Ruwohegiさんとamamakoさんのまどか☆マギカ考察

90年代、ゼロ年代のアニメを踏まえてまどか☆マギカが到達した場所について。
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るおへぎ @Ruwohegi

暴流の中で: 一般キャラクター論から見たキャラ/キャラクター論 - もろ式: 読書日記 http://t.co/9zb4qip

2011-09-10 11:04:51
るおへぎ @Ruwohegi

ある中二病アニメオタクの半生 - 斜め上から目線 (id:amamako / @amamako) http://t.co/og0CZ2Q

2011-09-10 11:13:23
るおへぎ @Ruwohegi

エヴァが提示した成熟の不可能性に対して動物化と決断主義、二つの処方箋が提示された。成熟をテーマにゼロ年代批評を捉えなおすならこの考え方には一定の正当性が宿る。

2011-09-10 11:26:25
るおへぎ @Ruwohegi

まあエヴァの命題が「成熟なき成熟」だというのはあまりに一面的な見方だとも思うけど。

2011-09-10 11:33:32
るおへぎ @Ruwohegi

まどマギに関して日常系の回路とバトロワ系の回路を複合させたハイブリッドな作品だ、とは僕は全然思っていない。少なくとも3話で日常系の回路は断絶されていた。「蒼樹うめ」絵の「魔法少女」を殺すことは、死なない身体を殺すというリアリティで日常系の不可能性を明らかにする行為だからだ。

2011-09-10 11:45:28
るおへぎ @Ruwohegi

記号としてのキャラクターが身体性を獲得して成立したのが戦後まんがだとするとその身体性は 「萌える」という消費形態によって再度記号化されてしまった。即ちデータベース消費の体現者こそが魔法少女だった。さらにキャラデザに空気系のコンテクストを導入することで萌える消費を徹底化している。

2011-09-10 11:56:17
るおへぎ @Ruwohegi

というか僕は散々「3話は神!マミさんマミマミ!」とかなんとか叫んでいたんだけどそれは、どれみ→さくら→なのは→ストパンの流れで、「萌え」という記号的消費のコンテクストに収斂されていく魔法少女キャラクターを使って確信犯的にリアリティを生成したからで

2011-09-10 12:16:03
るおへぎ @Ruwohegi

要するに萌えるキャラクターとしての魔法少女をあまりに生々しく〝殺す〟ことで魔法少女は萌えが記号化されたキャラクターである、というバイアスを完全に破壊し、既存の魔法少女のジャンルという歴史と空気系作品のキャラに対して萌えるだけの消費者を、見事裏切った点を評価しているからなんですよ。

2011-09-10 12:17:41
るおへぎ @Ruwohegi

じゃあまどマギはサヴァイブ系かと言うとそうでも無くて・・・僕は虚淵は蛸壺屋的想像力(日常系に対してのアレルギー)の極点にいる作家だと考えているので杏子とさやか編というのは正義論と言うよりむしろ利他性と利己性の物語だと思っている。

2011-09-10 12:37:25
るおへぎ @Ruwohegi

「自分の幸せ」 のために戦いながらも「他人の幸せ」に生きたかった少女と、「他人の幸せ」 のために戦いながらも「自分の幸せ」に生きたかった少女を登場させ、その両方に対し悲劇的な結末を描くことで、自己完結したセカイに引き籠ることでも、またバトロワ的コミュニケーションをすることでも

2011-09-10 12:42:42
るおへぎ @Ruwohegi

超越的な外部を志向している時点でそこへ至ることはできないことに言及してサヴァイブ系の限界を露呈させたというイメージ。この頃ちょうど郵便本を読んでいて、論理的脱構築と郵便的脱構築云々がヒントになるんじゃないかと考えたりもしていたんだけれどそこは詳しい人に任せます。

2011-09-10 12:45:14
あままこ(天原誠) @amamako

残酷に殺せば身体性が回復できるのかなぁ。むしろ僕としては、あのマミさんがマミるシーンは、最高に記号的だったようにしか見えないんだけど。だから葬式も開かれなかったhttp://t.co/4w1prUp

