- KumadaKaoruKun
- 53536
- 81
- 30
- 25
@Askeladd_Art 長谷川町子先生の終戦直後も、飲みに出て行く場所分からなかったアメリカの兵隊さん道案内したら、チョコだのガムだの色々頂いたそうで 食料すら難儀している日本と(味は兎に角)お菓子まで満載のアメリカ、物量には勝てませんね
2021-12-24 19:55:50@Askeladd_Art 私の婆様も進駐軍のお話をされていました。 アメリカの人はなかなか気さくな感じで子供にチョコをばら撒いていたのでよく子供が群がってた一方、イギリスの人は何やらおすましさんな感じであったと。
2021-12-25 03:43:42この前のラジオでホリプロ社長が同じ頃の話をしていた。薄くて不味い食事ばかりだったのでアメリカ兵がくれたレーションが美味しくて感動したみたいな twitter.com/Askeladd_Art/s…
2021-12-24 21:46:13敗戦の年の今日、婆さんが庭で洗濯物を干していたら、隣にあったGHQの建物から「Hey!」という声と共に油紙に包まれた物体が落下して来た。 「サンキュー!」と言って家に入り、包みの文字を読んでみたら七面鳥の丸焼きだった。 夜にみんなで食べながら「負けるわけだよね〜」と笑いあったとの懐旧。
2021-12-24 11:48:45良い話ですね。 床屋だったウチの爺ちゃんも「米兵に騙されたりもしたがその米兵を糺す米兵もいたし、仕事で使う石鹸やら整髪料をたくさんもらったりもした」って言ってました。 twitter.com/Askeladd_Art/s…
2021-12-24 16:09:59漁師だったうちの爺さんも、進駐軍の兵隊と仲良くなって、魚あげたりお礼に缶詰やらタバコやら貰ったり、色々やり取りしてたって言ってたなぁ。 おかげでスパムの缶詰が好物になったとか。 twitter.com/Askeladd_Art/s…
2021-12-24 18:18:25他にもちょいちょい缶に入ったビスケット、小麦粉、イースト、フリーズドライ(!)の卵などが降ってきたそうである。 まあ、携帯口糧が余ってたんでしょうね。
2021-12-24 15:23:38@Askeladd_Art >> 「負けるわけだよね〜」と笑いあったとの懐旧。 小学生の頃に ご年配の先生からお伺いした話ですが、 戦後数年経って 「風と共に去りぬ」をはじめて観た時に、 こんな映画をつくる余裕綽々の国に どうしたって勝てるはずがなかった と思い知らされた と、おっしゃっていました。
2021-12-24 19:58:19@Askeladd_Art 今ちょっと調べてみたら、 1939年(=昭和14年 ノモンハン事件の年) 制作のハリウッド映画は 嵐が丘 駅馬車 オズの魔法使い 風と共に去りぬ スミス都へ行く チップス先生さようなら ニノチカ だそうです。 そりゃあ、彼我の差が・・・。
2021-12-24 20:17:53ソ連はデカい戦車がウケたらしい
@Askeladd_Art うちの場合(時期は46年5月)はソ連軍の戦車と軍楽でした。 パレードに招かれてそれらを観た祖母は大感激、「これじゃ日本は負けるはずだわ」と居合わせた邦人は皆納得していたそうです。
2021-12-24 21:48:52@shop_haraguro 伯母がやっぱり満洲でソ連の戦車を見たことがあって「日本の3倍くらいあったのよ!」と言ってました。
2021-12-24 22:00:09@Askeladd_Art 祖母は関東軍の軍属だったので、日本の戦車を見ていた反面、ソ連戦車はデカくて格好いいと大喜びしていたそうです。
2021-12-24 22:01:58@Askeladd_Art 僕の父はユジノサハリンスクで抑留されました。豊原中学の代用教員だった彼は片言のロシア語を覚えて将校さんや時には兵隊さんから色んな物資をいただいたそうです
2021-12-25 00:50:32