南泰山先生と歴史談義(3)〜アマテラス編

南泰山先生(@Pekinno_okayu)を中心にしたtwitterでのやりとりがあまりにすばらしかったのでまとめました。 南泰山先生と歴史談義(1)~(8)へのリンクのリストはこちら。 https://togetter.com/li/1787131
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Koichi Kawakami, 川上浩一 @koichi_kawakami

@Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @toshiki_nakaya @sakurani2951 女性の太陽神が、最高神であるような宗教は、東アジアに(世界に)他にありますでしょうか?

2021-07-03 01:29:10
メイサム @agDO58DCaymYppw

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @toshiki_nakaya @sakurani2951 めちゃくちゃ不勉強ですが読んだ限りでは、ないと思います。太陽は男性月は女性(ギリシャ神話のアポロンとアルテミスとか)なので日本のアマテラスが女性であることが不思議でならないです。

2021-07-03 07:53:56
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 >女性の太陽神が、最高神であるような >宗教 私も思いつかないです。無理やり女性の神を挙げるならば、観音信仰、そして「媽祖」。しかし女性の太陽神となりますと… あ、インド古代神話にあったような。書庫発掘をしてから 午後にでも書き込みます。 spf.org/opri/newslette…

2021-07-03 08:33:43
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 …再開します。いろいろ調べましたが、最高神が太陽、女性である宗教というのは、なかなか思い当たらないです。ただ最高神とまで行かなくとも、最高ランクに位置する女神さまというのは、アジアのあちこちにいます。 インド亜大陸は紀元前から近代まで、統一帝国の存続期間(続く)

2021-07-03 20:01:31
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →が短く分裂時代がほとんど。このためか、古代の伝統が断絶無しに続き、現代も多くの有名な女性の神様が、今に至るまで信仰を集めています。例えば有名どころでは、母なる河の神 ガンガー Gaṅgā(左)。そしてヒマラヤ山脈の神、パールバーティ Pārvatī(右)。(続く) pic.twitter.com/2Vp0cS9GQg

2021-07-03 20:03:40
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →それから亜大陸南部の神と言われるドゥルガー Durgā(写真)等など! 彼女らは古代から伝わる美しい彫刻が多いですし、古代インドの神話は、彼女らと男性の神々とのあんなこんなの、色恋沙汰の話を交えて楽しく展開していきます。 ただ、残念ながら(続く) pic.twitter.com/gFx3Z3Ub6f

2021-07-03 20:06:45
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →「太陽神」と言える神はスーリア神 Sūrya という男性の神様で、このへんは日本の神話と異なります。 写真は、インドに残るKonark太陽神寺院で、13世紀建造。現存高30m、復元高70m。戦車を駆る太陽神を表現したという大遺跡!(建物下部に車輪の表現あり。)(続く) pic.twitter.com/hGKVvsRB5U

2021-07-03 20:14:59
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →チベット高原をよっこいしょとまたぎ、中国までいくと神話の様相がガラッと変わります。こういう、メジャーな女神たちが殆どいないのです。 中国文明は、紀元前よりこの方、官吏の哲学というべき儒教、それに民間の習俗が加わった道教がメインになります。(続く) pic.twitter.com/iI7CGMuNku

2021-07-03 20:21:17
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →道教世界の特徴は、中国社会の中心である官僚機構がそのまんま投影されていることです。神様は毎日オフィスに出勤し、書類を書いて会議に出席。人事査定を受けて合格すれば出世できるという、実に味気ない世界に住んでいらっしゃいます。フランス支那学の巨匠(続く) pic.twitter.com/uGxmEr2R7C

2021-07-03 20:25:07
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →マスペロ(1883-1945)は皮肉をこめてこれらの神々を“厖大な組織の歯車にしか過ぎない”と書いてますが(『道教』)、残念ながら当たってます。 古代中国の官吏には女性はいない。ですので道教にはほとんど女性の神様がいないのです。ある人は「観音さまは女性じゃないか」(続く) pic.twitter.com/mYyM7P5NbG

2021-07-03 20:28:26
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →と言うでしょうが、これとてインド宗教からの拝借品でして、何か名作古典文学の主役になったかというと、そういう例がない。 歴史学の文献について言えば『史記』(前1世紀)は名著だと思いますが、宇宙誕生伝説などに限定して言えば、神話は全て綺麗に整理され(続く)

2021-07-03 20:30:22
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →以前の資料から編纂されたと思われる『山海経』などには、わけのわからない、面白い話がけっこう記されています。例えば、一種の〈奇書〉と呼ばれる書物で、『穆天子伝』という書には天照大神にやや似た女神が出てきます。どうも司馬遷の時代には消えていた書物らしく、(続く)

2021-07-03 20:35:11
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →『史記』の中では引用された形跡がないのです。『史記』編纂の約300年後、後3世紀になってから竹簡に書かれたテキストが墓から発見された後、当時から歴代文人たちによる転写が繰り返され、今に写本が伝わっています。これによれば、西周王朝の穆王(前10世紀)は現在の西安(続く) pic.twitter.com/4dzWZeVcYs

