いわゆる「邪馬台国」について現状考えていること

酒席で兄嫁(古代~幕末までオールラウンダー歴女)と、あやうく「邪馬台国近畿確定説」をめぐってバトルが勃発しそうになり冷汗。「遺物が発掘されたから決まり」との論調に、かなり違和感を覚えたが、自分の考察もうまくまとまっていない状態でその場はうやむやに…。でも気がかりだったので、現状で語れる範囲でアウトプットしてみました。とりあえず編集可にしておきます。
4
じねん @jinensai

(00)先日の酒席での兄嫁との邪馬台国近畿確定説に関するやりとりが、やはり気にかかり、研究途上で、まだまだ発表の域に達していない(具体的位置については未だ検討中なのであしからず)のだが、ちょっち連続ツイート。

2011-08-23 02:10:34
じねん @jinensai

(01)まず気になるのは、旗幟や立ち位置を決めすぎていることだ。これは江戸時代の地名比定から今日の近畿に異常に偏った考古学側の姿勢まで一貫している。「信念」大いに結構だが、真実はたびたび「信念」によって捻じ曲げられもすることは心しておこう。

2011-08-23 02:11:36
じねん @jinensai

(02)研究する上でまず「踏み絵」を踏まされるのは「科学」として如何なものか。斯界の名立たる頭脳や在野の真摯な研究者が研究し続けても、現在に至るまで曖昧模糊である原因の一端は、相互乗り入れや切磋琢磨が不全だったからではないのか?

2011-08-23 02:12:34
じねん @jinensai

(03)凝り固まっていると、見えざるものを見、見えているものを見ない状態に往々にして陥る。精子の先端に「体育座りの小人」など居ない!もっと発想を執着から解き放って自由で柔軟性のあるものにしていきたい。

2011-08-23 02:13:26
じねん @jinensai

(04)一旦状況を俯瞰する。古代史を研究するさい「記紀」が重要なのは、それが現存しているからだ。だが「記紀」は氷山の一角にすぎない。元になった記録・伝承は「記紀」を遥かに上回る量で存在していたと考えるのが自然だ。

2011-08-23 02:14:25
じねん @jinensai

(05)漢字の伝来をベースに西暦換算で思考するのは短絡的にすぎよう。伝来以前でも記録に残っていないだけで漢字使用圏域から列島へやってきた人々は無数にいる。あくまで記録にこだわっても、木を刻み縄を結って記録していた様子は伺える。

2011-08-23 02:15:13
じねん @jinensai

(06)古代の日本列島・中国・朝鮮半島の人々は「古代」だからという理由だけで現代人より劣っているかのように捉えられているが、換装可能な技術が一人歩きしているだけで、人間の基本的な能力に大きな違いがあるわけではない。「現代人」驕るべからず。

2011-08-23 02:15:59
じねん @jinensai

(07)中国王朝との外交的なやり取りはもちろん、それ以外でも漢字やそれを基にした表記、あるいは木に刻んでいた独自の記録用記号が従来の認識以上に広く行われていたのではないか。込められるニュアンスも後世の歌などから察するに繊細で豊かな表現が想定される。

2011-08-23 02:16:48
じねん @jinensai

(08)前置きが長すぎたが「邪馬台国」である。国名一つとっても混迷が見てとれる。「台」の字が大問題なのは研究史をかじった人なら覚えがあるだろうし、読み方にしても「ヤマタイ」では呉音と漢音がごった混ぜである(呉音と漢音とは例えば「行」はギョウ(呉)・コウ(漢)である)。

2011-08-23 02:17:36
じねん @jinensai

(09)「台(臺)」については、やはり古田武彦氏の「壹」であるという主張は看過できない。氏は一貫して「壹」が使用されている事実を示し、また「臺」は「魏臺」が魏の天子(の宮殿)を示している等の証拠を提示し、東夷の国名への使用はありえないとする。

2011-08-23 02:18:20
じねん @jinensai

(10)その他自説の補強を積み重ね「九州王朝説」にまで発展させると共に、従来説を過剰に否定した姿勢が学界からの無視、あるいは在野での快哉or反発へと波紋を広げ、今に至るのだが、氏が「九州王朝説」へ固執するあまり柔軟性を失っているのもまた事実だろう。

2011-08-23 02:19:04
じねん @jinensai

(11)さて、前置きに戻る。私が一種のイノベーションを起こすため長々と前置きしてきたのは「邪馬台国」は「自称」か「他称」かを問うためだ。全く批判なしに「他称」とされてきたのだが、私は「自称」ではないかと提言する。

2011-08-23 02:19:47
じねん @jinensai

(12)記録や文字の習熟は外交文書はもちろん統治や布告あるいは記録の必要に伴い、倭人の有力な国々では進んで受容されていたのではないか?これは「暦」についても同様の状況が想定され、私の研究の重点は現在そちらに軸足を置いているのだが、それはここでは触れない。

2011-08-23 02:20:24
じねん @jinensai

(13)表記が「邪馬壹国」な点について古田氏は「壹」は「倭」(ゐ)であろうと指摘している。卓見だが「他称」である場合、(ゐ)の表記に「壹」と「倭」の2文字を使用する必然性がない。「二」が「二心」とか悪い例で使用されるのに対して「一」の優位性を示されたが不充分であろう。

2011-08-23 02:21:09
じねん @jinensai

(13)では「邪馬倭国」ではなく「邪馬壹国」と「自称」した理由はどう考えたら良いだろう?私は、そこにデリケートな外交上の配慮があったとみる。「魏」への配慮だ。当時の発音が不明なので可能性の指摘に留めるが、「倭」と「魏」は発音が同じだったのではないか?

2011-08-23 02:21:43
じねん @jinensai

(14)「魏」に対して同音の国名をはばかり、(ゐ)と確実に音の異なる「壹」(いち)を国名に選択した点にむしろバランス感覚というかセンスを感じる。「魏」はこの過剰なへりくだりに「親魏倭王」の金印に「倭」を使用することで応えたのであろう。

2011-08-23 02:22:30
じねん @jinensai

(15)なお「三国志」の後に編纂される「後漢書」で、范曄が「邪馬臺国」と表記するのは「倭=壹」のニュアンスが失われたことと、魏晋朝滅亡後、天子の居所を意味した「臺」が周辺諸蕃国へ周圏的に遺残していき、「倭」もその首都を「臺」と呼称していた可能性を示唆しておくに留める。

2011-08-23 02:23:14
じねん @jinensai

(16)また、構文的アプローチとして「魏略」里数記事に別の日程記事が挿入されたとする高橋通氏の「倭国通史」中の「倭国女王卑弥呼」と「邪馬台国女王」は別の国、別の女王 http://t.co/ZtfwBeM は傾聴に値する。

2011-08-23 02:23:52
じねん @jinensai

(17)以上とりあえず、現状考えていることをアウトプットしてみました。専門的すぎる表現は平にご容赦。今後も頭を柔らかく、これまでの研究が見落としている視点・視座から検討したことを(たまーに)つぶやくかもしれません。生温かく見守り下さい(笑)。

2011-08-23 02:24:24