デマについて

2
前へ 1 2 ・・ 5 次へ
渡邊芳之 @ynabe39

「デタラメに行われた予測」が偶然に当たった場合も、それが「現に当たった」という事実は否定できない。デタラメで当たった予測よりも科学的で外れた予測のほうが優位ということはいくらなんでも、言えない。

2011-08-23 22:15:28
Shibuya, Nobuhiro @nsh1960

場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと。 QT @ynabe39: 「情報の正誤」と「デマかどうか」の判断については異なった意見がある。私はどんな意図で言われようが結果として事実となった情

2011-08-23 22:16:19
渡邊芳之 @ynabe39

「本当にその通りになった」としたら、「予測が当たった」ことは否定できない。 RT @zom2nomad: 例えば、福島原発関連の数々のデマも帳尻があえばオッケーという事なのでしょうか?

2011-08-23 22:17:30
闇のapj @apj

@ynabe39 予測の時点で持っている情報が足りなければ、科学的な根拠で予測しても外れるでしょうし。「成功」にどういう意味を持たせるかで話が違って来そうです。複数の予測があって、より進んだ実験で決着、って普通に起こりますし。

2011-08-23 22:16:31
渡邊芳之 @ynabe39

@apj ですからその判断をするには「追加の事実」が必要ですよね。

2011-08-23 22:18:48
闇のapj @apj

@ynabe39 予測に至る筋道がはっきりしている場合は、別のことの予測に使えるかもしれませんが、デタラメな予測だと再利用できそうにないです。優位かどうかじゃなくて、後で使えるかとか精度が上がるかといったことを考えた方が良いと思います。

2011-08-23 22:18:48
NEMOX @nemoyan

@ynabe39 反復的な事象は見られなかった。引き続き観測の必要があるで結ばれてしまうだけのような・・・。

2011-08-23 22:20:12
渡邊芳之 @ynabe39

それはまた別の問題ですね。RT @nsh1960: 場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと。

2011-08-23 22:19:54
闇のapj @apj

@ynabe39 その「追加の事実」は、「予測が当たった」ことで得られたりします。

2011-08-23 22:20:16
渡邊芳之 @ynabe39

デタラメだろうが神ががりだろうが霊感だろうが,誰かが「明日地震が来る」といって実際に明日地震がきたならば,「その予測が当たった」ということは絶対に否定できない事実である。

2011-08-23 22:21:06
Shibuya, Nobuhiro @nsh1960

はい。別ですが同時に発生する問題だから意識しないといけないと思います。 QT @ynabe39: それはまた別の問題ですね。RT @nsh1960: 場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと

2011-08-23 22:21:07
Gloria @somebodyssin

@ynabe39 「科学的根拠が十分でないこと」はその予測をネグるための方便にすぎないような気がします。水俣病食中毒事件がそのモデル例だと思います。

2011-08-23 22:21:54
渡邊芳之 @ynabe39

同じ意味で、実際に地震がきたならば(その予測がどんな根拠で行われたにしても)前日になされた「地震が来る」という予測が「虚偽であった」ということはできない。

2011-08-23 22:23:17
まほるもの @no war @for2ando

@ynabe39 それは当たったという一回の事実を周囲から切り離すから「言えない」になるような気がします。

2011-08-23 22:23:29
Enji08 @Enji08

「予言」する人は根拠も添えるべきだね。「AゆえにB」という命題の形で述べれば事実か意図かという曖昧さは残りにくい。 QT @ynabe39: 「デマかどうかはそれが事実かどうかより流し手の意図によって定まる」説ですね。 RT @apj: デマではないかと。

2011-08-23 22:24:21
こなみひでお @konamih

毎日「予言」してりゃそのうち当たるという戦術も多いですけどね. RT @ynabe39 デタラメだろうが神ががりだろうが霊感だろうが,誰かが「明日地震が来る」といって実際に明日地震がきたならば,「その予測が当たった」ということは絶対に否定できない事実である。

2011-08-23 22:23:20
渡邊芳之 @ynabe39

毎日「明日地震が来る」と言いつづけて今日もそういい、明日地震がきたならば少なくとも今日言った「明日地震が来る」という予言は「事実になった」わけです。そのこと自体は絶対否定できない。 RT @konamih: 毎日「予言」してりゃそのうち当たるという戦術も多いですけどね.

2011-08-23 22:24:32
@shino1124

その「場合」の具体例を挙げてください。RT @ynabe39: 科学的な根拠を持って行われた予測が結果として事実となった場合に、それが「偶然の一致」ではなく「科学的な根拠があったために予測に成功した」ということを、その一回の予測の成功だけから言えるか?

2011-08-23 22:24:15
渡邊芳之 @ynabe39

「この予言は当たったが、予言の根拠が示されなかったから当たったとは言えない」ということは絶対に言えない。

2011-08-23 22:25:44
闇のapj @apj

「当たったけれどもその予言の方法は役立たない」なら言えそうですね。 RT @ynabe39: 「この予言は当たったが、予言の根拠が示されなかったから当たったとは言えない」ということは絶対に言えない。

2011-08-23 22:27:49
渡邊芳之 @ynabe39

根拠がまったく示されても「これからこうなる」という予測が示され、その後その予測のとおりになったならば,その予測は「当たっている」。そのこと自体は絶対に否定できない。

2011-08-23 22:27:51
@shino1124

試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?RT @ynabe39: 「デタラメに行われた予測」が偶然に当たった場合も、それが「現に当たった」という事実は否定できない。デタラメで当たった予測よりも科学的で外れた予測のほうが優位ということはいくらなんでも、言えない。

2011-08-23 22:27:51
渡邊芳之 @ynabe39

「試行回数を増やす」ということがすでに「別の予測」を前提にしている。1回の予測についてはそれはいえない。RT @shino1124: 試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?

2011-08-23 22:28:45
沼崎一郎 @Ichy_Numa

予言は当たると恐ろしいが、予測は当たるとツマラナイ。

2011-08-23 22:28:53
前へ 1 2 ・・ 5 次へ