僕は偉大さなど求めてゐない。欲しいのは唯平和だけだ。ワグネルの手紙を読んで見ろ。愛する妻と二三人の子供と暮らしに困らない金さへあれば、偉大な芸術などは作らずとも満足すると書いてゐる。ワグネルでさへこの通りだ。あの我の強いワグネルでさへ。 『闇中問答』
2022-01-01 12:38:10僕は何度も読み返した「マダム・ボヴァリイ」を手にとつた時さへ、畢竟僕自身も中産階級のムツシウ・ボヴァリイに外ならないのを感じた。…… 『歯車』
2022-01-01 14:28:53我我は神を罵殺する無数の理由を発見してゐる。が、不幸にも日本人は罵殺するのに値ひするほど、全能の神を信じてゐない。 『侏儒の言葉』
2022-01-01 18:28:45天才もそれぞれ乗り越え難い或制限に拘束されてゐる。その制限を発見することは多少の寂しさを与へぬこともない。が、それはいつの間にか却つて親しみを与へるものである。丁度竹は竹であり、蔦は蔦である事を知つたやうに。 『侏儒の言葉』
2022-01-02 03:28:20我々はしたいことの出来るものではない。只出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかつたであらう。 『侏儒の言葉』
2022-01-02 05:08:28彼に彼女の持つてゐた青酸加里を一罎渡し、「これさへあればお互に力強いでせう」とも言つたりした。 それは実際彼の心を丈夫にしたのに違ひなかつた。彼は一人籐椅子に坐り、椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に与へる平和を考へずにはゐられなかつた。 『或阿呆の一生』
2022-01-02 09:28:53彼はたつた七十銭にこの本を売つたことを思ひ出した。 雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだつた。彼はかう言ふ往来を遥々本所へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「ツアラトストラ」を感じてゐた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲笑してゐた 『大道寺信輔の半生』
2022-01-02 11:48:56僕たちは、時代と場所との制限をうけない美があると信じたがつてゐる。僕たちのためにも、僕たちの尊敬する芸術家のためにも、さう信じて疑ひたくないと思つてゐる。しかし、それが、果してさう“ありたい”ばかりでなく、さう“ある”事であらうか。…… 『野呂松人形』
2022-01-02 15:19:05芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云はば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失はない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具へてゐる。 『侏儒の言葉』
2022-01-02 22:48:59我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴してゐない。 『侏儒の言葉』
2022-01-03 03:28:09文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持つてゐなければならぬ。 『侏儒の言葉』
2022-01-03 09:28:52秋ふかき隣は何をする人ぞ かう云ふ荘重の「調べ」を捉へ得たものは茫茫たる三百年間にたつた芭蕉一人である。芭蕉は子弟を訓へるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。この言葉は少しも大風呂敷ではない。芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以である。 『芭蕉雑記』
2022-01-03 13:38:09「世紀末の悪鬼」は実際彼を虐んでゐるのに違ひなかつた。彼は神を力にした中世紀の人々に羨しさを感じた。しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることは到底彼には出来なかつた。あのコクトオさへ信じた神を! 『或阿呆の一生』
2022-01-03 21:28:46恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価ひしない。 『侏儒の言葉』
2022-01-04 08:08:54我我は我我自身さへ知らない。況や我我の知つたことを行に移すのは困難である。「知慧と運命」を書いたメエテルリンクも知慧や運命を知らなかつた。 (知行合一) 『侏儒の言葉』
2022-01-04 10:18:55奴隷廃止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廃止すると云ふことである。我我の社会は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和国さへ、奴隷の存在を予想してゐるのは必ずしも偶然ではないのである。 『侏儒の言葉』
2022-01-04 17:18:26復讐の神をジユピタアの上に置いた。希臘人よ。君たちは何も彼も知り悉してゐた。 (希臘人) しかしこれは同時に又如何に我我人間の進歩の遅いかと云ふことを示すものである。 (又) 『侏儒の言葉』
2022-01-05 04:48:33「ボオドレエルは白痴になつた後、彼の人生観をたつた一語に、――女陰の一語に表白した。しかし彼自身を語るものは必しもかう言つたことではない。寧ろ彼の天才に、――彼の生活を維持するに足る詩的天才に信頼した為に胃袋の一語を忘れたことである。」(『阿呆の言葉』) 『河童』
2022-01-06 02:38:27良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。 『侏儒の言葉』
2022-01-06 23:38:54我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。我我の快不快である。さうとしかわたしには考へられない。 ではなぜ我我は極寒の天にも、将に溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救ふことを快とするからである。 『侏儒の言葉』
2022-01-07 19:08:58