嫌だ!が論理的というどういうことなのかヒアリング
@yunishio 「電気がないのは嫌だ」→「電気を維持する」を公理とするという点から「原発があるのは嫌だ」→「原発をなくす」ことを公理とするという話でしょうか
2011-09-02 00:28:19@nagise ということは、電気がないのは「嫌だ」という理由で、電力供給を維持すべきとお考えになってることになりますね。
2011-09-02 00:31:29@yunishio ありませんね。電気が必要だという人等だけでどのように電気を賄うかの議論を進めるでしょうし、いやいや電気は不要だという人たちとは別途議論することでしょう
2011-09-02 00:35:44@nagise ちなみに、おれは @ noiehoie さんの「原発は嫌だ」には「○○だから」が省略されていると申しましたが、同様にあなたの「電気がないのは嫌だ」も「○○だから」が省略されていると思ってます。
2011-09-02 00:39:06@nagise あなたはさきほど個人の主観からは社会的に妥当な推論は導き出すことができないとおっしゃってたように思います。
2011-09-02 00:45:06@yunishio 議論に参加した人には妥当、ということでしょうか。議論に参加しないが電気が欲しいひとにとって妥当かどうかは別と。公理を定めたところ同意した状態から議論がスタートしてるなら問題ないと思いますが。公理が定められた動機は関係しないと思いますがね
2011-09-02 00:47:21@nagise 議論の参加者が同意すれば、論理的に妥当ということになるのでしょうか。本当にそうですか?飛躍があるように感じます。論理的妥当性って、同意の有無によって左右されるんでしょうか?いささか不審です。
2011-09-02 00:50:17@nagise もし公理に同意したところからスタートしたなら、いかなる動機であれ、妥当性があるとおっしゃるのであれば、さきのシミュレートしたことも妥当性があると言えるのではないですか。
2011-09-02 00:51:53@yunishio ある公理系での論理的推論は、公理が定まった時点で成否がきまりますよね。僕は推論に「参加者」を想定する必要はないと思っています。「原発を停止する」という公理での議論はいかに停止するかの妥当な結論を得られるのではないでしょうか
2011-09-02 00:53:00@yunishio ある公理系で成り立つ1+1=2が他の公理系で成り立たないのは、別に参加者が同意するからではないですよね。公理系が決まればその公理系で妥当性が決まりますよね
2011-09-02 00:54:11今のところ @yunishio 氏の話では公理系を定めるのは個人の感情によってでもよらなくてでもどうでもいいということではないのですか。「嫌い」→「なくす」の→は論理演算の「ならば」ではないと思うのですが。これが先程から言っている「妥当性が弱い」ですよね
2011-09-02 00:56:40@nagise そうですね。論理的妥当性を検証するのに参加者やその同意を考慮する必要はないですよね。あなたはうっかり参加者や同意の有無について言及してしまってるので、すこし時間を巻き戻したほうがよさそうな気がしますね。
2011-09-02 00:58:07@yunishio もっと手早く話を進めてもらえませんか。夜も遅いですし。争点でないところまでこのようにやる必要はないのではないですか?さっさと進めたいので何を言わせたいのか勘ぐって勘ぐって仕方ないのですが
2011-09-02 01:02:48@nagise ある公理系の内側での論理的妥当性は、公理系の内側でしか効力を発揮しないということですよね。つまり「電気がなければ嫌だ」という思いを共有するひとたちの間でしか意味を持たない。それも今のところまだ社会的合意には至っていない。個々人がそれぞれそう思っているだけです。
2011-09-02 01:04:19@yunishio 自然言語で人と人との議論ということでいえば、同意をとりつけずに互いが違う公理系で論理的推論を行い、落とし所を探っていることになりますね
2011-09-02 01:05:32@nagise なにも勘ぐる必要はないですよw あなたは @ noiehoie さんの主張を論理的でないと主張しているのですから、ではあなたの判断において論理的と判断しうる社会的主張が存在するかどうか検証したいだけです。
2011-09-02 01:06:56@yunishio なるほど。議論において「嫌だ!と主張するだけでよい」というのもそのような公理系であれば真であろうということになるのですかね。公理系がそもそも無矛盾に成り立たない気がしますが
2011-09-02 01:09:18