ウィーンを手に入れた男とその子孫をウィーンに戻れなくした男

スイスの小領主だったハプスブルク家を皇帝家に押し上げた男と、第二次世界大戦後ハプスブルク家なきオーストリアを分裂から救った男 2人の狸ジジィ(褒め言葉)のお話
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きっかけはインペリ(@INPERI_centurio)さんのこのつぶやき

インペリ @INPERI_centurio

貴族とか封建制を馬鹿にするアレコレあんまり好きじゃないマン。 そら特権階級否定したくなるのもわかるけど。当時には当時の理屈とか力のアレコレがあったんやというのに……。 というか現代の価値観で過去のそういうの断罪したり、否定するのが嫌い

2021-11-20 16:47:05
四号戦車🔞 @Panzer_04

いい奴に書く必要は無いのよな 有能な悪役とか、喰えない妖怪ジジィでええんよ なおワイ喰えない妖怪というとハプスブルク家で最初に皇帝になったハプスブルク伯ルドルフを思い出す 凡庸な諸侯と見なされていた彼のボヘミア王オタカル2世との戦いはスゴく痺れるンよ…… twitter.com/INPERI_centuri…

2021-11-21 06:43:15
インペリ @INPERI_centurio

ほんとその通りなんですよ……主人公味方にする必要もいいやつとしてお出しする必要もなくて敵だが有能であったり、狡猾であったりとかそういうのが欲しい……ただのクソバカ無能だとほんと…… twitter.com/Panzer_04/stat…

2021-11-21 09:28:30

話はハプスブルク家で最初にウィーンを獲得したハビヒツブルク伯ルドルフ(神聖ローマ皇帝ルドルフ1世)の話へ

※ハビヒツブルク城はスイスの小さな城で、この城の名前がなまったハプスブルクがハプスブルク家の名前の元と言われています

四号戦車🔞 @Panzer_04

カール・レンナーの話をしたところでルドルフ1世の話もしなければなるまい 時代は大空位時代と呼ばれた1273年、皇帝空位の混乱を治めるため選帝侯マインツ大司教ヴェルナーとニュルンベルク城伯フリードリヒの2名に推挙されたことで片田舎の田舎貴族であるハプスブルク伯ルドルフが皇帝に戴冠する twitter.com/Panzer_04/stat…

2021-11-21 23:26:36
四号戦車🔞 @Panzer_04

理由として ・どの貴族ともゴタついていない ・当時既に50歳で野心がない ・名君であった皇帝フリードリヒ2世亡き後もホーエンシュタウフェン家への支持を忘れない義理堅さ ・自分たちの権力を脅かす可能性が低い などがあった

2021-11-21 23:26:37
四号戦車🔞 @Panzer_04

この凡庸な男であれば当面のお飾り皇帝として過不足無い仕事をしてくれるだろうと言う思惑が選帝侯達にあったことは間違いない んでちゃっかり選挙に勝っちゃたのですがこの戴冠、当のルドルフ自体寝耳に水だったようで、選挙当時バーゼル司教に圧力をかけるためバーゼル市包囲の真っ最中でした

2021-11-21 23:26:37
四号戦車🔞 @Panzer_04

そんなおりルドルフの陣中に赴いたニュルンベルク城伯から話を聞いて慌てて陣を引き払い選帝侯会議真っ最中のフランクフルトに向かうのでした バーゼル大司教とは和解しときました この辺秀吉の中国大返しみたいですね

2021-11-21 23:26:37
四号戦車🔞 @Panzer_04

んで皇帝即位したハプスブルク伯ルドルフことローマ皇帝ルドルフ1世、カトリック教皇グレゴリウス10世に即位承認を求める嘆願書を出します 当時先の皇帝フリードリヒ2世が何度も破門されるなどローマ皇帝と教皇の関係は険悪なモノでしたが、ルドルフは教皇からも信任を得ることで権力基盤を固めます

2021-11-21 23:26:38
四号戦車🔞 @Panzer_04

かくして帝国諸侯と教会両方から承認されたルドルフですが、これに公然と文句を言う貴族がいました 選帝侯であり対抗馬であったボヘミア王オタカル2世です 彼はルドルフのことを「貧乏伯」と呼んで侮辱していました

2021-11-21 23:26:38
四号戦車🔞 @Panzer_04

彼が選挙に負けた理由はそのままルドルフが勝った理由でもあるのですが、端的に言ってこのオタカル2世「出来が良すぎた」のです そのあまりに野心的で征服的な性格の男を皇帝にすることで、選帝侯達自身の権力が脅かされることが嫌われたと言われています