2021-07-03 20:38:45
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →から西の遥かかなたまで行き(具体的場所の比定は、学者によって違います。あるいは甘粛省、あるいはアフガニスタン!)、そこで〈西王母〉という女性に出会ったとされています。短い記録なのですが、彼女は穆王主催の宴に礼儀正しく応じ、宴席では王に“わたくしは天の帝の娘であり、天の命(続く) pic.twitter.com/7drUmKHHKY

2021-07-03 20:42:21
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →によりこの地に住んでいます”と答えた、と記されている。なかなか聡明な、神秘的な女性であることがわかります。この〈西王母〉はその後いくつもの文献に出てきまして、漢代になりますと〈崑崙山〉という神様の国の山に住みんでいることになっています。このへんは、インドのヒマラヤの女神、(続く) pic.twitter.com/khxCRpysAj

2021-07-03 20:44:38
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →パールバーティ―を連想させます。 南北朝時代(439-589)に完成したといわれている『漢武帝内伝』という文学作品は、西王母伝説の総決算と言える作品で、宮殿内の武帝(前漢/前156-87)への西王母の訪問が主題になっています。西王母は、永遠の生命の象徴として描かれる美しい女神であり、(続く) pic.twitter.com/eYMlPQvNEb

2021-07-03 20:49:28
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →「(永遠の生命を持つ)神仙になりたければ、欲望を断ちなさい」と武帝にアドバイスしますが、結局武帝は煩悩を捨てきれず、人間として普通に死にます。 おそらく、春秋戦国時代に中国文明が急発展し、都市に役所や官吏養成学校ができ、いろいろな書類・書籍が作成された時に、昔からあった(続く) pic.twitter.com/uCMTWMSzz9

2021-07-03 20:52:48
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →神話は当時の「現代風」に整理されてしまったと思われます。ただ、一部の神話だけは偶然昔のまま残った。その神様の一人が西王母なんでしょう。 最近は考古学が発展し、消えてしまった神話と関係しそうな遺物・遺跡が、中国のあちこちでピョコンと土の中から出てきます。もっとも有名なのは(続く)

2021-07-03 20:54:52
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →1980年代に遼寧省で発見された牛河梁という遺跡。時代は新石器時代で、前4000-3000。日本の縄文中期にあたるのでしょうか。中国ですとこの文化は〈紅山文化〉と呼ばれます。遺跡群の中心には東西150m、南北80mの範囲に、石を積み重ねた建築基礎および埋葬施設が連続して築かれています。(続く) pic.twitter.com/F8LODFdp4G

2021-07-03 20:57:21
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@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →立った姿勢の女神像だったのは確実です。写真に写っていますように、顔、それから盛り上がった乳房の一部が残っていました。手元の図録集の説明によると、顔の部分の長さは22.5cm。他にも手や足の部分が確認されています。顔面のサイズから推定して、ほぼ等身大の大きさだったようです。(続く)

2021-07-03 21:01:58
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →この遺跡の近くでは、他にも女性を表現したらしい土製の人形がいくつも見つかっています。おそらくこの社会では、女性の神像を崇拝する宗教が存在し、その神殿が国家の首都に建てられていたようです。興味をひくのは、この時代とほぼ同じころの日本列島でもまた、多くの女性を模した土製人形が(続く)

2021-07-03 21:03:30
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →作られていた事実です。直接的な関係の有無は何とも言い難いですが、このころの東アジアの多くの地域で、このような女神を主神とする宗教が根付いていたと言えます。 しかし、紅山文化で確認されるさまざまな習俗は、前1800年ころに黄河中流域、今の洛陽の近くで誕生した最初の中華文明とは、(続く)

2021-07-03 21:07:02
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →どうも、ほとんど繋がらないようです。つまり、「中国」が誕生した時には紅山文化の文明は既に断絶していました。 ただ、これらの発見から分かるのは、『史記』編集の時代には忘却された(或は無視された)、『穆天子伝』に載っているような女神の神話が、昔の中国にはたくさんあったのだろう(続く)

2021-07-03 21:08:56
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →ということです。現在は、毎年のように揚子江中流・下流のお墓から、木竹簡に記された前4-後3世紀の書類が見つかっています。ですので、これらの地下からの文書の中から、インド・ギリシャ・日本の神話に出てくるような、魅力的な女神たちが突然姿を現すかもしれません。…長文失礼しました! pic.twitter.com/zNH14nqGAy

2021-07-03 21:16:28
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中谷淑喜 @toshiki_nakaya

@Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @sakurani2951 >お墓から木竹簡に記された前4-後3世紀の書類 知らなかった!私は密かに「天皇陵を調べても大したこと分からん」派で、「邪馬台国の場所は絶対に比定できない」派だったんですが、もしかしたらいつかは・・・。

2021-07-03 21:56:21