シンガポール~オランダ領東インドでの連合軍商船の戦い

太平洋戦争の開戦劈頭、シンガポール~オランダ領東インドの海域では多数の連合軍商船が沈没しました。これはそんな商船の戦いのほんの一部
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

さて最も面白いのがTSS Kedah、1933年に建造された2,499トンの高速貨客船として建造され、シンガポール~ペナン間に就役して1等客80名とデッキ客960名を乗せて18ノットを発揮できた。就役後すぐに人気の船となり、「マラッカ海峡の小さな女王」として親しまれた。

2020-01-17 23:53:41
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1939年12月から海軍に徴用され4インチ砲2門、3インチ対空砲1門、爆雷を搭載して1940年~41年はボルネオ島北部でパトロール船として活動した。シンガポール陥落時には最後に脱出した船の1隻で、至近弾で機関が損傷し7ノットしか出なくなりバタビアで応急修理後、チラチャップに向かった。

2020-01-18 00:02:49
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

チラチャップからウェーベル将軍の司令部要員と避難民400名を乗せてコロンボに向かったが、途中で完全に電力を失い、HMS dragonに曳航されて3月9日にコロンボに到着した。修理後はベンガル湾でパトロール任務に就いた。

2020-01-18 00:12:43
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1945年9月5日、KedahはJ.A.V Morse提督の将旗を掲げ、司令部要員やイギリス海軍の高級将校とシンガポール港湾委員会の委員長を乗せてシンガポールに再入港した最初の船となった。もちろんイギリス人流の皮肉の効いた演出なんだろうが、気付いた日本海軍関係者いたのか? britishempire.co.uk/article/sskeda…

2020-01-18 00:20:51
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

一つ気になるのは速力が10ノットになっていること。コロンボで修理の際に「速力そんなにいらない」となったのかもしれない。

2020-01-18 08:57:18

シンガポールからヨットで脱出

のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

陥落直前のシンガポールから2/11にヨットで脱出した民間人の記録を発見。最後はジャワ島のチラチャップからフリーマントルに脱出できたが、乗った船が「KHOEN HOEA」で最後の脱出船だったらしいからこれまたドラマチック。 britishempire.co.uk/article/escape…

2020-01-16 18:44:09
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

「Khoen Hoea」は1924年に建造された1,238総トンの沿岸用小型貨客船で客室定員は22名で速力も9ノット程度であった。1942年2月27日にはジャワ島中部のチラチャップからオーストラリアへの脱出船となり、2月27日17:30に他の6,7隻の船と共に出発した。 clydeships.co.uk/view.php?a1Pag…

2020-01-16 20:24:52
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

「Khoen Hoea」はインド洋のような外海の航海には全く不向きで数日間は向かい風のために平均2ノット程度の速度しか出なかった。3月9日3:30にフリーマントル沖のロットネスト島が見え、「Khoen Hoea」は結果的にジャワ島からの最後の船となった。

2020-01-16 20:28:47