なぜ日本の「平和教育」はお花畑化していったのか?

日本の「平和教育」が、なぜ現実無視の お花畑 になっていったか? 第二次大戦後すぐの教育とイデオロギーの関係から考えてみた。
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今の日本、よくわからないお花畑的平和論者が多い。
 
2022のウクライナ情勢でそれが急激に目立つに至ったようだが、その根っこはいったいどういったところなのだろう?

狸穴猫/松村りか @mamiananeko

日本の平和教育ってのが、いわゆる「お花畑」だったってのが明らかになりつつあるんだが、なぜそれが「お花畑」になっていったのか?   というのを、ガチで話してみた方がいいんじゃないのかな。

2022-02-26 23:55:44
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

とりま、戦後昭和の教育史は日教組をはじめとする、教職員組合とともにあった…というのは、かなり大きな影響があった部分だろう。 reseed.resemom.jp/article/2021/0…

2022-02-27 00:02:03
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

1949年に組織化された「日教組」は、巨大組織であるので、内部での政治抗争や派閥抗争も多かったが、スローガンづくりが巧みだった。   「教え子を再び戦場に送るな」 敗戦の傷跡が残る日本、そして朝鮮戦争勃発直後1951年にこのスローガンが日教組中央委員会で採択されたらしい。

2022-02-27 00:12:21
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

このスローガンのインパクトは強烈だ。    時節を考えれば、旧ソはまだスターリン時代であるし、日米安保条約が締結された年。世界中が不安定極まりない時期である。   その時期の日教組の、内部の政治対立を越えて掲げられる唯一のものだったのかもしれない。

2022-02-27 00:45:48
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

強烈なインパクトゆえ、現場の教員の支えになった部分はあっただろう。   だが、日教組は「丹頂鶴(頭だけ赤い)」と揶揄されることがあるように、中央組織は社会党員とそのシンパと共産党員とそのシンパが多かった。   その中で進歩的文化人を中心とする「国民教育運動」というものも並走していた。

2022-02-27 01:02:31
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

「国民のための教育を」という理念はあったのだろう。   しかし、実際のところは、共産党系をはじめとした勢力の、反資本主義的な性格の強い、闘争色が強いものとなった。その一環となる「民間教育運動」では官製カリキュラムに対抗する「自主編成」というものが称揚されていった。

2022-02-27 01:19:50
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

末端の教員サークルの工夫を「教育実践研究」として、日教組教研集会で発表し「各分科会ごとの指導者」が助言するというスタイルである。   運動自体、戦前からある「教科研」の延長線上にあるともいえる。

2022-02-27 01:34:26
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

日教組が支持母体の一つである共産党は、コミンテルンの批判を受け、六全協で武装闘争から転換を図ったあたりから、「国民教育運動」も「民間教育運動」へ関与を強めていく。   が、日教組は、社会党の支持母体でもある。 日教組の委員長から社会党代議士になった人も多い。

2022-02-28 00:01:35
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

そもそも、共産党員やそのシンパと、社会党員とそのシンパでは「政党」へのかかわり方は大きく異なる。 民主集中制を是とするか否も大きいだろう。

2022-02-28 00:32:35
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

日教組主流派が社会党寄りであったのに、民間教育研究グループの主流派が共産党寄りになるというねじれ現象も起こっていたようだ。 pic.twitter.com/Su04BkbhjW

2022-02-28 00:42:43
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狸穴猫/松村りか @mamiananeko

「人権教育」すら、1960年台後半からは、主流派と反主流派で割れた。   そんな中、表立って割れずに済む唯一のジャンルが「平和教育」であったのではなかろうか?   批判に対しては「それは軍国主義への道」と叫べばいい。

2022-02-28 01:04:43
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

批判への反論の道具として「9条」が使われてきたのだろう。理屈は左派政党がいくらでも作ってきたので手間いらずだ。 「9条を護れ」と唱えることで、 教組教員の「連帯と協調」を守り、 かつ 「教え子を再び戦場に送るな」を、やった気になれる、なかなかお手軽かつ秀逸なシステムだ。

2022-02-28 01:28:58
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

1960年台後半くらいからは教育現場は、旧ソ的のマルクス主義的集団主義教育が強まった。「共感と連帯」「声をあげて批判しよう」の教育である。   そして「感動中心の国語教育」である。   しばらくすれば、うっかり適応しちゃった子が教員となり…の流れもできる。

2022-02-28 01:57:17
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

かくて反戦ファンタジーは広範囲に浸透していった。   「戦争の悲惨さを知れば平和は守れる(はず)」 「9条を護れば平和でいられる(はず)」   「平和作文」が課題になり、修学旅行には「平和教育」が組み込まれる。   「平和とは?」も「戦争はどういう起こり方をする?」も考えてはいけない。

2022-02-28 02:09:19
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

バブル後あたりからは、メディアも反戦平和ファンタジーが増えてくる。   「グローバルな連帯をすれば平和(なはず)」 「過去の過ちを反省すれば平和(なはず)」 思考停止の平和教育の成果であり、その再生産である。

2022-02-28 02:25:02
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

さて、超雑にザラッとまとめると   強烈すぎるスローガン 日教組内部のイデオロギー対立のボロ隠し 共感と連帯ファンタジーの増産 左派勢力へのメディアの同調   などが相まってお花畑化が進行していったのだろう。

2022-02-28 02:32:31
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

お花畑関連のオマケ。   ファンタジーもいい加減にしろ!と言いたくなるような、洗脳臭の強い小学校の平和教育修学旅行の話(下記からの連ツイ) twitter.com/mamiananeko/st…   真っ赤な教育はあったか?についての検討連ツイ twitter.com/mamiananeko/st…

2022-02-28 02:49:23
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

わが子の通った小学校の修学旅行もなかなかのものでした。 行き先は広島、宿泊先は大久野島です。 なかなかのアンフェアな演出が学校ぐるみで行われました。

2020-06-23 16:34:54
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

95パーセントくらい本当ではない。   真顔でやられたことが多少なりともいたのは1960年頃の小学生。ただしごく少数。   うちの亭主(1951年生まれ)が小学生の頃そういうのに熱心な先生が「ごく一部」いたとのこと。   地域差あるので実態がつかみにくいが、ない訳ではなかった程度。 twitter.com/kuruhowa/statu…

2022-02-27 14:19:28
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

も一つおまけ。 時代背景としてはこういう部分もありましたねと。 twitter.com/mamiananeko/st…

2022-02-28 13:48:37
狸穴猫/松村りか @mamiananeko

就学人口の増加時に教員需要も増え、「ファッションとしての反戦運動」のまま、学校にも持ち込まれて温存された。 twitter.com/kingbiscuitSIU…

2022-02-28 13:39:22