2021-11-21 23:26:38
四号戦車🔞 @Panzer_04

この結果が面白くないオタカル2世でしたが、ルドルフ1世は先手をうちます。 帝国会議を開催し諸将(主にオタカル2世)に対し不当に占拠した皇帝領土の返還を呼びかけます。 当然オタカル2世はばっくれますが、ルドルフはそれを理由にオタカル2世に帝国追放刑を宣告します

2021-11-21 23:26:39
四号戦車🔞 @Panzer_04

流石にマズいと思ったのかオタカル2世は次の帝国会議に代理人としてゼッカウ司教を派遣します それでも自分で行かないあたりプライドの高さがにじみ出ていますね 帝国会議でゼッカウ司教はラテン語で弁明をはじめます 当時の高位聖職者が共通語としてラテン語を使うのは普通のことではありました

2021-11-21 23:26:39
四号戦車🔞 @Panzer_04

しかしルドルフはこれを制します 「この場におるのはドイツ諸将である。意味のわからいラテン語での弁明を止めよ」と。 そしてラテン語とドイツ語での対比させながら諸将の反教会の感情を利用してそれを反オタカル2世としてまとめ上げていきます 結果オタカル2世は重帝国追放刑を受けてしまいます

2021-11-21 23:26:39
四号戦車🔞 @Panzer_04

こうしてオタカル2世は人生をかけて獲得してきたオーストリアを剥奪されますが、ただ黙って従ったわけではありません 1276年、オタカル2世は配下のボヘミア、モラヴィアおよび同盟を結んだブランデンブルク、シュレージェン、チューリンゲン、ポーランドの軍勢を引き連れオーストリアを攻めます

2021-11-21 23:26:40
四号戦車🔞 @Panzer_04

広大な領地と軍勢を匹いるオタカル2世の侵攻軍に帝国は動揺しますが、そんななか1278年8月26日マルヒフェルトでルドルフは伏兵をしかけます 当時は伏兵は卑怯な方法と言われあまり使用されない戦法ではあったのですがルドルフは迷わず採用、これによって側面を突かれたボヘミア軍は混乱します

2021-11-21 23:26:40
四号戦車🔞 @Panzer_04

この中でオタカル2世は捕虜になりそのまま殺されてしまいます 殺したのはかつてオタカル2世が処刑したマーレンベルク家の家臣とも伝えられていますが、ともかくオタカル2世の戦死によりルドルフの皇帝としての権力が確立されることになるのでした

2021-11-21 23:26:40
四号戦車🔞 @Panzer_04

こうして貧乏貴族と馬鹿にされたスイスの小領主ルドルフは、自らの居城ハビヒツブルク(ハプスブルク)城からオタカル2世より没収したウィーンに本拠を映し、その後700年に渡ってウィーンの領主となるのでありました

2021-11-21 23:26:41
四号戦車🔞 @Panzer_04

これがハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝を独占する端緒となった出来事です 50歳で先が無い貧乏貴族と呼ばれた男がひょんなことから皇帝になり、その他の有力諸将を押さえその権力を固める過程はほんま痺れるンですよねぇ

2021-11-21 23:26:41

そして時は流れ、ハプスブルク家のウィーン喪失を決定づけた男の話
(実はこっちの話が先だった)

四号戦車🔞 @Panzer_04

なおハプスブルク家の皇帝世襲を決定づけたのが、ルドルフなら、ハプスブルク家の支配にトドメをさしたのがオーストリアのカール・レンナー コイツも凄まじい狸ジジィで、ドイツ敗戦後米英仏ソ四カ国の微妙な緊張を利用して傀儡のフリしながら国家分裂を阻止し民主国家としてまとめ上げてしまった pic.twitter.com/mhDnlvULA6

2021-11-21 06:54:20
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四号戦車🔞 @Panzer_04

恐らくコイツがいなきゃ皇帝復活待望論がオーストリア国内であがっていただろうけど、今日その地位を得ているのは国父カール・レンナーなんだよな この立ち回りの巧さは痺れるものがある

2021-11-21 06:55:35
四号戦車🔞 @Panzer_04

ソ連には「今民主選挙してガス抜きしないと不満を持つ勢力が分離独立して西側に喰われちまうんで!」と言いつつ米英仏には「ほれソ連の言うこと聞いてないやん?うちら民主的やで」と言い 国内諸州には「アイツら出し抜いて追い出しちまおう」と言い 結果オーストリアは独立国として現在の地位がある

2021-11-21 20:21:37
四号戦車🔞 @Panzer_04

ちなみにそうやって占領国前スルーの元行われた総選挙の結果レンナー自身が所属する社会党は大敗し国民党が勝ったことで西側は干渉する余地を失ってしまい、左派勢力大敗によってソ連も干渉できなくなってしまい、その結果を諸州が支持したことで分離勢力も力を失ってしまった

2021-11-21 20:29:46