2011-09-10 12:46:57
あままこ(天原誠) @amamako

でもまぁ、そこで残虐に殺すことで、身体性の復活を求めてしまう蛸壺的想像力は理解できる。前に本田透氏が「しろはた」というサイトでエヴァを手塚的なものと梶原的なものの対立であると言っていたことがあったけど。その梶原的なものの現代形が蛸壺的想像力なわけで。

2011-09-10 12:49:52
あままこ(天原誠) @amamako

しかし、現代において梶原的なものはもはや再現できないのではないか。劇画的な形で身体性を復活させようとしても、それはそれこそ島本和彦的なパロディにしかならないだろう。ていうかマミさんがマミられるシーンは、それがどんなに真摯に描かれていたとしても、既存の魔法少女のパロディでしかない

2011-09-10 12:53:23
あままこ(天原誠) @amamako

まぁ僕が身体性を大事にしようとする議論になんとなくついていけない人間だから、そう思うのかもしれないが。

2011-09-10 12:54:06
あままこ(天原誠) @amamako

ただ、記号/身体という観点からまどマギを考察するのは、言われて見ればなかなか面白いかもしれないな。なぜか気づかなかった論点だ。

2011-09-10 12:57:27
るおへぎ @Ruwohegi

ここまでで動物化と決断主義の不可能性を明らかにした。これだけでも十分傑作だったとは思うけれど。僕が何よりすげえと思ったのは10話以降でまどマギがやったゲーム的リアリズムの否定だ。

2011-09-10 12:57:39
あままこ(天原誠) @amamako

ソウルジェムの説明を聞かされた時の彼女らの怒りとか、こんな体じゃ愛してもらえないうんぬんとか、正直それこそキュウべぇばりに「わけがわからないよ」と呟きたくなるものだったんだけど、彼女らが身体性を殊更大事にしているとするなら、まぁ共感はできないけど理解は出来る

2011-09-10 13:00:58
るおへぎ @Ruwohegi

大澤真幸の言葉を借りればゼロ年代にループ構造が隆盛した背景には反復に対して終わりを告げるということは偶有性(他でもありえたかもしれないという感覚)を必然性(こうでしかありえなかったという感覚)に置換す るという「第三者の審級」を確認する意図があった。

2011-09-10 13:01:49
るおへぎ @Ruwohegi

まどマギ10話でもほむらがタイムトラベルを繰り返し、何度も同じ物語を反復していたことが判明する。半永久的に反復される時間からなんらかの方法で脱出することが物語の目標となる。つまり永劫回帰論と同じロジックで一回性を肯定することが全体性の肯定と同義になる。

2011-09-10 13:06:17
るおへぎ @Ruwohegi

しかしループ構造においてまどマギではループ構造から抜け出そうと繰り返すごとに物語の隘路に嵌っていく構造が明らかになる。おそらく虚淵玄は、ある一つの目的が何度も繰り返すことによって一回性の価値を失うことを問題視していると考えられる。ループ構造の両面性の問題。

2011-09-10 13:10:33
あままこ(天原誠) @amamako

ループものって嫌いなんだよなぁ。たるくて。

2011-09-10 13:11:43
るおへぎ @Ruwohegi

最近だとシュタゲ、僕はやったことないけどうみねことかも一回性の目的のために何度もリセットを繰り返した結果、その一回性の価値そのものが失われるというループ構造の両面性について扱っているらしい。

2011-09-10 13:12:46
るおへぎ @Ruwohegi

ここで提示されているのはアーキテクチャ?の不可能性だ。そしてゲーム的リアリズム(ゲームの リセットボタンを何度も押してクリアへ至る)の不可能性を提示した後、まどマギは自らその不可能性を超克する。それがループ構造システムそのものの、いわばプログラムの書き換え。

2011-09-10 13:16:27
るおへぎ @Ruwohegi

ほむらがぶつかった壁(ゲームの リセットボタンを何度も押してクリアへ至る)にたいしまどかが選択したのはゲームを繰り返しプレイしてクリアするのではなくゲームのプログラムを 改変しシステム自体を、要するに因果律を破壊してしまうというものだった。

2011-09-10 13:18:20