18:44:51
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【第八章】比較的普通の生活。幼い頃にホロコーストを経験した生存者たちは、混乱した幼年期や思春期からの決別を願いそれを探し求めた。普通の生活の実現は、自らに救済されるだけの価値があったことの証明でもあった。だが、結婚、出産、親との死別等、中年へと変遷していく過程でその追求も終わる。 pic.twitter.com/nVjRkv0TcT

2021-09-07 15:06:18
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→人生の変遷だけでなく、回想録の出版やテレビ番組の放映等により世間一般の関心も高まった。彼らは耳を傾けられる側になったのだ。だがそれでも基本的な事実さえ知らないままだった。いずれにせよ、周囲が貼った「幸運」というレッテルはもはや崩壊し、彼らはそれぞれの過去の探索を始めたのである。

2021-09-07 15:07:11
天野 潤平|編集 @AmanonG2

【第九章】「ホロコースト生存者」とは誰なのか。少なくとも、この本に登場する子どもたちの多くは、ホロコーストの「生き残り」とはみなされていなかった。自分でもそう思わなかった。もっと大変な思いをした人がいたから。まだ幼かったから。記憶がないから。自分たちは「幸運」だったのだ...と。 pic.twitter.com/NCGEBtFZbx

2021-09-07 16:52:32
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→実際、この概念の範囲は不変ではなかった。戦後初期、生存者とは「収容所の生き残り」を指すものとみなされた。強制収容所以外で生き延びた人々は含まれなかった。でも、生き残りでないとしたら彼らは何なのか?潜伏先で生き延びた子どもたちも同じ悩みを抱えた。彼らを表す言葉は、永らく無かった。

2021-09-07 16:53:29
天野 潤平|編集 @AmanonG2

→転換点は1983年のユダヤ人ホロコースト生存者アメリカ大会。そこで、年長の生存者から「どうせ何も覚えてないだろう」と心ない言葉を受け取った者もいた。それでも彼らは、大会のおかげで自分と同じ境遇の仲間と出会えた。自らも生存者なのだと気づけた。初めて彼らを表す言葉が生まれたのだった。

2021-09-07 16:55:48
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【第十章】1980年代や90年代になると、かつて子どもだった生存者たちの物語に耳を傾ける人は増えた。大規模な口述史プロジェクトも始まった。しかし、聞き手も受け手も、それにどう対処していいかわからなかった。だからこそ対立もあった。語り手は聞き手の期待に沿う物語を作り、時にそれを裏切った。 pic.twitter.com/O0iVk9xrjC

2021-09-08 22:28:42
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天野 潤平|編集 @AmanonG2

→本章では例えば「報復」というテーマを取り上げる。これは「無垢」で弱々しい子どもというイメージを損なう。だが戦後初期、大人は子どもたちは報復感情に囚われてるのではないかと恐れていた。生存者たちも、そうした感情や復讐の経験を語った。しかし、そうした語りは次第に消えていった。なぜか。

2021-09-08 22:31:12
天野 潤平|編集 @AmanonG2

→ 「混乱」した語りから「整然」たる語りへ。あるいは、まとまらないまま取り零された語りたち。無理解なインタビュアーの質問に時に深く傷つき、時に怒りながらも、かつての子どもたちは「自分の半生」をどのように物語ろうとしてきたのか。オーラルヒストリーを専門とする著者の視点が冴える一章。

2021-09-08 22:34:13
天野 潤平|編集 @AmanonG2

【第十一章】本章のテーマは「沈黙」だ。ある養護施設では、子どもたちの過去や経験を無視するでも軽視するでもなく、戦争や恐怖について自由に話させることが心の回復に繋がると信じ、奨励されていたという。実際、その実践があったことを示す証拠はいくらでもある。ところがここに興味深い謎がある。 pic.twitter.com/GwIGTHFUox

2021-09-08 22:53:03
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天野 潤平|編集 @AmanonG2

→子どもたちは、誰一人としてその養護施設がそのような場だったとは述べていないのだ。スタッフへの敬意を抱き、居心地の良い環境であったと語ると同時に、そこは自由に語れる場でなく、沈黙を強制された、という語りさえ存在する。どちらも真実だとしたら、この矛盾はなんなのか。沈黙の意味に迫る。

2021-09-08 22:55:53
天野 潤平|編集 @AmanonG2

【終章】整然とした物語を求めるあまり他の点が犠牲になることがある。今や最後の証人となったかつての子どもたちは、証人として相応しい物語を語る努力をし、やがてそれに慣れた(それが出来ない人もいた)。彼らが削ぎ落としてきた、私たちが見ようとしなかった人生のもう一面。それは何だったのか。 pic.twitter.com/8WqBCE3z48

2021-09-08 23:09:38
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天野 潤平|編集 @AmanonG2

【補足】この後、芝健介先生による解説が9頁入り、p358〜397は原注、p398〜419は参考文献、p420〜421は口絵の図版クレジット、p422〜429は索引と続きます。一部も割愛していないので、資料性も極めて高いと思います。改めて、序章だけでも読んでいただけたら幸いです。 note.com/kashiwashobho/…

2021-09-08 23:18:30