科学コミュニケーションはどこへ向かうのか。
- hashimoto_tokyo
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@tthath 科学はまだまだ不完全でわからないことも多いし、特に偉くはないのだけど、歴史があるので、中にははっきりわかることもたくさんあります。野呂さんの話の中には「今の不完全な科学の中でも、非常にはっきりと誤りであると断定できること」がたくさんあるということです。
2011-08-24 16:21:45かけはしは放射能汚染について「科学で決着することはできない」「科学の土俵で勝負しないように」「親の『不安』で押し遠す方がよほど説得力がある」と言っていて、まさにその通りの実例。 / Togetter - 「「チェルノブイリへのかけはし」… http://t.co/K65L5fH
2011-08-25 01:12:29「精神的苦痛を受けた」――という文言は嫌な記憶を思い出させる。ごく個人的な理由で、その言葉を振りかざした経験がある。正直なかったことにしたいけど、そうもいかないので、ともかく、僕はそれで他人の見えるところで自分の不快感を露わにすることはできる限り避けたいと思うようになった。
2011-08-26 18:53:37時折、あの文言――「精神的苦痛を受けた」――に似た、例えば「○○で嫌な思いをした」とかを見ると、それを主張されてる方が「どうしてそれを主張したいと思ったのか」「なぜ『私は不快なんだ』と皆に知らせようと思ったのか」が気になる。理解できるかは別として。
2011-08-26 18:55:42「個人のレベルで怖がるべき怖さと、社会が公衆衛生としてリスクをどう考えるかってことは、まったく別のこと」 読まれて欲しいけど、この文章が「不安なお母さん」には届かないであろうことを思うと複雑だ。 / 結局のところ、ぼくらは放射能汚染で死… http://t.co/98RmpOf
2011-08-26 19:23:32oO(うーん、僕は、ニセ科学批判が、誰かを助けるためにやってるのなら、誰かが死にたくなっちゃうまで追い込むなんておかしいと思うんです。そこをあの人達にわかってもらうには、あの人達が支持してる、きくち先生が何か言ってくれるしかいないと思うんです。)
2011-08-27 13:23:07あのまとめの中の平川さんの言葉、「安全厨」とか「統治者目線」とか、そこまで言うんなら安全厨でも危険厨でもない、具体的にどうすればぼくらの心は平穏になるのかちゃんと示してくれよ、と思った。
2011-08-26 13:05:28以前から平川先生(hirakawah)に違和感を感じていたのだけど,最近その理由がわかった.ご自身の専門のについて話しているときでも,研究者として相応しくない言葉を使っているからだ.たとえば「醜悪の極み」「お前ら誰から生まれたんだって100万回耳元でささやいてやりたい」
2011-08-27 01:33:41「感情」の取り扱い
@amneris84 共感を望む気持ちとどう向き合うかは、震災以前から「ニセ科学問題」との関連でいろいろと考えてはきたものの、よい解決法は思いつきません。ただ、そういうものが重要だという認識だけは持っておきたいと考えています。「共感」は理屈ではないので、難しいところです
2011-08-24 09:03:29意見や考えが精査されて議論されればよいのに、意見や考えが否定されると、それを発した個人自体を否定してしまうor個人が否定されたように感じられてしまう点が、如何とも難く感じる。どうしたら良いのだろう
2011-08-24 20:43:37まぁ、少なくとも、こんな事故起こす原因造って、にもかかわらずのうのうと5億円なんて破格の退職金もらってるような奴に対しては、許せるのは神の恩寵でも下らない限り無理だわな。少なくとも退職金放棄して路頭に迷う老後を送ってもらいたいと呪詛するのが人情。
2011-08-25 02:47:52感情を斟酌するのはとても重要なのは確かだから、出来る人がフォローしてくれればいいんだと思うよ。さもすると危険な事を危険だと言うこと、あそこはおかしいところがたくさんあると指摘する事を最優先とする人と意識してでも結果としてでも分業してしまえばいい。醜悪だとクレームつけるだけは簡単。
2011-08-26 10:33:21エピゴーネン問題
ちなみに御用・エア御用レッテル貼りにいそしむ人間の1人なんだけどね、この人 RT あそこ確かに最初はこういう風に見えるんだよね。http://t.co/IYuFrXs
2011-08-27 10:13:26kikulogに書き込める一般人ってのはその辺を感じないか、自分の説に自信があるか、感情は全ての優先されるのどれかだろう。で、「意見」(強調)を複数の人から批判されて人格批判と感じる事に繋がるんだな。そういう経験が殆どない人(たとえば当時の俺)にもそう見えるのだろう。
2011-08-27 10:23:13"ギャラリーから見て最後に説得力があるのは、どこまでも穏やかに書けたものですよ" "馬鹿にしているように見えたら、やはり逆効果" "怒りをおぼえている瞬間にはコメントを書くべきではありません" 全文RTしたい。 / 業務連絡 http://t.co/Wi658L7
2011-08-27 11:35:58過去の見聞から、自説(あるいは自身の全人格)の信用を高めるために一番有効な方法と思うのは、悪意にまみれた口汚い罵倒から、一番自説にとって手痛い指摘の部分を抽出し、その正当性を受け入れて自説を修正(必要に応じて前面撤回)し、その点を指摘してくれたことに謝意を示すこと。これ最強。
2011-08-27 12:02:55読者同士の不適切な応酬で菊池さんの手を煩わせてしまう事態が(しかも常連が関わるコメント進行の中で)短期間に繰り返された事は反省されても良い点だと思うのだが。
2011-08-27 12:13:37菊池さんのエントリで最も大事なのは「怒りをおぼえている瞬間にはコメントを書くべきではありません。」だろう。頭が沸いてるときに書いた文章はあとで冷静になってから見ると死にたくなるときがあるし、それがこじれる原因になってることも多々ある。
2011-08-27 12:22:53正しいか間違いか、善か邪悪か。
学識者なり専門家なりに期待される仕事は、金額が発生する通常業務以外にも色々とあると思うのだけれど、どう動いたって(動かなくたって)批判や指摘は出るよな。果たして「市民の期待」にどこまで応えれば「御用学者」や「役立たず」と呼ばれなくなるのだろう、とか考えたのです。
2011-08-23 19:18:34「絶対悪」とされた人間をほんの少しでも否定しなければ「擁護」したとして悪の一味扱い、といういつもの現象が観測されている。
2011-08-25 22:54:44