クインティリアヌス『弁論家の教育』についての書き込み

古代ローマの弁論家の教師だったクインティリアヌス、クィンティリアヌスの著書『弁論家の教育』(西洋古典叢書)を読みながらの書き込み。『レトリック辞典』等レトリック関係の本にも言及しています
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Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

同書次頁「 古代の人たちは、雄弁を磨くために一般命題、共通論題、その他の事柄…を語っていたのです」。これが弁論術教師の本分だとクインティリアヌスは考えているらしいのだが、この訳本では分からない。で、WATSONの英訳書を読むと、このあたりは注だらけで、それが分かるように配慮されている

2019-04-12 22:11:09
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

法の極みは不法の極み(吉原達也訳) 日本法学2013年9月 p37(211)〜108(282) law.nihon-u.ac.jp/publication/do… キケロを扱っているのでコピーしてみた

2019-04-13 17:04:32
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「公正であることは人間の弱さを許すことである。法ではなく法を作った人間を、法の言葉ではなく立法者の意図を、行為ではなく動機を、出来事の部分ではなく全体を見ることである」(アリストテレス『弁論術』1374b12)

2019-04-13 17:12:47
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

シュトルーの論文の翻訳。解題で「方式主義」とあるのは、論文のなかの「形式主義」のことで厳格な法解釈のことらしい。それに対抗して、衡平を重視する立場が修辞学によってもたらされたという話。

2019-04-13 17:28:50
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「法の極みは不法の極み」は"ius summum saepe summast malitia."とテレンティウス『自虐者』796にも出てくる。ここでは文脈から「悪法も法なり」という訳したが。 hgonzaemon.g1.xrea.com/HEAUTON_TIMORU…

2019-04-13 17:37:50
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

弁論術の最初にいつも出てくる、普遍的な問題についての議論と個別具体的な議論の区別は、法理論の場面では、法の形式的運用と衡平を重んじる運用との対立として意味をなしてくるらしい。

2019-04-13 17:45:09
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

Quint.3.6.5 争点とは最初の衝突、「君はした」「私はしていない」のことではなく、そこから派生する疑問のことである。つまり、「君はした、私はしていない」から派生する「彼はしたのかどうか」であり、「君はこれをした、私はこれをしていない」から派生する「彼は何をしたのか」なのである。

2019-04-14 18:32:31
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

Non enim est status prima conflictio: "fecisti", "non feci", sed quod ex prima conflictione nascitur, id est genus quaestionis: "fecisti", "non feci", "an fecerit": "hoc fecisti", "non hoc feci", "quid fecerit" 争点とは両者の対立のことではなく、第三者から見た疑問点ということか

2019-04-14 18:39:24
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この中の「共通トポス」(loci communes)とは「運命は避けられないものだからです」とか「子供をなくした親は哀れなものです」という風に、自分の主張を強化するための普遍的な視点のことらしい。キケロ『発想論』1.106、2.48.『弁論家について』3.106、クインティリアヌス『弁論家の教育』2.4.22

2019-04-15 14:08:25
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

アマゾンのシゲトテレス氏のレトリック本についてのレビューがすごい。『弁論家について』の最後の解説に書いてある哲学と弁論術の分離が、よく知られた事であることが『ゴルギアス』のレビューから分かる。 amazon.co.jp/gp/profile/amz…

2019-04-24 21:11:57
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

文章を否定で始めたり、質問形にすることはレトリックの強力な手段で、キケロは『弁論家について』でもどんどん使って来るが、それを日本語にそのまま訳したら、レトリックになるかというと、逆にまどろっこしいだけになってしまう。

2019-04-25 12:49:31
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

佐藤信夫『レトリック感覚』を紹介したジオシティーズのページ。面白いのでこちらで保存させてもらうことにしました。 hgonzaemon.g1.xrea.com/Sense_of_rheto…

2019-04-27 15:02:07
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この本の中で大セネカの模擬演説集の5番が扱われている。アウグストゥスの見学のことも書いている。どうやらこのloeb叢書の2巻本を読破したらしい。>論争と「詭弁」―レトリックのための弁明 (丸善ライブラリー) 香西 秀信 amazon.co.jp/dp/4621052977/…

2019-04-28 11:43:33
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

古典ヒューマニズムの形成―キケロからクィンティリアヌスまでのローマ教育 (1974年) (歴史学叢書) A.グウィン(古本) amazon.co.jp/dp/B000J9L6D2/… この原本 Roman education from Cicero to Quintilianは archive.orgにある

2019-04-28 15:09:36
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この本の第二章「古代ローマの修辞学校の訓練方法について」はこの大セネカの本から縦横無尽に引用して面白い読み物になっている。

2019-04-28 18:05:09
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この本はレトリックの詭弁のすさまじさを紹介する本なのだが、この章はむしろ、筆者が大セネカを勉強して書いた論文をここに放り込んだものだろう。地方大学の先生でもこういう論文をいっぱい書いている人は珍しい。たいていは本にもならない翻訳を紀要にのせて終わりの人がほとんどだから。

2019-04-28 18:25:57
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この第二章で扱われているクィンティリアヌスの論題、「海に遊びに来ていた若者たちが欠席した仲間の墓をふざけて砂場に作ったらそれを見た父親が悲しんで自殺した場合に若者たちは殺人罪に問えるか」は『弁論家の教育』7巻3章。

2019-04-28 21:09:33
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

なお『弁論家の教育』7巻3章(157頁)、この件の続きの35節の「コルネリウスの事件」とはキケロ『ガイウス・コルネリウス弁護』のこと。クィンティリアヌスの頭にはこの裁判のキケロの弁論のことがずっと頭にあるので、読者もすぐ分かるはずだと、あちこちでさらっと触れてくる。

2019-04-28 22:29:44
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「数学の教科畫や交通法規のような一色で均等に塗られた無地の文章」がレトリックのない文章らしい(『レトリック感覚』6頁)。

2019-05-02 13:14:38
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気もちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れられたのだろう」(前掲書19頁)

2019-05-02 14:44:45
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「本当は、人を言い負かすためだけではなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに」(前掲書、つづき)。 つまり「発見的認識の造形」をレトリックの第三の役割と呼んで追究するのが本書の目的らしい。

2019-05-02 14:47:46
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

『レトリック感覚』序章2は、日本のレトリック研究史が詳しい。まず尾崎行雄『公会演説法』(キケロ、クィンティリアヌスが扱われていた)。次が菊池大麓『修辞及び華文』、黒岩涙香『雄弁美辞法』、高田早苗『美辞学』、島村抱月『新美辞学』とたどり、そこから用語の話に行く実に本格的レトリック論

2019-05-02 22:42:37
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この本の本篇で扱うのはまさにこの様々なfiguraであり、本書では文彩と書き「あや」と読むのだと。以下、直喩、隠喩、換喩、提喩、誇張法、列叙法、緩叙法と目次にある。

2019-05-02 23:05:40
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

あとがきで、黙説法、対比法、諷喩、転喩、逆説、反語、変容法…は扱えなかったとある。これらは続篇の『レトリック認識』の目次になっていると思われる。

2019-05-02 23:24:10
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