「デマ」とは何か

心理学者@ynabe39教授が、 「デマ」の定義が広くなり過ぎていないか? との問題提起を行う <関連まとめ> 「科学的」とは何か http://togetter.com/li/167196
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渡邊芳之 @ynabe39

今夜大地震が来るというツイートが「デマ」かどうかは明日の朝にならないとわからないよ。

2011-08-23 21:59:09
渡邊芳之 @ynabe39

地震が来てほしい人は間違いなくそれなりの数いるんだよ。

2011-08-23 22:02:42
makoratti @makoratti

「それ見たことか」って言いたいんだろな。RT @ynabe39: 地震が来てほしい人は間違いなくそれなりの数いるんだよ。

2011-08-23 22:04:20
渡邊芳之 @ynabe39

デマのつもりで流された予言が結果として当たってしまった場合、それはデマと呼べるか。

2011-08-23 22:04:31
渡邊芳之 @ynabe39

「デマかどうかはそれが事実かどうかより流し手の意図によって定まる」説ですね。 RT @apj: デマではないかと。

2011-08-23 22:08:40
渡邊芳之 @ynabe39

「情報の正誤」と「デマかどうか」の判断については異なった意見がある。私はどんな意図で言われようが結果として事実となった情報は「デマとは言えない」という意見。

2011-08-23 22:10:24
渡邊芳之 @ynabe39

科学的な根拠を持って行われた予測が結果として事実となった場合に、それが「偶然の一致」ではなく「科学的な根拠があったために予測に成功した」ということを、その一回の予測の成功だけから言えるか?

2011-08-23 22:12:51
闇のapj @apj

@ynabe39 予測の時点で持っている情報が足りなければ、科学的な根拠で予測しても外れるでしょうし。「成功」にどういう意味を持たせるかで話が違って来そうです。複数の予測があって、より進んだ実験で決着、って普通に起こりますし。

2011-08-23 22:16:31
渡邊芳之 @ynabe39

@apj ですからその判断をするには「追加の事実」が必要ですよね。

2011-08-23 22:18:48
渡邊芳之 @ynabe39

「デタラメに行われた予測」が偶然に当たった場合も、それが「現に当たった」という事実は否定できない。デタラメで当たった予測よりも科学的で外れた予測のほうが優位ということはいくらなんでも、言えない。

2011-08-23 22:15:28
⊿のぞむぞむ(非公式、非公認、非売品) @zom2nomad

例えば、福島原発関連の数々のデマも帳尻があえばオッケーという事なのでしょうか? RT @ynabe39: 「情報の正誤」と「デマかどうか」の判断については異なった意見がある。私はどんな意図で言われようが結果として事実となった情報は「デマとは言えない」という意見。

2011-08-23 22:13:54
渡邊芳之 @ynabe39

「本当にその通りになった」としたら、「予測が当たった」ことは否定できない。 RT @zom2nomad: 例えば、福島原発関連の数々のデマも帳尻があえばオッケーという事なのでしょうか?

2011-08-23 22:17:30
Shibuya, Nobuhiro @nsh1960

場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと。 QT @ynabe39: 「情報の正誤」と「デマかどうか」の判断については異なった意見がある。私はどんな意図で言われようが結果として事実となった情

2011-08-23 22:16:19
渡邊芳之 @ynabe39

それはまた別の問題ですね。RT @nsh1960: 場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと。

2011-08-23 22:19:54
Shibuya, Nobuhiro @nsh1960

はい。別ですが同時に発生する問題だから意識しないといけないと思います。 QT @ynabe39: それはまた別の問題ですね。RT @nsh1960: 場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと

2011-08-23 22:21:07
渡邊芳之 @ynabe39

デタラメだろうが神ががりだろうが霊感だろうが,誰かが「明日地震が来る」といって実際に明日地震がきたならば,「その予測が当たった」ということは絶対に否定できない事実である。

2011-08-23 22:21:06
渡邊芳之 @ynabe39

同じ意味で、実際に地震がきたならば(その予測がどんな根拠で行われたにしても)前日になされた「地震が来る」という予測が「虚偽であった」ということはできない。

2011-08-23 22:23:17
こなみひでお @konamih

毎日「予言」してりゃそのうち当たるという戦術も多いですけどね. RT @ynabe39 デタラメだろうが神ががりだろうが霊感だろうが,誰かが「明日地震が来る」といって実際に明日地震がきたならば,「その予測が当たった」ということは絶対に否定できない事実である。

2011-08-23 22:23:20
渡邊芳之 @ynabe39

毎日「明日地震が来る」と言いつづけて今日もそういい、明日地震がきたならば少なくとも今日言った「明日地震が来る」という予言は「事実になった」わけです。そのこと自体は絶対否定できない。 RT @konamih: 毎日「予言」してりゃそのうち当たるという戦術も多いですけどね.

2011-08-23 22:24:32
渡邊芳之 @ynabe39

「この予言は当たったが、予言の根拠が示されなかったから当たったとは言えない」ということは絶対に言えない。

2011-08-23 22:25:44
渡邊芳之 @ynabe39

根拠がまったく示されても「これからこうなる」という予測が示され、その後その予測のとおりになったならば,その予測は「当たっている」。そのこと自体は絶対に否定できない。

2011-08-23 22:27:51
@shino1124

試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?RT @ynabe39: 「デタラメに行われた予測」が偶然に当たった場合も、それが「現に当たった」という事実は否定できない。デタラメで当たった予測よりも科学的で外れた予測のほうが優位ということはいくらなんでも、言えない。

2011-08-23 22:27:51
渡邊芳之 @ynabe39

「試行回数を増やす」ということがすでに「別の予測」を前提にしている。1回の予測についてはそれはいえない。RT @shino1124: 試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?

2011-08-23 22:28:45
@shino1124

「試行は1回」が大前提なのですね。RT @ynabe39: 「試行回数を増やす」ということがすでに「別の予測」を前提にしている。1回の予測についてはそれはいえない。RT @shino1124: 試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?

2011-08-23 22:42:53
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