旧日本陸軍の歩兵用対戦車兵器のお話:未投入兵器編
- Nyarlathotep_44
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ちなみにもし何らかの不調により弾頭が発射されなかった場合、弾頭の爆裂缶を統合するか敵戦車に突き立てて爆発させるという、今までと同じ肉薄戦術も指示されていたようです。しかし、期待された新兵器も仮採用されてから2ヶ月後に終戦。結局この兵器が陽の目を見ることはありませんでした。
2011-08-17 00:25:17このように、日本でもドイツやアメリカのような絶大な効果を持つ個人携行型対戦車兵器の開発は進められていましたが、自国の技術や生産に余裕がなかったため、全てが生産ラインに乗ることがなく終戦。旧軍歩兵が有用な対戦車兵器を使用する機会は全て間に合わなかったのです。
2011-08-17 00:29:07という訳で今回の旧軍小話はここまで。今回はさらりと紹介するにとどまりましたが、私でわかる事ならお答えできますので、意見、質問などがあればお気軽にどうぞ。
2011-08-17 00:30:25@Nyarlathotep_44 魚雷では日本の炸薬は海外と比べて重量当たりの威力が低いと言う問題がありましたが、陸の方でもそのようなものはあったのでしょうか?
2011-08-17 00:36:17@futaba_AFB 基本的には戦前までの兵器は九三式地雷や九九式破甲爆雷など、旧軍側の想定があくまで「自軍戦車程度の装甲厚」を目処に制作していた物が多いため、相手の装甲に対して炸薬の威力が低いという問題は多々付きまといました。
2011-08-17 00:40:31@futaba_AFB WW2近くになってある程度改善されたものもありますが、基本的には改良、新型の登場も嬉々として進まず、そのままの兵装で大戦全土を戦っています。
2011-08-17 00:41:31@Nyarlathotep_44 やっぱり陸でもそう言う問題があったんですね
2011-08-17 00:47:17@futaba_AFB 基本的に対装甲・対徹甲弾に関しての問題は、陸軍の大戦全土のどの兵器に対しても起こってることでもありますね。基本的にどれもが敵の装甲厚の問題にぶち当たり、それを解決しようとまごついているうちに終戦を迎えています。
2011-08-17 00:49:47試製四式噴進砲の開発に関し、日本にいたドイツ人技術者の協力をもっと得るべきだったという指摘もあります。1942年に、成形炸薬弾の技術提供のため2人の技術将校が封鎖突破船(柳船)で来日していたのに、四式噴進砲の研究には触らせず。日本側関係者は、むしろその点を技術の証として誇る傾向。
2011-08-17 02:52:16ただ、このドイツ技術将校の来日時期からすると、パンツァーシュレックの開発前なので、協力を仰いでも直ちに大きな成果は無かったような気もします。弾丸の旋回機構の設計変更がされてるのが制式化遅滞の主因じゃないかと思え、そうならロケットではなく成形炸薬の専門家の活躍の余地は乏しいような。
2011-08-17 03:02:55次回の小話は、折角資料が大量に手に入ったので、陶製兵器や化学弾、戦車小話のもう少し突っついた場所、戦車部隊の戦史のクローズアップなどをしていけたらな、と思っております……
2011-08-17 00:36:25