アホが言語学に挑んでみた①

亀井秀雄先生の【明治期の翻訳における言語・文化 第九回】「やわらげ、訳(ウツ)す」を自分なりに勉強して解釈したツイート集。
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叢雲 綺 @aya_kumo

今回テキストとするのは亀井秀雄先生の【明治期の翻訳における言語・文化 第九回】 「やわらげ、訳(ウツ)す」というもの。ちなみに私はアホなので、間違った解釈をしていることも多々あるだろうが、そういうのを見ちゃった人は鼻で笑ってください。

2011-09-08 19:21:02
叢雲 綺 @aya_kumo

この論文は「翻訳」について考えているもので。「翻訳」の訓読みとは一体なんだろうか?という問題提起から始まっている。これに対して江戸期の蘭学者は「転ジテ漢地ノ言ニ成ス」と翻訳の原義を解釈している。要するに漢語にするってことか。

2011-09-08 19:24:04
叢雲 綺 @aya_kumo

蘭学者的にオランダ語→漢語っていう翻訳の流れは普通だったんだろうな。阿蘭陀語か……。難しいことになるな、カタカナ使わないとw

2011-09-08 19:25:52
叢雲 綺 @aya_kumo

大槻玄沢『蘭訳梯航』(文化十三年)に「和訓」の方法が書かれている。それによると「我方ノ雅俗ニ通ズルヤウ」に書き改めることが「和訓」だそうだ。難しいけど、要するに、お堅い言い回しはよして、みんなにわかるように書こうぜ☆って気概のことだろう……(え……?)

2011-09-08 19:29:15
叢雲 綺 @aya_kumo

まずは漢訳をして、その後で「訓」をつけていく。漢語に邦訓をあてることで字義を理解する、ということか。明治初期に「通俗」版という翻訳本が出ていたらしいが、これは蘭学者のこういった姿勢の名残らしい。

2011-09-08 19:30:45
叢雲 綺 @aya_kumo

以上の大槻玄沢の解釈には「翻訳」をどのように「和訓」するのか、「和訓」がないという事実はどうするのかという問題意識が欠如していた。確かに、もともと日本語にない言葉に関してはノータッチだったな、玄沢。残念だ……。そういう事例にぶち当たったりして困ったことはなかったんだろうか?w

2011-09-08 19:32:28
叢雲 綺 @aya_kumo

まぁ、でも明治になってヨーロッパの文化が多量に流入した結果、困ったことになるんだよね。江戸の段階ではあんまり気にしてなかったってことなのかなぁ……。気にしなくても翻訳できちゃった、俺スゲーと思えた時代だったのか?w

2011-09-08 19:33:35
叢雲 綺 @aya_kumo

ただし、「邦訓」「和訓」に当たる日本語は昔から日本にあったらしい。それが「やわらぐ」という言葉。「やわらぐ」とは、日本人にわかりやすく、馴染みやすいように和文化すること。「和訳」とは堅苦しい漢文を日本人向きにやわらげることで、同時に漢文の権威主義を滑稽化すること。

2011-09-08 19:35:57
叢雲 綺 @aya_kumo

やっぱり漢文でずらずら書いている=権威主義的、って思われてた節があったのか……。漢文は結局当時も学者のものだったんだね。

2011-09-08 19:36:39
叢雲 綺 @aya_kumo

本居宣長は『玉勝間』の中で「訳」を「ウツす」と訓でいた。このパターンは江戸時代において珍しいわけではなく、ほかの例もあるようだ。ふむふむ。宣長によると「訳」は他国の言語の「義」を訳すのではなく、他国の音(コエ)を写すことだったそうな。

2011-09-08 19:41:24
叢雲 綺 @aya_kumo

とは言っても、これはヨーロッパの音声中心主義(音は文字に先行するものだから、文字は二次的な記号でしかない)とは異なる考え方。宣長は音(コエ)を訳(ウツ)さなければ語義は移ってこないと、音(コエ)は語義に先行することを言ったが、音(コエ)の交換の中で「義」が確定するとも言っている。

2011-09-08 19:43:44
叢雲 綺 @aya_kumo

つまり、音の中には意味があって、それを文字として写していく中で意味が確定していく、ってことか?うーん、この辺おもろいんだけど、いまいちピンとこないところがあるなぁ……。こう考えれば確かに文字は二次的な記号でしかない、という西洋の考え方とは違うよね。

2011-09-08 19:45:38
叢雲 綺 @aya_kumo

文字は音に宿る意味を確定させる段階で必要なもの、ってことだろ?単に音を表したものが文字、という以上の意味があるように思った。

2011-09-08 19:46:38
叢雲 綺 @aya_kumo

『御布告往来』の中に出てくる「水夫、電線……」を「マト(ママ)ロス、テレガラフ……」と訓じているということから、音には語義が宿っているから、音(コエ)を訳(ウツ)すことで意味が理解できる、ということと理解した。(違うかもしれんwここら辺には自信ない)

2011-09-08 19:50:21
叢雲 綺 @aya_kumo

ちなみにさっきのパターンでは漢語よりもカタカナで訓じているものの方が言い方としては一般的だったらしい。

2011-09-08 19:50:54
叢雲 綺 @aya_kumo

要するに、外来語のカタカナ書きは音(コエ)を訳(ウツ)す文化的な行為だった、ということだ。 ふぅ、やっとこさ結論にたどり着いた。死ぬかと思ったw

2011-09-08 19:53:17
叢雲 綺 @aya_kumo

翻訳とは、音(コエ)を訳(ウツ)すということ。その時、音(コエ)には語義が宿っているから、翻訳で音を写す段階の中で、その語義を確定させていく。より身近でわかりやすい言葉に「やわらげる」という段階では、音(コエ)から語義が文字として定着しているってことかな?

2011-09-08 19:57:32
叢雲 綺 @aya_kumo

単なる記号としての「文字」とは明らかに違う性質なり、ステージを踏んできたってことか、日本語は。面白いな。「日本語は単なる記号ではない」。もうちょっとここら辺の背景を深められたらいいなと思う。ってなわけで今日のお勉強おしまい。

2011-09-08 19:59:37