渡邊芳之教授(@ynabe39)「人は自分がデマと思いたいものをデマと判断する」
- pitaponpon
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「情報の正誤」と「デマかどうか」の判断については異なった意見がある。私はどんな意図で言われようが結果として事実となった情報は「デマとは言えない」という意見。
2011-08-23 22:10:24科学的な根拠を持って行われた予測が結果として事実となった場合に、それが「偶然の一致」ではなく「科学的な根拠があったために予測に成功した」ということを、その一回の予測の成功だけから言えるか?
2011-08-23 22:12:51「デタラメに行われた予測」が偶然に当たった場合も、それが「現に当たった」という事実は否定できない。デタラメで当たった予測よりも科学的で外れた予測のほうが優位ということはいくらなんでも、言えない。
2011-08-23 22:15:28「本当にその通りになった」としたら、「予測が当たった」ことは否定できない。 RT @zom2nomad: 例えば、福島原発関連の数々のデマも帳尻があえばオッケーという事なのでしょうか?
2011-08-23 22:17:30それはまた別の問題ですね。RT @nsh1960: 場合わけとしてはそれでよくても、件数当たりでそうなることは稀ですね。結果として事実でも細部が大幅に変わっていることも割り引かないと。
2011-08-23 22:19:54デタラメだろうが神ががりだろうが霊感だろうが,誰かが「明日地震が来る」といって実際に明日地震がきたならば,「その予測が当たった」ということは絶対に否定できない事実である。
2011-08-23 22:21:06同じ意味で、実際に地震がきたならば(その予測がどんな根拠で行われたにしても)前日になされた「地震が来る」という予測が「虚偽であった」ということはできない。
2011-08-23 22:23:17毎日「明日地震が来る」と言いつづけて今日もそういい、明日地震がきたならば少なくとも今日言った「明日地震が来る」という予言は「事実になった」わけです。そのこと自体は絶対否定できない。 RT @konamih: 毎日「予言」してりゃそのうち当たるという戦術も多いですけどね.
2011-08-23 22:24:32根拠がまったく示されても「これからこうなる」という予測が示され、その後その予測のとおりになったならば,その予測は「当たっている」。そのこと自体は絶対に否定できない。
2011-08-23 22:27:51「試行回数を増やす」ということがすでに「別の予測」を前提にしている。1回の予測についてはそれはいえない。RT @shino1124: 試行回数を増やせば現実的考えてそうはならないのでは?
2011-08-23 22:28:45一度しか起きないことの予測が当たった場合については,その予測が「デタラメだが偶然当たった」のと「予測の根拠が正しかったから当たった」のとの区別はできない。
2011-08-23 22:30:21まさにそういうことです。しかし人々が一般に求めるのは「当たる予測」であって「当たらない予測」ではない。 RT @Enji08: 確かに否定できない。予測はAかnotAかの2択だから機械的に○×がつく。だから「予言や予測が当たる」ことを過大評価しないことだな。…
2011-08-23 22:32:59いま話しているのは「明日大地震が来る」という予測についてです。 RT @nyama1970: 宗教家が神を畏れよ人類は滅びると言い、まあいずれは人類は滅びるんですけど、その言葉を予測と呼ぶのは無理があるのでは。
2011-08-23 22:35:24それもそうだし,誰かが(デマとして)「明日東京に大地震が来る」と言ったことで多くの人が東京から逃走したとして,翌日に実際に東京に大地震が来た場合には「デマに騙されたこと」が結果として多くの人の命を救ってしまう。こういうことは一定の確率でおきうる。
2011-08-23 22:40:24そう考えるとやはりなにかを「デマ」と呼ぶためには「それが事実でなかった」「予測が当たらなかった」という「確認」が必要なのではないか。逆に言えば「結果として当たってしまったものはどんなにデタラメでもデマではなくなる」。
2011-08-23 22:42:24私は「少なくともその一回はデマとは呼べない」と思います。現に当たったのだから。 RT @loudelephant: 毎日「今夜地震が来る」と言い続け、ある日ついに的中(?)した『予言』は、デマだと思います。
2011-08-23 22:44:00